本文へスキップ

高校生のためのおもしろ歴史教室>世界史の部屋

11.ペルシア帝国とゾロアスター教

 古代オリエントでは、紀元前2000年〜紀元前1500年頃にかけて、鉄器をもった、インド=ヨーロッパ語族の進入が始まる。原住地は、南ロシア平原、今日のカザフスタン付近であるとされているが、人口増加により、インドからヨーロッパにかけて侵入を開始した。自らを「高貴な人」つまりアーリア人と呼び、天地創造の神々をはじめとする神々に対する讃歌をもっていた。アイルランドやイランは「アーリア人の土地」を意味する言葉である。
 前609年のアッシリア滅亡後、古代オリエントは、エジプト、メソポタミアの新バビロニア、イランのメディア、トルコのリディアの四国対立時代を迎える。これら四国を滅ぼして古代オリエントを再統一したのは、アケメネス朝ペルシアである。メディアを滅ぼして起こったインド=ヨーロッパ語族のアケメネス朝ペルシアは、キュロス2世によって前550年建国された。カンビュセス2世は、エジプトを前525年に滅ぼし、オリエントは、再統一される。つぎのダレイオス1世(位前522-486)は全国を20の州にわけ、サトラップ(州長官)をおき、「王の目」「王の耳」と呼ばれる監察組織を整え全盛時代を迎える。
 以後、200年間、ギリシアより攻め上ったアレキサンダー大王によって前330年に滅ぼされるまで大帝国を維持することとなる。アッシリア帝国による徹底した武力支配に対して、アケメネス朝はそれぞれの民族の自治を認め、宗教に対して寛大であった。これが、アッシリアが、オリエント統一後短期で滅亡したのにたいして統一が長続きする最大の要因であった。
首都は、イランの古くからの古都であるスサをはじめ、エクバタナ、バビロン、ペルセポリスと4カ所あり、季節などにより使い分けていた
 他民族の宗教に寛大であったアケメネス朝ペルシアの王族の宗教は、ゾロアスター教である。アーリア人固有の神々の信仰を体系づけたスピターマ家のザラスシュトラ(英語:ゾロアスター ドイツ語:ツァラトゥストラ)は、前5000年頃、前1500年〜前1100年頃、前700年〜前600年頃の人と言われていて、年代は不明である。ペルシアの聖者としての世襲名であるとも言われることがある。ゾロアスター教によると、世界には、善と悪の対立があり、やがて善が悪に打ち勝って天国の世界になるという。善の神をアフラマズダといい、光の神でもあり、天地を創造した。悪の神はアンラマンユ(アーリマン)である。アンラマンユは「怒りの霊」を意味する。善が悪に打ち勝つこの世のおわりには、救世主が現れ、アフラマズダに味方した者を天国へ、アンラマンユに味方した者を地獄へ落とす最後の審判が行われるとされている。 
 
有人有翼円盤
(「聖書」F.バルバロ訳講談社刊 昭和55年1674頁)

  ゾロアスターが天山に登り、アフラマズダから神の経綸の啓示をうけて、善なる宗教をおこすよう命ぜられて教えを立てたとされている。バビロン捕囚の時代にユダヤ教に取り入れられ、キリスト教イスラム教の救世主思想、神は光であるということ、楽園伝説、最後の審判などのルーツに成ったと言われている。ササン朝ペルシア(226年〜651年)の時代に教えは、ゾロアスター教の聖典「ゼンド・アベスタ」として整えられた。水の神アナヒータ、太陽神ミトラもゾロアスター教の主要な神として取り入れられている。イスラム教の征服によって少数者の宗教となるが、ゾロアスター教徒は、火を神聖なものとし、1500年前に点火したと言われる火を今も守っている。

松本清張は「火の路」という本の中で、ゾロアスター教がシルクロードを通って日本の飛鳥・奈良までやってきたとしている。東大寺の2月堂のお水取りの行事や火祭りはゾロアスター教が日本に伝わっている証拠としている。また、斉明天皇は、飛鳥を水の都に仕立てたが、これらも水の神アナーヒタ関連施設であり、ゾロアスター教の信仰を形にしたものであると言われている。これらの考えは、文献主義をとる日本の史学では、受け入れられていない。 

有翼円盤にひげを蓄えた人が乗って、下方の王を祝福しているように見えるモチーフのレリーフがアケメネス朝で特に好まれたようである。有翼円盤は、エジプトでは太陽神ホルスの象徴である。メソポタミアでも有翼円盤は、アッシリアをはじめさまざまな王国で好まれたが、太陽神とは別に描かれている。ひげを蓄えた神は、アフラマズダであると解説されることが多いが、アケメネス朝の史料のどこをさがしても、このひげを蓄えた神をアフラマズダとするものはない。19世紀以降、アフラマズダと説明されるようになったとのことである。 

参考図書

○「聖書」F.バルバロ訳(講談社 昭和55年)
 
平成19年04月28日作成 第025話