統一王国としてのイスラエル王国は、サウル王からソロモン王までの3代約90年であった。分裂200年で北のイスラエル王国(前928年〜前722年)は、前722年アッシリア帝国のサルゴン2世によって滅ぼされ、王国を形成していた十部族の人々は、首都のニネベなどに連行された。前612年にアッシリア帝国は新バビロニア王国(カルデア王国)などの連合軍に滅ぼされ崩壊したが、結局これら十部族の人々はイスラエルに帰還することはなかった。歴史の中で消えていったので「失われた十部族」といわれる。「失われた十部族」の行方については、様々説があるが、本体はシルクロードの終点である日本にいるという有力な説を資料として紹介する。
南のユダ王国は、400年余ダビデ王家による独立を保ったが、結局、新バビロニア王国のネブカドネザルによって滅ぼされた。
この時、ソロモンの造ったヤハウェの神殿(第一神殿)は、破壊され尽くされた。戦利品のリストのなかに、神殿の至聖所に安置されていたはずの「契約の箱」は無かった。つまり、破壊される前に何者かによって持ち去れていたのである。「契約の箱」の「箱」は、英語で「アーク」という。「失われたアーク」は、世界中が探している世界の至宝である。
二部族の人々は、首都であるバビロニアに連行された。これを「バビロン捕囚」(前586年〜前538年)という。
アブラハムに神の祝福があって以来、北のイスラエル王国、南のユダ王国が滅びるまでの間、古代ユダヤ民族の危機に際して、ヤハウェ神の言葉を伝える預言者たちが、民衆を指導した。「バビロン捕囚」の時代に、古代ユダヤ民族は、神から選ばれた特別な民族であるという強烈な選民思想をもつユダヤ教が、民族の苦難の中で成立する。ユダヤ教の聖典である「旧約聖書」の多くの書やモーセの伝えた口伝律法をまとめたとされるタルムードが編纂されたのもこの頃である。また、国なき民であることを踏まえ、古代ユダヤ民族の宗教による指導組織も整えられて、のちにはサンヘドリンとして知られる組織となる。
サンヘドリンはローマ帝国支配下のユダヤにおける最高裁判権を持った宗教的・政治的自治組織であり、伝説ではモーセの時代からあるという。71人の長老たちから構成され、1人が議長、1人が副議長、69人が議員であった。
ユダ王国を滅ぼした新バビロニア王国も、アケメネス朝ペルシア帝国のキュロス2世に滅ぼされた。キュロス2世は、「バビロン捕囚」からユダ王国の人々を解放し、エルサレム帰還を認めた。この時解放された二部族の人々が、現在のユダヤ民族のルーツとなる。この後様々な支配者のもとで、古代ユダヤ民族は王国を形成したり、属州としてイスラエルの地に住み続ける。ローマ帝国の支配に対してヤハウェ神の加護を信じて反乱を繰り返したが、紀元135年の反乱を最後に、古代ユダヤ民族は、イスラエルに住むことを禁止され、世界中に散らばることとなる。
「バビロン捕囚」から帰った人々は、アケメネス朝ペルシア帝国の寛大な宗教政策により、前515年喜びに中でヤハウェ神の神殿を再建する(第二神殿)。この神殿はローマ帝国支配下のヘロデ王家の下で、大幅に拡張されるが、紀元70年のローマ帝国に対する反乱の鎮圧後、徹底的に破壊し尽くされる。
現在、「嘆きの壁」と呼ばれる、離散後のユダヤ民族の心のよりどころとなっている神殿の壁は、このヘロデ王家の改築によるものである。
参考図書
○「古代ユダヤの大預言」小石豊著 日本文芸社 平成9年刊
「なかでもヘブライ大学のベン・アミ・シロニー教授が、日本の天皇に持つ敬慕心の暑さは相当なものです。教授が日本で出版された四冊の本、『天皇陛下の経済学』『誤訳される日本』、『ミレニアムからの警告』(光文社刊)、『ユダヤ人と日本人』(日本公法刊)全体を貫いているものは、まさに天皇に対する敬慕心そのものです。
教授は天皇を、神話・伝承・伝統を保持する権力なき統合の「生きている象徴・リビングシンボル」、「不動の止め針」であり、「人類的父天皇の存在は、未来に備えた保険証書である」とまで明言されています。
そおなかから、印象的なことばを引用してみましょう。
「千五百年以上前の統一国家としての歴史が始まって以来、現在まで、日本の頂点には各目上皇室というものが存在している。その実際の権力といえば、中国の朝廷や西洋の王家のもっていた権力にくらべると矮小なものであったが、その神聖さと崇高さは比類のないものであった。
皇室がこのように長く維持されていることは、世界史においても特異な現象であり、説明を要するであろう。
……それは天皇制が他の何者も果たすことのできなかった重要な役割と機能を果たしたからである。すなわち単なる君主としてではなく、抑制という日本の政治システムが最高に凝縮された形の象徴としてとらえねばならない。最も高い地位についた者が、最も厳しい抑制を強いられたのである。
……国歌の父であれば、天皇は権力を用いずにその地位のもつ徳によって国を治めることができた。これが天皇家を長く存続させた重要な要因であった。
……万世一系には傑出した人物は出なかった。いかなる時でも日本が一つの国家として在り続けることができたのも、その頂点に全国を一つに統合する不動の止め針が刺されていたからなのである」
◎ダビデの直系は東方へ移動し、やがて日本に渡来して天皇になった?
こうした考えを統合しますと、「ユダの直系が日本に来て天皇家を形成し、ダビデの血統を保存しているかもしれない」という願望が垣間見えます。
紀元前1000年、神はダビデに対して、
「あなたの家とあなたの王国とは、わたしの前にとこしえまでも続き、あなたの王座はとこしえまでも堅く立つ」(「サムエル記」第二 七16)
と約束されました。その後、ダビデ王朝はゼデキヤ王がバビロンに捕囚された紀元前587年まで続きましたが、それ以後まったく途絶えたまま今日に至ったのです。そのゼデキヤの子孫の情報も途絶えてしまいました。
私たちクリスチャンは、そのダビデの永遠の王権はキリスト・イエスに受け継がれていると霊的に解釈しますが、ユダヤ人はそうではありあせん。彼らは「ダビデの血筋は神のみが知っておられる方法で、地上のどこかの民族か個人に継がれているに違いない」と考えているからです。
ですから、百二十年前、日本が世界の檜舞台に飛び出した頃から、ユダヤ人はこの国の神秘な王権、「万世一系の天皇」という不思議な存在に注目していたのでした。
しかもこの国は、ユダヤ人のバビロン捕囚後ほどなくアジアの極東にある列島に始まったわけですから、時代的にもぴったりです。
私は失われたイスラエル十部族が日本にきた可能性を信じています。
十部族とは、…アブラハム・イサク・ヤコブの子孫で、ヤコブの十二人の子供がそれぞれ十二の部族をtくり、有名なソロモンの次の時代に南朝ユダ二部族と北朝イスラエル十部族にわかれていた民族のことです。
その十部族はルベン・シメオン・ザブルン・イッサカル・ダン・ガド・アシュル・ナフタリと、ヨセフの息子のエフライム・マナセです。ヨセフは父ヤコブに愛され、祝福が集中していました。
その民族が紀元前700年代にアッシリア連行後、行方不明になったのでした。
というわけで、私はとくにエフライム・マナセ族の祝福された神聖な血筋を高く評価し、レビ民族のなかからアロンの家が選ばれたように、エフライム・マナセから司祭職が選ばれ、そのなかから天皇のような指導者が生まれたのではないかと考えてきました。しかし、一部のユダヤ人は、南朝ユダ二部族(ユダ・ベニヤミンと、数えてはならないレビ族)で、東ユダヤに残された者の子孫が日本の天皇を形成したと考えています。」(P185〜P190)
「そこでイスラエル十部族がアッシリヤに連行され、やがて東方に行方不明になった後、しばらく経てから東ユダヤの一つの集団も東を目指して進み、相互に同族であることがわかって一つになったと考えるのはどうでしょうか。エフライム・マナセ族が中心となって東ユダヤのダビデ王家の者を王に迎え、指導者としたことも考えられます。」(P190 )
○「聖書」新改訳(日本聖書刊行会 1970年)
○「旧約聖書ものがたり」ジャック・ミュッセ著田辺希久子訳(創元社 1993年)
平成18年12月23日作成 第013話