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高校生のためのおもしろ歴史教室>世界史の部屋

16.アレキサンダーの帝国

 古代マケドニア王国のアレキサンダー大王(前356年7月20日頃〜前323年6月10日・在位前336年〜前323年)は、歴史上の最大の征服者の一人であるといる。
 韋駄天(いだてん)は、仏法の守護神で、足の速い神とされているが、アレキサンダー大王のアラビア語形のSkanda(イスカンダ−)から来ているという。イスカンダーは二角獣のことをさす。前336年マケドニアの王に即位し、その二年後ペルシア遠征を行い10年余の間に東西4500Kmにも及ぶ地域を征服し、32歳であっという間に病死してしまった。
 フランスではトランプのクラブのキングのモデルとされている。ちなみに、スペードのキングはダビデ王、ハートのキングはカール大帝、ダイヤのキングはカエサルとされており、当時の世界を征服した4人をモデルにしているという。
 
 織田信長は、キリスト教の宣教師から世界地図をもらい、世界の広さを知った。天下布武(日本統一)の後、唐(中国)天竺(インド)までの征服を夢見たといわれている。秀吉の唐入り(中国征服の通路としての朝鮮遠征)は、師信長の路線を継承したことになる。
 当時の日本は、最強の武器である火縄銃を1万丁を持つ世界最強の陸軍国であった。アレキサンダーのような指導者がいれば、インド征服もあり得たかもしれない。日本の不思議な所は、江戸時代になって、武装解除を行い、武器の開発をやめてしまったことである。基本的に日本は平和愛好国家なのである。
 アレキサンダーが13歳になったとき、父のフィリポス2世は、息子の教育の為に哲学者のアリストテレス(前384年〜前322年3月7日)を招いて3年間教育にあたらせた。その後、彼はアレキサンダーの生涯の師として交流をつづけた。
 少年時代からアレキサンダーは、父のフィリポス2世に強烈な対抗意識をもっていた。プルタルコスの英雄伝によると父が戦いに勝利すると遊び友達に
 「なあ諸君、父上はなんでも皆先に取ってしまわれて、私が君たちとしようと思う、大きな立派な仕事は何も残して下さらなくなる」(井上 一の訳による)
といって嘆いていたとある。
 子供の頃の志は大切である。自分はだめだと思っては何もできない。我々と同じ人間が、アレキサンダーのような大征服者になったり、松下幸之助のように大企業の創始者になったりする。まず、自己限定しない「志」こそ大切であろう。

 父のフィリポス2世(在位前359年〜前336年)は、 軍事的天才であった。ギリシアの長槍隊による重装歩兵の密集陣形を改良しローマ軍に敗れるまで200年間、無敵であった戦法を編み出した。この戦法を受け継いだアレキサンダーである。この戦法とマケドニア軍の先頭に立って戦う勇気が、短期間でペルシア帝国を征服することを可能にした。
 フィリポス2世は、前338年カイロネイアの戦いで、ギリシア征服し、歴史を通じてばらばらであったポリスを統一した。いよいよ、ペルシア遠征に出発しようとした矢先にあっけなく、娘の祝宴の席で暗殺されてしまった。
 父の意志を継いで、4万のギリシア・マケドニア軍を率いて前334年グラニコス川の戦いで、4万のペルシア軍と対峙し、騎兵隊の先頭に立って、敵の指揮官ミトリダテスを投げ槍でしとめた。この鮮やかな勝利により、見方の信頼を得る。また、敵に対して恐怖心を植え付けることに成功し、常にアレキサンダー大王自身が、先頭に立って戦い勝利を収めていく。この強烈な意志と勇気無くして短期間にペルシア帝国を征服することはできなかっただあろう。

 前333年イッソスの戦いにおいて、ペルシアのダレイオス3世(在位前336年〜前330年)の率いる10万のペルシア軍に勝利した。
 この後、エジプトに侵入し、前331年アモン(アメン)神の聖地シーワ・オワシスに行く。アモン神殿でアモン神より「わが子よ」と呼びかけられた。エジプトのファラオとなった瞬間である。
 マケドニアの王は、同じ人間で指揮官であったが、アジアの王は、神もしくは神の代理である。アレキサンダーは、エジプトでは、アモン神の子としてファラオとして君臨したのである。アレキサンダー大王は様々な文化を受け入れながら征服をつづけていった。ここで、自らの名を冠した都市アレキサンドリアを建設する。のち40カ所程度のアレキサンドリアが作られたが、最も繁栄したのは、エジプトのアレキサンドリアである。アレキサンダー大王の死後、部下のプトレマイオスがエジプトで独立するが、このプトレマイオス朝の首都として長く栄えた。このプトレマイオス朝の時代に、古代七不思議の一つの「古代ファロス島の大灯台」や、古今東西の70万冊の書物をあつめた古代の大図書館が前288年建てられた。これらは今日、地震による破壊で海の底にしずんでしまっている。
 前331年ガウガメラの戦いでダレイオス3世率いる20万(30万)のペルシア軍と戦い壊滅させる。この後、ペルシアの中心都市バビロン、エクバタナ、ペルセポリスを破壊し、略奪する。
 翌年ダレイオス3世が部下に殺害され、あっけなくペルシア帝国は滅亡するが、さらに、中央アジアに侵入しソグディアナで激しい反撃を受けるがようやく中央アジアを前328年征服する。

 ペルシア帝国を征服したアレキサンダー大王は、次にインド遠征を目指す。アフガニスタンとパキスタンの境目であるカイバル峠を越え、パキスタンにはいり、更にインダス河を越えパンジャブ地方に進軍した。今でもカイバル峠付近にアレキサンダーの道が残っている。山の斜面の細い細い道のように、カイバル峠へ行く道から見えた。ここで、部下の拒否にあってやむなく引き返し前323年スーサに帰還した。
 バビロンに戻ったアレキサンダーは、次にアラビア遠征を計画していたが、熱病に冒され、後継者を定めることなく、急死した。
 死後、後継者たちが継者戦争を起こすが、結局は、マケドニア(〜前146年)、プトレマイオス朝エジプト(前305年〜前30年)、セレウコス朝シリア(前312年〜前64年)に分裂してしまう。いずれもローマ帝国(滅ぼしたときはローマ共和国)に滅ぼされてしまった。
 ペルシア帝国は、メディア帝国、新バビロニア帝国、エジプト帝国を滅ぼし、破壊し、壮麗な建築物を造り、繁栄した。前492年から前479年にかけてギリシアを侵略し、蹂躙し、ポリスを破壊してさった。それから160年余で、今度は逆に、ギリシア軍をまとめたマケドニアによりペルシア帝国は破壊され尽くされてしまう。
 暴力的な闘争の歴史は、どんどん拡大して行き今や、アメリカ合衆国圧倒的な力で世界に君臨している。それに対抗するロシアの国力は衰え、対抗しているのはイスラム勢力と中国になりつつある。
 「剣を持つものは剣によって滅びる」と聖書にある。
 この歴史を、そろそろ終わらさせなければ人類の未来はないと思う。民族に恨みが受け継がれるとしたら、悲惨な泥試合を繰り返し罪障とでも言えるものが積もり積もって今日を迎えてしまった。この悪循環を断ち切らない限り、この先地球的規模の破壊しかもたされないのではないか。
 歴史を学ぶ目的は、この教訓を学び、平和共存のあたらしい文明原理を求めることにあるのではないか。
 「血と汗と涙の闘争」を繰り返し、破壊と建設を繰り返す文明を終わらせて人類悠久の安泰文明を建設するには、破壊と建設の歴史を克服する新しい文明原理が必要であろう。イギリスの歴史家トインビーは「歴史の研究」で未来の切り開き高等宗教の出現を預言した。慧眼というべきであろう。敵味方を峻別する西洋の原理ではなく、敵と味方を深い愛で抱くことのできる深い精神性を持つ、東洋の文明原理の中にこそ人類の未来を切り開く文明原理が出現するのではないか。
 
 しかし、その前に、日本人としてのこの悲惨な侵略と滅亡の世界の歴史を直視し、いたずらに自虐的になり悲観することもなく、自衛した上で、平和共存の道を模索すべきであろう。無防備であれば滅ぼされるというのも普遍の歴史的な事実であることも忘れてはならない。

参考図書

○「ギリシアとローマ」村川堅太郎編著(中公文庫「世界の歴史」第2巻 1974年)
○「アレクサンドロスの征服と神話」森谷公俊著(講談社「興亡の世界史第01巻 2007年)
○「プルタルコス英雄伝 中」プルタルコス 村川堅太郎編(ちくま文庫 1987年)
  
平成20年06月29日作成  第051話