本文へスキップ

高校生のためのおもしろ歴史教室>世界史の部屋

06.エジプトの「死者の書」

 エジプトは多神教の世界であった。中心となる神は、古王国では、天地宇宙を創造し、世界に秩序を維持しエジプトの繁栄をもたらす太陽神ラーであった。中王国では、隠れたる物とされたアトム神。新王国になると首都テーベの守護神アメン神が国家の守護神となった。エジプトの王であるファラオは太陽神ラーの子とされ、神そのものであった。ファラオとは大きな家を意味し、日本の古代天皇のことを帝(御門=大きな門のある家に住まれる方)といった事に類似する。日本の天皇も、太陽神アマテラスの子とされた。シルクロードを通じての交流があったのか。 
神々の中で、オシリス神は、あの世をつかさどる神であった。 人は死ねばどうなるのだろうか。日本では、三途の川を渡って、此岸(しがん=この世)から彼岸(ひがん=かのきし=あの世)にゆき、閻魔(えんま)大王の審判を受け、極楽に行くか地獄に行くか決まる。生前の行いが閻魔大王の前では隠すことができないという。
「最後の審判」 左側に死者の心臓がある。

 古代エジプトの「死者の書」は、死んだあと、どのような試練がまっているかを教えるあの世の解説書であり、また、最大の試練であるオシリス神の法廷で審判をうまく乗り切りる為の手引き書である。「死者の書」は、その抜粋が遺体を入れる棺やミイラをまく包帯に挟み込まれた。エジプトの各州の守護神である42の神に「わたしは不公平をしたことはない。」「わたしは、盗みをしたことはない。」「わたしは、他人を殺害したことはない。」「わたしは他人を欺いたことはない。」「わたしは、嘘を言ったことはない。」等々と「否定告白」をして行くことによりオシリス神の法廷の審判を切り抜けられると説くのであるが、ことばには力が宿るという言霊信仰があることがうかがえる。同時に古代エジプトでは文字も神聖なものとされていた。 古代エジプトでは、心臓は、個人の徳と不徳を計量することのできる唯一の臓器であるとされていた。あの世を司る神オシリスの法廷で、真理神マートの羽と死者の心臓が天秤にかけられ、真理の羽より重ければ、罪深く不徳の人で、アメミットとよばれる怪物に食べられて、魂が破壊されてしまう。真理の羽と釣り合いがとれれば、好みの生物に転生できるとされていた。魂は帰る肉体があれば、永遠に生き続けることが出来るとされミイラを造って保存していた。
 

参考図書

○「エジプトの死者の書」(石上玄一郎 1980年 人文書院)

  世界の古代文化を代表するエジプトやシュメール、あるいはインダスの人々はみな、その土地で文化を創造したのではなく、すべて伝播者であったとするならば、その源流ははたして何処かということになるが、それは今日のところやはり謎でしかない。ただ太古にこれらエジプト、シュメール、インダスなどをも包含する一つの文化圏があったことだけはほぼ確かであろう。  それは、古代エジプトの宗教儀式、慣習、来世観と仏教のそれとの間に否定すべからざる類似である。それを「偶然の一致」とみるにしては、両者の間にその頻度が多すぎるのだ。 …
  例えば西方極楽浄土の思想についてであるが、この起源を私はインダス人の太陽崇拝からきているものと推定する。そして同じ太陽崇拝の民族であったエジプト人にも、これと同様の宗教思想があった。「彼らの墓が大はファラオの墓であるピラミッドから一般庶民のそれにいたるまで、みなナイルの西岸つまりリビアの砂漠中にあって東方に一つもないのは、死者が太陽の没する国にゆくという思想がよほど一般的なものであったに違いない」と村川堅固氏は述べている。 … インドにおける蓮華、エジプトにおける睡蓮崇拝の類似も太陽崇拝から来ているかもしれない。先王時代のメネス以前、国は南北両朝に分かれていて、南王国は白家と称し、睡蓮を紋章としていた。
  最後に考えられるのはエジプトにおけるオシリスの庁の裁判と、仏教における閻魔(えんま)の庁の裁判との類似であろう。(P13〜P17抜粋)

○「聖書」新改訳(日本聖書刊行会 1970年)○

平成18年09月22日作成  第004話