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高校生のためのおもしろ歴史教室>世界史の部屋

27.ジャイナ教と仏教の成立

 ヴェーダ時代(前1500年〜前500年) にヴァルナ制(日本名:カースト制) が成立し、祭司階級であるバラモンが、神々の祭祀を通じて部族社会の支配者であった。
 ヴェーダ時代の宗教であるバラモン教のテーマは、人は生まれ変わるという前提のもとに、この生まれ変わりということを克服して、如何にしたら天上の神々のもとに帰れるかということであった。
 バラモン教では、行いに応じて生まれ変わるとされていた。バラモンに生まれるには前世における善行の積み重ねが必要であり、バラモンのみが輪廻転生を克服して解脱ができる。
 つまり、輪廻転生の修行をおえて、神々の世界に永遠に住むことができるとされていた。輪廻転生とは、車輪が回るようにこの世とあの世を生まれ変わることをくりかえすこと。
  仏典によると、ゴータマ・シッダルタの活躍する前500年頃になると、ガンジス川流域の北インドは、16王国にわかれ覇を競っていた。ヴェーダ時代に圧倒的な力をもっていたバラモンの力が衰退し、武士階級(王族)であるクシャトリアや商業活動の発展によるバイシャ階級が力をつけてきた。

  バラモン教  仏教  ジャイナ教 
教祖    ゴータマ・シッダルタ(前563年〜前483年)  カーシャバ・ヴァルダマーナ(前599年〜前527年) 
尊称    釈迦牟尼尊(釈尊)
仏陀(ブッダ) 
マハヴィーラ(大勇)
ジナ(勝者) 
支持階級  バラモン クシャトリア  バイシャ 
解脱の方法  (輪廻転生を卒業する
ことが目的)
神々に対する正しい祭祀/梵我一如をサトルこと   中道/八正道(正見・正思惟・正語・正業・正命・正精進・正念・正定)  禁欲主義・不殺生/
三宝(正見・正智・正行)
 
現状   ヒンズー教となりインドの主流・東南アジア  インドではほぼ絶滅
 チベット・東南アジア・日本など  
インドのみ260万とも480万とも  

 社会の変動に伴い、価値観にも変化が見られ、様々な新宗教があらわれることになる。仏教とジャイナ教などの誕生である。
 これに対抗するために、バラモン教も教義の再構築が図られ、ウパニシャット哲学が生まれる。

 仏教の創始者は、のちに釈尊と尊称されるカピラ国の王家生まれのゴータマ・シッダルタ(前563年〜前483年)であった。
  釈尊は「生まれによって賤しい人となるのではない。生まれによってバラモンとなるのではない。行為のよって賤しい人ともなり、行為によってバラモンともなる。」(スッタニパータ136)と説いて、ヴァルナ制を否定して、中道をとり、八正道を行うことにより解脱ができると説き、クシャトリア階級の大きな支持を得た。
  仏教は、世界宗教となったが、歴史の中でインドでは仏教は絶滅してしまった。現在約1万人の仏教徒が存在しているが、近年におけるヒンズー教からの改宗者である。

  一方、ジャイナ教の創始者の同じくクシャトリア出身のヴァルダマーナ(前599年〜前527年)は、極端な不殺生主義と無所有の実践などの禁欲主義によって煩悩を断ち、カルマを精算することによって解脱できると説いた。ついには覚りを開き、マハヴィーラともジナとも尊称された。
 不殺生主義から、クシャトリアや農民の支持は得られず、新興のバイシャ階級の支持を得ることとなり、初めは仏教と並ぶ隆盛を見た。ジャイナ教は、インドの中で今日0.5%にも満たない少数派であるが、今日菜食主義者としてしられる。熱心な信者は無所有の究極の形である裸で修行生活を送っている。

 やがて大きく発展した仏教には、様々な宗派が生まれるが、釈尊の説いた原始仏教と現在の仏教には乖離があるように思われる部分も多い。しかし、地獄の伝承など意外にもオリジナルの説法を伝えているものもあるという印象をうける。

 初期の説法を保存しているスッタニパータ等によると、まず、仏教はバラモン教の宗教改革であることがわかる。バラモン教のテーマである輪廻転生からの解脱(サトリを開いて卒業すること)を目指して厳しい修行を行っている。バラモン教の最高神の一つであるブラフマン(梵天)に励まされて自分の解脱のサトリを他の人に伝えるために説法に立ち上がっている。バラモン教の神々の祭祀を否定していない。
 バラモン教の因果応報の考えも踏襲している。因果応報とは「善を行えば善の報いをうける」「悪を行えば悪の報いをうける」しかも、輪廻転生を通じてのことであることは当然のこととしている。悪い行為に対する報いとしての様々な地獄も具体的に挙げている。
 鉄の串、鉄の槍につきさされる地獄は、針の山地獄にそっくりである。 灼熱した鉄丸のような食物を食わされる地獄は、餓鬼道。膿や血の混じった湯釜や蛆虫の棲む水釜は、血の池地獄。日本人の道徳観を支えてきた地獄の諸相は、釈尊伝来のものであることがわかる。
 

参考図書

「知識民族としてのスメル族」 高楠順次郎著(教典出版社 昭和19年)

○「ブッダのことば(スッタニパータ)」 中村元訳(岩波文庫 1984年)
ゴータマ・シッダルタ[釈尊](前566年〜前485年)の4大聖地/ルンビニ:釈尊誕生の地・ブッタガヤ:菩提樹の木の下で覚りをひらいた地・サルナ―ト:梵天に励まされて初めて説法をした地・クシナガラ:釈尊入滅の地
 
「いまここに訳出した『ブッダのことば(スッタニパータ)』は、現在の学問的研究の示すところによると、仏教の多数の諸聖典のうちでも、最も古いものであり、歴史的人物としてのゴータマ・ブッタ(釈尊)のことばに最も近い詩句を集成した1つの聖典である。シナ・日本の仏教にはほとんど知られなかったが、学問的には極めて重要である。」(433頁 解説より)

15 この世に還り来る縁となる〈煩悩から生ずるもの〉をいささかももたない修行者は、この世とかの世とをともに捨て去る。――蛇が脱皮して旧い皮を捨て去るようなものである。
47 われらは実に朋友を得る幸を讃め称える。自分よりも勝れあるいは等しい朋友には、親しみ近づくべきである。このような朋友を得ることができなければ、罪過のない生活を楽しんで、犀の角のようにただ独り歩め。

132 自分をほめたたえ、他人を軽蔑し、みずからの慢心のために卑しくなった人、――かれを賤しい人であると知れ。
136 生まれによって賤しい人となるのではない。生まれによってバラモンとなるのではない。行為のよって賤しい人ともなり、行為によってバラモンともなる。
149 あたかも、母が己が独り子を命を賭けても護るように、そのように一切の生きとし生きるものどもに対しても、無量の(慈しみの)こころを起すべし。
235 古い(業)はすでに尽き、新しい(業)はもはや生じない。その心は未来の生存に執着することなく、種子をほろぼし、それが生長することを欲しないそれらの賢者は、灯火のように滅びる。このすぐれた宝が〈集い〉のうちに存する。この真理にとって幸せであれ。
236 われら、ここに集まった諸々の生きものは、地上のものでも、空中のものでも、神々と人間とのつかえるこのように完成した〈目めた人〉(ブッタ)を礼拝しよう。幸せであれ。
237 われら、ここに集まった諸々の生きものは、地上のものでも、空中のものでも、神々と人間とのつかえるこのように完成した〈教え〉を礼拝しよう。幸せであれ。
262 父母につかえること、妻子を愛し護ること、仕事に秩序あり混乱せぬこと、――これがこよなき幸せである。
362 修行者がかげぐちをやめ、怒りと物惜しみとを捨てて、順逆の念を離れるならば、かれは正しく世の中を遍歴するであろう。
400 (1)生きものを害してならぬ。(2)与えられないものを取ってはならぬ。(3)嘘をついてはならぬ。(4)酒を飲んではならぬ。(5)淫事たる不浄の行いをやめよ。(6)夜に時ならぬ食事をしてはならぬ。
401 (7)花かざりを漬けてはならぬ。芳香を用いてはならぬ。(8)地上に床を敷いて臥すべし。これこそ実に八つの項目より成るウポーサタ(斎戒)であるという。苦しみを終滅せしめるブッダが宣示したもうたのである。
404 正しい法(に従って得た)財を以て母と父とを養え。正しい商売を行え。つとめ励んでこのように怠ることなく暮している在家者は、(死後に)〈みずから光を放つ〉という名の神々のもとに赴く。」
423 (釈尊がいった)、「王さま。あちらの雪山(ヒマーラヤ)の側に、一つの正直な民族がいます。昔からコーサラ国の住民であり、富と勇気を具えています。
424 姓に関しては〈太陽の裔〉といい、種族に関しては〈シャカ族〉(釈迦族)といいます。王さまよ。わたくしはその家から出家したのです。欲望をかなえるためではありません。
551 あなたは見るも美しい修行者(比丘)で、その膚(はだ)は黄金のようです。このように容色が優れているのに、どうして〈道の人〉となる必要がありましょうか。
552 あなたは転輪王(世界を支配する王)となって、戦車兵の主となり、四方を征服し、ジャンブ州(全インド)の支配者となるべきです。
553 クシャトリヤ(王族たち)や地方の王どもは、あなたに忠誠を誓うでしょう。ゴータマ(ブッダ)よ。王の中の王として、人類の帝王として、統治をなさってください。
562 (セーラは弟子どもに告げていった)、――「きみたちよ。眼ある人の語るところを聞け。かれは(煩悩の)矢を断った人であり、偉大な健き人である。あたかも、獅子が林の中で吼えるようなものである。
666 けだし何者の業も滅びることはない。それは必ずもどってきて、(業をつくった)主がそれを受ける。愚者は罪を犯して、来世あってはその身に苦しみを受ける。
667 (地獄に墜ちた者は)、鉄の串を突きさされるところに至り、鋭い刃のある鉄の槍に近づく。さてまた灼熱した鉄丸のような食物を食わされるが、それは、(昔つくった業に)ふさわしい当然なことである。
670 また次に(地獄に墜ちた者どもは)火炎があまねく燃え盛っている銅製の釜に入る。費の燃え盛るそれらの釜の中で永いあいだ煮られて、浮き沈みする。
671 また膿や血のまじった湯釜がり、罪を犯した人はその中で煮られる。かれがその釜の中でどちらの方角へ向って横たわろうとも、(膿と血とに)触れて汚される。
672 また蛆虫の棲む水釜があり、罪を犯した人はその中で煮られる。出ようにも、つかむべき縁がない。その釜の上部は内側に彎曲していて、まわりが全部一様だからである。
673 また鋭い剣の葉のついた林があり、(地獄に墜ちた者どもが)その中に入ると、手足を切断される。(地獄の獄卒どもは)鉤を引っかけて舌をとらえ、引っ張りまわし、引っ張り廻しては叩きつける
675 そこには黒犬や斑犬や黒烏の群や野狐がいて、泣きさけぶかれらを貪り食うて飽くことがない。また鷹や黒色ならぬ烏どもまでが啄む。
676 罪を犯した人が身に受けるこの地獄の生存は、実に悲惨である。だから人は、この世において余生のあるうちになすべきことをして、忽せにしてはならない。
678 ここに説かれた地獄の苦しみがどれほど永く続こうとも、その間に地獄にとどまらねばならない。それ故に、ひとは清く、温良で、立派な美徳をめざして、常にことばとこころをつつしむべきである。
683 (神々は答えて言った)、「無比のみごとな宝であるボーディサッタ(菩薩、未来の仏)は、もろびとの利益安楽のために人間世界に生まれたものたのです、――シャカ族の村に、ルンビニ―の聚落に。だからわれらは嬉しくなって、非常に喜んでいるのです。
684 生きとし生ける者の最上者、最高の人、牡牛のような人、生きとし生けるもののうちに最高の人(ブッダ)は、やがて〈仙人(のあつまる所)ちう名の林で(法)輪を回転するであろう。――猛き獅子が百獣のうちに勝って吼えるように。」
685 仙人は(神々の)その声を聞いて急いで(人間世界)降りてきた。そのときスドットーダナ王の宮殿に近づいて、そこに坐して、シャカ族の人々に次のようにいった、「王子はどこにいますか。わたくしもまた会いたい。」
991 「むかしカピラヴァットゥの都から出て行った世界の指導者(ブッダ)がおられます。かれは甘蔗王の後裔であり、シャカ族の子で、世を照す。
992 バラモンよ。かれは実に目ざめた人(ブッダ)であり、あらゆるものの極致に達し、一切の神通と力とを得、あらゆるものを見通す眼をもっている。あらゆるものの消滅に達し、煩いをなくして解脱しておられます。
993 かの目ざめた人(ブッダ)、尊き師、眼ある人は、世に法を説きたもう。そなたは、かれのもとに赴いて、問いなさい。かれは、そなたにそれを説明するでしょう。」

○「西アジア・インド史」京大東洋史刊行会著(創元社 昭和28年)
○「釈尊の生涯」水野弘元著(春秋社 1960年)
○「原初経典 阿含経」増谷文雄著(「私の古典」 筑摩書房 昭和45年)
○「和英対照 仏教聖典」仏教伝道教会編(仏教伝道教会 1966年)
  
平成24年12月30日作成 第084話