クシャ−ナ朝衰退後分裂状態であった北インドでは、ガンジス川流域に「インド人のインド」を旗印にマウルヤ朝の復興を理想とした。マウルヤ朝の首都であったパータリプトラに首都をおくグプタ朝(320年〜520年)が起こった。
初代チャンドラグプタ1世(在位320年〜330年頃在位)、2代サムドラグプタ(在位330年〜380年頃)と勢力を拡大し、3代チャンドラグプタ2世(在位380年〜414年頃)の時代に北インドを統一し全盛時代を迎えた。4代クマーラグプタ(在位414年〜455年頃)の時代、427年に仏教の総合大学であるナーランダの僧院が創建され最盛期には1万人の僧侶が学んだ。1500人の先生がいた。また、クマーラグプタの時代、エフタルの侵入を受けたが撃退に成功した。
6世紀に入るとエフタルの侵入を再びうけて衰退し、550年頃滅亡した。
|
グプタ朝の3世紀末から4世紀初めにかけてインドの古典文化の全盛時代を迎えた。ヒンズー教が盛んになり、「マハバラ−タ」「ラーマーヤナ」の二大叙事詩が現在の形にまとめられた。
|
エフタルは5世紀中頃から中央アジアで王国を形成し、一時ササン朝ペルシアをも支配したが、558年〜561年の間にササン朝ペルシアと突厥に挟撃されて滅亡した。
チャンドラグプタ2世の時代には、インドの古典文化の黄金時代を迎える。インドのシェイクスピアとよばれる「シャクンタラー」で有名なカーリダーサも彼の宮廷で仕えた。
インドの正統派であるバラモン教に民間信仰を融合したヒンズー教が盛んになり、仏教は民間の間で急速に衰退した。
ヒンズー教徒は現在、約9億。そのうち8億3千万はインド人である。その他、バングラディシュ、パキスタン、東南アジアに信者がいる。
ヒンズー教の三大神であるブラフマー神、ヴィシュヌ神、シヴァ神は、同じ存在の3つの現れであるとされている。三神とも天地の創造神であり、特に、ヴィシュヌ神、シヴァ神は、多くの人々の信仰を集めている。
ブラフマー神 |
宇宙の創造を司る神。仏典では、梵天と訳され、釈尊を励まし仏法を説くことを勧めたとされている。 |
ヴィシュヌ神 |
宇宙の維持を司る神。慈愛の神。化身にクリシュナやラーマ王子、カルキなど10の化身がいる。カルキは、救世主で、世界の秩序が失われ、世界が崩れゆく時代(現代のこと)に世界を救い、新しい時代を始めるとされている。 |
シヴァ神 |
宇宙の寿命が尽きたときに世界の破壊をして新たな創造を司る神。化身のマハカーラは、大黒天と訳される。 |
ヒンズー教徒の日々のなすべき努めを規定した「マヌの法典(マーナヴァ・ダルマ・シャースラ)」は前200年〜後200年の間に現在の形にまとめられたとされている、今日でも重要なヒンズー教徒の規範である。後世、イギリスによるインド統治でも重要な法的規範として参照された。
マヌは、マツヤというヴィシュヌ神の化身である魚を助けることにより、マツヤから七日後に大洪水が起きることを予告され、船にあらゆる種子と7人の聖者を乗せるように言われ、大洪水を生き延び人類の始祖となったとされる。生き延びてヴィシュヌ神の教えを法典として授けたのが「マヌの法典」であるとされている。
「マヌの法典」は、人類創世の宇宙観から始まり、日本でカースト制度と紹介された4種のヴァルナであるバラモン、クシャトリア、バイシャ、シュードラのなすべき義務と権利、規範がきめ細かく記されている。また、人生のおける四住期における通過儀礼をへて、最終的には輪廻を経て解脱に至る道を説いている。人生における四住期とは、「学生期」「家住期」「林棲期」「遊行期」であり、この四住期を経て「解脱」にいたるという。 またインドが世界に誇る二大叙事詩である「マハバラータ」「ラーマ−ヤナ」もこの時代に完成した。
「マハバラータ」で活躍するクリシュナや「ラーマ−ヤナ」の主人公のラーマ王子はいずれも、ヴィシュヌ神が人類を導くために降りて来た姿であるとされていて、ヒンズー教の重要な経典の一つとなっている。 特に「マハバラータ」に挿入されている「バガヴァッド・ギーター」は、ヒンズー教の奥義をのべた聖典であり、世界中で聖書についで読まれているという。
「バガヴァッド・ギーター」は、クシャトリアの勇者アルジュナが、バラ−タ族の骨肉相食む戦いに臨むことに対する悩みを起点とした様々な疑問に、アルジュナの御者をつとめていた従兄弟のクリシュナ(実はヴィシュヌ神の化身)が答えるという内容になっている。
ヒンズー教徒の究極の目標である輪廻転生から解脱するためには、勇気をもって戦いに臨むことにより、自分の義務を果たすこと。梵我一如をさとること。ヴィシュヌ神の化身たるクリシュナへ絶対帰依すること、などが必要であるとクリシュナは答えている。「梵我一如」とは、宇宙の大霊であるブラフマン(梵)と個人としてのアートマン(我)が一体であるという悟りである。
ヒンズー教は、日本の神道と同じ多神教であり、多くの神々がいる。インドや日本など多神教の世界は、様々な価値観を受け入れる寛容の世界であり、多様性を認める社会である。ユダヤ教、キリスト教、イスラム教は、ルーツを同じにしており、排他的な非寛容の世界観をもつ。一神教の方が高等宗教であるという価値観が一般的であるが、実は逆ではないかと思う。キリスト教国とイスラム教国の報復の応酬を見ていると宗教的寛容こそ世界平和の基であるとしみじみ想う。そして、ヒンズー教は、カースト制度の弊害のみを日本では強調されがちであるが、「バガヴァッド・ギーター」などに触れると、人としての精神性の開発に不可欠な深奥な哲学を内包していると実感できる。
参考図書
○「神の歌 バヴァギャット・ギーター」田中かん玉訳(TAO LAB BOOKS 2012年)
第二章 ギーダー全体の要約
(10)バラタ王の御子孫である王様よ このときクリシュナは にっこり笑い
両軍の間で悲しみ沈む アルジュナに向かって語りました―
(11)至上者クリシュナの言葉
「君は博識なことを話すが 悲しむかちのないことを嘆いている
真理を学んだ賢い人は 生者のためにも死者のためにも悲しまない
(12)わたしも君もここにいる全ての人々も かつて存在しなかったことはなく
将来そんざいしなくなることもない 始めなく終わりなく永遠に存在しているのだ
(13)肉体をまとった魂は 幼年青壮年を過ごして老年に達し
捨身(=死ぬこと)して直ぐ他の体に移るが 自性を知る魂はこの変化を平然と見る
(14)クンティーの息子よ悪寒苦楽は 夏冬[きせつ]のめぐる如く去来するが
すべて感覚の一時的作用にすぎない アルジュナよそれに乱されず耐えることを学べ
(19)生命が他を殺すまた殺されると思うのは 彼らが生者の実相を知らないからだ
知識ある者は自己の本体が 殺しも殺されもしないことを知っている
(20)魂にとっては誕生もなく死もなく 元初より存在して永遠に在りつづけ
肉体は殺され朽ち滅びるとも かれは常住にして不壊不滅である
(21)プリターの息子アルジュナよ このように魂は不生不滅不壊不変である
どうして誰かを殺し また誰かに殺されることがあり得ようか
(22)人が古くなった衣服を捨てて 新しい衣服に着替えるように
魂は使い古した肉体を脱ぎ捨て 次々に新しい肉体を着るのだ
(23)どのような武器を用いても 魂を切ったり破壊[こわ]したりすることはできない
火にも焼けず水にもぬれず 風にも干涸らびることはない
(24)個々の魂は壊れず溶けず 燃えることなく乾くことなく
何処でもいつまでも 不変不動常住の実在である
(25)それ(=魂[アートマン])は五官(=眼、耳、鼻、舌、身[皮膚])で認識することはできない
眼に見えず人智では想像も及ばぬもので
常に変化しないものと知り 肉体のために嘆き悲しむな
(26)また若しこれが誕生と死を絶え間なくくりかえすものと
君がたとえ考えていたとしても 悲しむ理由は何もないおお剛勇の士よ
(27)生まれたものは必ず死に死んだものは必ず生まれる
必然不可避のことを嘆かずに自分の義務を遂行しなさい
第四章智識のヨーガ
(5)至上者[パガヴァーン]こたえる
「滅敵者アルジュナよわたしも君も 何度となくこの世に生まれて来たのだ
わたしは全部をおぼえているが 君は前世のことを何も知らない
(6) わたしは生まれることもなく死ぬこともなく わたしの体は常恒不変である
わたしは全ての生物の至上者だが どの時代にも原初の姿で出現する
(7) 宗教[ダルマ]が正しく実践されなくなった時 反宗教的な風潮が世にはびこった時
バラタ王の子孫アルジュナよ わたし何時何処へでも現われる
(8) 正信正行の人々を救[たす]け 異端邪信のともがらを打ち倒し
正法[ダルマ]をふたたび世に興すために わたしはどの時代にも降臨する
(9) わが顕現と活動の神秘を理解する者は その肉体を離れた後に アルジュナよ
再び物質界[このよ]に誕生することなく わが永遠の楽土[くに]に来て住むのだ
(10)執着と恐怖と怒りから離れ 全てをわたしに任せわたしに憩い依[たよ]って
過去より数多の人々はわたしを知って清浄となり ことごとく皆わたしの処[もと]に到[つ]いたのである
第七章至上者(かみ)についての知識
(26)アルジュナよわたしは過去のことも 現在起こっていることも
将来起こることも悉く知っている わたしは全ての生物を知っているが、だれも私をしらない
第九章最も神秘な智識
(8) 私の意志が全宇宙の法則 私の意志によって全てのものが
くりかえしくりかえし現象し くりかえしくりかえし消滅する
(32)プリターの息子よたとえ低い生まれでも 即ち女 ヴァイシャ スードラ等でも
わたしに保護を求めて来る者らは 最高の完成に達するであろう
(33)まして心正しきバラモンや 信仰あつい王族[クシャトリヤ]などはなおさらのこと
はかなく悲苦に満ちた物質界[このよ]にあっては ただわたしを信じ頼って過ごすことだ
(34)常にわたしを信頼しわたしを想い わたしに従い わたしを礼拝せよ
常にわたしに身心を捧げている者が わたしのもとに来るのは当然である」
○「マヌの法典」田辺繁子訳(岩波文庫 1953年)
○「古代核戦争の謎」南山宏著(学研 2009年)
平成25年04月08日作成 第088話