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羽のついた円盤で表される戦の神アッシュールを守護神とするアッシリアは、民族の入れ替わりが激しく、多くの国が興亡を繰り返したメソポタミアにあって、2000年以上も以上も国を維持した珍しい国家である。はじめは都市国家として、様々な国からから圧迫を受けていたが、紀元前10世紀の終わり頃より大征服時代を迎える。
アッシュール・ナシパル2世(前883〜前859)は、軍事的征服国家として軍制を整え、大征服王とよばれた。彼は、古都アッシュールを捨てて、カルフ(ニムルド)遷都した。

「余は市の門に面して柱を立てた。そして主だった人すべての皮をはぎ、その皮を柱に巻きつけた。ある者はクイに刺して柱の上につき立てた。そして役人どもの手足を切り落とした。……
 そのうちの多くの捕虜を焼き殺し、ある者からは手と指を切り落とし、ある者からは鼻と耳をそぎ落とし、多くの者の目をえぐり出し、若者と娘たちを火の中に投げ込んだ。」(青木賢児による)

これは、王宮の門に彫り込まれた、彼による碑文であるが、アッシリアは、このような残虐な行為を繰り返しながら、メソポタミア及びエジプトを含む宏大にオリエント世界をはじめてエサルハドン(前680年〜前669年)の時代、前671年に武力により統一した。
 センナケリブ(前704年〜前681年)は、前687年にユダ王国の首都エルサレムを包囲したが、旧約聖書「列王記2」第19章35節によると、攻略に係わってたアッシリア兵18万5000名の兵士が、ヤハウェの怒りによって一夜にして死体になったという。話は飛躍するが、同年、中国では、春秋時代の荘公七年にあたり、「春秋」には、「夏四月辛卯(四日のこと)、夜恒星みえず。夜中星隕(お)つること雨の如し」とある。両者とも不思議な記事であり、話は飛躍するが地球規模の大異変がおこったのではないか。 
ライオン狩りをするアッシュールバニパル2世(大英博物館蔵)/リストバンドに菊花紋 
ライオン狩りをするアッシュールバニパル2世(大英博物館蔵)/リストバンドに菊花紋
アッシュールバニパル(前669年〜前626年)は首都をニネベ遷都し、巨大な図書館を造った。粘土板による二万枚の蔵書は発掘されて、聖書の「ノアの洪水」物語と同様の内容を伝えるギルガメッシュ叙事詩の中のウトナピシュティムの洪水伝説を始め、オリエント全体の古代史の資料の宝庫となる。彼自身、シュメール語にも、精通していて「謎めいた洪水以前」の碑文も読めると豪語している。
 アッシリアは、アッシュールバニパル2世の死後急速に衰退し、前612年、新興の新バビロニア・メディア王国の連合軍によって首都ニネベは陥落し滅亡する。2000年の寿命を誇った国が、オリエントを統一して60年で滅びるのである。絶頂期が滅亡への始まりであった。恐怖心を煽って統一を成し遂げた国は、短命に終わる。

 アッシリアの歴代の王のレリーフには、リストバンドがあり、菊の紋章がみらる。
エルサレムの神殿のヘロデ門や、アッシリアを滅ぼした新バビロニア王国の首都バビロンのイシュタルの門にも、16弁の菊の紋章がある。
この菊の紋は、エジプトやメソポタミアの王家でよく使われた紋章である。ウル第三王朝のナラムシン(在位、前2255頃?〜前2218頃)の戦勝記念碑にみられるようにシュメールの都市国家の王家の紋でもあった。菊はオリエントにはなく、この菊花紋は太陽の輝きを表すとされている。生命科学の発達によって、日本人のルーツも分かるようになってきた。日本人の体内のさまざまな細菌の遺伝子解析によって、日本人の先祖にもオリエントからきたものもいるということなので、現在想像する以上に、古代オリエントと日本との交流もシルクロードを通じてあったことが確認されている。
皇室の菊花紋は、承久の乱(1221年)の時に後鳥羽上皇が、初めて用いて定着したとされているが、起源はもっと古いのではないか。天皇家の菊花紋もオリエント地方のさまざまな王家で使用された菊花紋と同一ルーツではないかといっても話が飛躍しすぎることはない。 

参考図書

○「失われた時への旅」NHK取材班 (日本放送出版協会 昭和49年)
○「失われたイスラエル10支族」ラビ・エリヤフ・アビハイル著鵬一輝訳(学習研究社2005年)
○「古代殷帝国」貝塚茂樹編(みずず書房 1967年)

平成19年04月18日作成 第023話