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 1921年 パンジャブ地方のハラッパー、翌年 6000キロ離れたところでモヘンジョ=ダロの遺跡が発見された。インダス文明(前2300年頃〜前1800年頃)の発見である。
 モヘンジョ=ダロ、ハラッパーとも1キロ四方の計画都市であり、自然発生的な都市ではない。前2300年頃、東京でいうと多摩ニュータウン、大阪でいうと泉北ニュータウンのような計画都市が突然出現した。縦横幅の比率が4:2:1で焼かれた煉瓦で作られていた。他に10ほどの小都市が発見されているが、計画的につくられ、この統一規格の焼き煉瓦で建築されている。
 多摩ニュータウンにしろ泉北ニュータウンにしろ目的があって計画的に建設された。どのような経緯目的で、どのような権力者によって建設されたのか不明である。
 後藤健の説によると、インダス文明の都市建設したのは、スサを首都とする原エラム文明であるという。ラピスラズリなどの貴石鉱物を現在のアフガニスタンあたりから輸入し、メソポタミアに送り、穀物を輸入するという交易で繁栄していた。ところが、前27世紀末にシュメール都市国家に侵略され、首都を奥地のシャハダートに移転し、穀物の輸入先をインダス川流域に求め、都市を現地人につくらせたという説である。
スサに首都をおく原エラム文明は、ラピスラズリと穀物の交易で栄えていた。シュメール人(メソポタミア)にスサを奪われシャハダートに首都を移し新たな穀物入手先としてインダス川流域に目をつけ、インダス文明の計画都市を築かせた?
 メソポタミアの粘土板文書に書かれた「メルッハ」はインダス文明をさすといい、古くからメソポタミアとインダス川流域との交易があったことは知られている。強力な王権が遺跡から確認できないとすれば、商業拠点としての計画都市の可能性も否定できない。
 ハラッパーに比べて保存状態のよいモヘンジョ=ダロの遺跡の説明をする。人口は3万から4万であったとされ、前1800年頃破棄されるまで、ほぼ同じ人口をたもっていた。
都市の西北部に小高い丘があり、大浴場、穀物倉、集会場などの公共の建物が集中している。穀物倉庫は、タテ46m×ヨコ25mもあり、通風口も完備されていてきっちりと内部で区画されていてた。インダス川を利用して集められた穀物が、運び込まれ貯蔵されたことが構造上みてとれる。インドでは今でも、沐浴といって水につかって身を清める儀式をおこなう。その儀式を彷彿させる大浴場は、タテ12m×ヨコ7m、深さ2.5mあり、南北には階段が付けられている。2本の井戸から水が供給されるようになっていて、大浴場はアスファルトで水が漏れないようにしていた。長方形のきっちりした形をしている。
 城塞の東側にある市街地域は、直角に交わる大小の道路があり、大通りは13.5mの幅がある。道路は、焼き煉瓦で舗装され、側道には排水溝が整えられていて、汚水だめまで完備されている。びっしりと2階建ての住居が建てられていたが、大通りには、壁だけで出入り口はなかった。大きさは大小さまざまあったが、戸口は路地に向かって開いており、特異なプランとなっている。1階もしくは2階につくられたトイレは、下水口につながれて下水道の本管につながっている。路地には、ゴミ集積場まで備えられていた。ヨーロッパでもつい200年ほど前までトイレがなく、おまるで用を足し、路にそれを捨てていたことを思えば、奇跡に誓い生活水準である。井戸を完備している住居が多くこれも特徴となっている。  
 文字は解読されていない。約四〇〇種類に分類される。四角の印象に動物などとともに刻られた文字のみということもあり、解読されていない。チリ領である太平洋に浮かぶイースター島に伝わる未解読のロンゴ・ロンゴ文字との類似性がみられる。共通の文化圏からつたわったのか。
上段ロンゴ・ロンゴ文字・下段インダス文字(「謎の古代文明」 チャールズ・ベルリッツ著小江・小林訳より)
 インダス川の水運による交易が盛んであったようで、天秤で重さを量るオモリが多数発見されている。また、神々の像や住民の様子を彷彿させる小さな土偶や現在も当地で利用されている去勢牛にひかせる荷車等のミニチュアもある。インドは将棋の発祥の地であるが、将棋の駒と盤のような遊具も発見されている。
 王宮跡は発見されていないのでメソポタミア文明やエジプト文明のような強大な権力をもった支配者がいたかどうかはわからない。インダス文明の前後に豊かな農耕文化があったことは確認されているが、いずこより来たりどのように滅んだのかは解明されていない。
 文明の担い手は、文字によるコンピュータ解析により、南インドに存在するドラヴィダ人がインダス文明を建設したというのが有力な説となっている。
 滅亡の原因については、アーリア人破壊説がある。前1500年頃アーリア人がインドに侵入し、プルと呼ばれる都市に立てこもっていた原住民の文明を破壊し、支配したことがしられているが、前1800年頃破棄されたインダス文明の都市と年代があわない。自然環境説としてインダス川流域の乾燥化の塩害によって、耕作地が破棄されて捨てられてしまったとか、逆に温暖化によって都市生活の必要がなくなり農村に分散されてしまったという説がある。モヘンジョ=ダロ郊外にガラスの町といわれる現地人が近づきたがらない廃墟が、核兵器使用によってできるガラス化す現象であるとして、核戦争で滅んだという説まである。
 いずれにしても、インダス文明崩壊後約1000年インド地域では都市が見られなくなる。エジプト文明やメソポタミア文明との違いである。  

参考図書

○「インダス文明」辛島 昇 他著(日本放送出版協会 昭和55年)
○「人類は核戦争で一度滅んだ」橋川 卓也著(学習研究社 昭和58年)
○「インダス文明の流れ」M ・ウィーラー著小谷仲男訳(創元社 昭和46年)
○「謎の古代文明」チャールズ・ベルリッツ著小江慶雄・小林茂訳(紀伊國屋書店 1974年)
  
平成22年04月24日作成 第064話