「歴史認識の問題 その12」は、いわゆる「従軍慰安婦問題」です。韓国の姿勢及び韓国の主張を支援して日本を糾弾する日本の「支援者」の姿勢はほぼ、一致しているように思いますが、これらの主張を受け入れることはできないという日本政府とは、事実認識が違うか、思想信条が根本的に違うので議論はかみ合いません。
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日本大使館前の「従軍慰安婦」少女の像
韓国の『従軍慰安婦』問題で日本を糾弾する運動主体『挺対協』は、挺身隊(日本でいう女子学生を軍需工場で働かせた勤労動員)と従軍慰安婦(当時合法であった管理売春婦)を同一のものと誤解したうえで、「20万人の少女(15歳のブロンズ像の根拠)を強制的に拉致したうえで性奴隷として日本軍人にレイプさせつづけたのが従軍慰安婦である」との主張を世界に広め、これが「世界の記憶」として定着しました。そして、この誤解から始まった嘘の主張を根拠として、国連の『クマスラワミ報告書』や『アメリカ下院の慰安婦問題決議』などが行われ、今なおこの主張を認めない日本に対する世界中の非難が拡大しつづけています。 |
「帝国の慰安婦 植民地支配と記憶の闘い」朴裕河著(2014年 朝日新聞出版)をもとに、韓国の姿勢及び韓国の主張を支援して日本を糾弾する日本の「支援者」の主張を確認したいと思います。
まず、韓国の世論形成に主導的な役割を果たしてきて、韓国国民が信じ抗議活動の根拠としている「韓国挺身隊問題対策協議会」の主張について、問題の核心なので少し長くなりますが引用します。
『一九九〇年代に入り「従軍慰安婦問題」が発生したあと、「慰安婦」をめぐる韓国における集団記憶を形成し固めてきたのは韓国の支援団体「韓国挺身隊問題対策協議会」(以下、挺対協)である。慰安婦問題に関する研究書や論文は少なくないが、「挺対協」は韓国内で「慰安婦」に関する情報提供者として絶対的な中心的位置に存在してきた。そして挺対協の運動は成功し、今や〈強制的に連れていかれたて性奴隷となった二〇万の少女〉の記憶は、〈世界の記憶〉となった。
実際に挺対協は、「慰安婦」のことを「第二次世界大戦前から一九四五年までの間、日本政府によって強制連行・拉致され、日本軍の性奴隷生活を強いられた女性」とホームページで説明している(二〇一二年七月現在。その後修正が加えられたが、修正前の説明がそれまでの二〇年にわたっての韓国の記憶を作ったので、修正前の資料をそのまま使うことにする〉。あわせて「挺身隊」についての説明もあって、「日本帝国主義の戦闘力強化のために特別に労働力を提供する男女組織全てを指す名詞」と説明している。「慰安婦」と「挺身隊」は同じではないことを、きちんと説明しているのである。二〇一〇年に出された挺対協の現・代表の著書(ユン・ミヒャン(尹美香)二〇一〇)にも、その差異は言及されている。
実のところ、慰安婦問題の発生以来、その二つの概念が同じではないことを早くから指摘されてきたから(アン・ビョンジョク(安秉直)一九九二、イ・ヨンフン(李栄薫)二〇〇八ほか)、そういう説明があるのは当然でもある。ところが「挺身隊問題対策協議会」が活動初期に、挺身隊を慰安婦と勘違いしたことについては触れれていないのである。一九九〇年代の活動初期の新聞などに載った写真には「挺身隊問題について謝罪せよ」とあって、初期の頃は慰安婦のことを「挺身隊」と考えていたことがわかる。
挺対協の初代会長ユン・ジョンオク教授をインタビューした記事には次のような文面が見える。
「一九四三年梨花女子専門学校の一年生の時、ある日学校は一年生の学生をみんな地下の教室に集めては紙を一枚ずつ配って、下の隅のところに指で判を押させた。挺身隊招集状だった。その年代半ば。日本の記者千田夏光がかいた『怒りの季節』(千田の本ではない―引用者注)という本の中で「従軍慰安婦」を発見したことがきっかけとなった。」(『ミズ来日』一七一号、二〇〇四年三月、シン・ミンギョン記者)
判子を押すことを強制したというこの招集は、文字通りの「挺身隊」に関する場面のはずだ。学校で判子を押したというような状況は、慰安婦たちの証言には出てこない。ここでの場面は貧しく教育システムから外れていた階層の女性を田舎や都会の道端でかどわかしたり、新聞に広告を出すような募集方法とはあきらかに異なる。
当時すでに挺身隊の行くと慰安婦になるという誤解があったから(藤永壯二〇〇〇)、場合によっては当時のユン教授もそのようなうわさを聞いていたかもしれない。また、実際に挺身隊にいったあと、慰安婦になるケースもあったから、そのうわさが必ずしも嘘だったわけではない。
おそらく、このような混同が生じたのは、実際のケースに基づくものではなく、そのような「うわさ」自体によるのだろう。第一部第一章5「植民地の〈嘘〉」で述べたように、植民地特有の恐怖がそのような嘘を誘発した可能性が高いのである。
いずれにしても、ユン教授が見た本は、慰安婦に関する本だった。そしてその本を見て昔のことを思い出して各地の慰安婦の調査に出たという話は、ユン教授が挺身隊をそのまま慰安婦と同じものと勘違いした可能性を示している。
問題は、当時の心理的な〈嘘〉や錯覚自体にあるのではない。その後の調査過程、あるいはその後の運動過程の中で挺身隊と慰安婦が同じ存在ではないことを知る機会はあったはずだ。しかしそのことが今日まで公に知られることなく、いまだに挺身隊=慰安婦の図式が韓国社会に根強く存在していることである。「八一年に韓国日報に挺身隊おばあさんを探して歩いた記憶を連載」(『ミズ来日』)することから始まったユン教授やその後の団体の活動は、三〇年以上の歳月を経ながら〈日本国家が幼い少女を強制的につれていって慰安婦にした〉とのそれまでの一部の記憶を〈公的記憶〉にした。
いまや小学生までもが水曜日デモに参加したり、記憶館を訪ねるなど積極的に関わっているが、そのような混同が公式に是正されたことはなかった。しかも、ホームページや博物館の展示内容では、すこしずつこれまでの記憶を修正しながらも、そのような認識の変化を公式に知らせたこともない。
性を媒介とした日本軍と朝鮮人女性の関係は、しいて区別すれば文字通りのレイプを含む拉致性(連続性)性暴力、管理売春、間接管理か非管理の売春の三種類だったと考えられる。オランダ人、中国人などを含む「慰安婦」たち全体の経験はこの三種類の状況を併せ持つものと言えるが、朝鮮人慰安婦の体験は、例外を除けば管理売春が中心だった。しかし韓国では、これまで中国やフィリピンなどの戦場や占領地で主に行われた拉致性売春や強姦も朝鮮人慰安婦の中心的経験と伝えられてきた。
言うまでもなく、日本国家が慰安婦を必要とし、植民地となったがために朝鮮半島の人々がその対象として動員されたという意味では、構造的な〈強制性〉は存在した。しかしあくまでも慰安婦を「日本政府によって強制的に連行・拉致され、日本軍の性奴隷生活をした女性たち」とする挺対協の説明は物理的強制性のみを国民にイメージさせてきたのである。』(p136~p133)
次に、従軍慰安婦問題を韓国の主張に同調して、世界にむかって犯罪性を強調している日本の支援者たちの視点については、以下のように述べています。
『日韓の支援者たちは、基金(※従軍慰安婦のためのアジア女性基金)は天皇制の戦争犯罪と捉え、慰安婦問題の「運動」を天皇制批判へとつなげるようになる。韓国人の中には日本の戦後における天皇制批判は『慰安婦』たちが始めた(ユン・キョンウォン「知日派が知らない日本」「京郷新聞」二〇〇七年五月三日付)とまでいう研究者が現れたのもその流れのことである。
支援者たちが、政府内の〈合意〉の結果として作られた基金を批判しながら、慰安婦問題を教育基本法や君が代問題とも結びつけて、戦後処理や帝国主義を全面的に問うようになったのは、従軍慰安婦問題を日本特殊のことと理解し、その責任を天皇に求めたからだった。二〇〇〇年代に入って慰安婦問題に対する否定者を含む右翼の反発が強くなったのは当然と言えるだろう。すでに左翼と右翼の闘いの様相になっていた慰安婦問題が、その後いわゆる「歴史認識論争」の中心におかれることになった決定的な原因はそこにある。「先祖を辱めるのか」といった、アイデンティファイ作用を容易にする問題だったことも手伝って、慰安婦問題が冷戦終焉後の日本国内の左右の対立を顕在化させた〈内部冷戦〉になっていったのもその結果と言えるだろう。
しかし、その認識の正しさ如何はともかくも、慰安婦問題が本格的な歴史認識論争と結びつけられる限り、左右に分裂するほかなく、そのような議論が、日本国民の合意を導きだせるはずがない。実際に、九〇年代の歴史認識論争は、最初は単なる素朴な疑問から反発していた否定論者たちを本格的に反発させ、単なる左翼嫌いや朝鮮嫌いをも吸収しながら二〇〇〇年代以降、慰安婦問題を含む本格的な韓国批判書「嫌韓流」のような漫画が大ベストセラーになるような状況を導いた。二〇一三年、韓国人や在日朝鮮人に対してヘイトスピーチを繰り広げている在特会(在日特権を許さない市民の会)が動き出したのも、ちょうど二〇〇〇年代の後半からだったのは象徴的だ。
支援者たちは、天皇に象徴される大日本帝国に対する徹底的な反省と、それに基づく日本の社会改革を目指していた。』 (p265~p266)
この日本の支援者の視点は、コミンテルン史観、戦争犯罪宣伝計画の内容そのものです。つまり、従軍慰安婦問題を客観的にとらえたものではなく、天皇そのものを否定するために従軍慰安婦問題で天皇の責任問題を問うというプロパガンダ(宣伝)そのものです。
「帝国の慰安婦 植民地支配と記憶の闘い」の著者の視点は、「台湾と朝鮮に対する植民地支配」により収奪したという韓国側から見た歴史認識を前提としているので、植民地支配そのものが悪いのであるから、韓国の「挺対協」の誤解からはじまった捏造である「強制的に連れていかれて性奴隷となった二〇万の少女」という嘘を容認しています。
韓国がこの嘘を確信的に広め、世界に日本の冤罪を発信するということについては、自国の利益のためには嘘を平気で真実とする国であるということに気が付けば、十分ではないかと思います。さらには、日本の支援者の立場も、当然のことながら意見を韓国と同一のものとしているように感じます。
繰り返しますが、韓国が国連に働きかけ、世界中の世論に働きかけ「強制的に連れていかれて性奴隷となった二〇万の少女」をいう嘘を必死で宣伝していることは、国家の生存をかける弱肉強食の現今の国際情勢では当然のことだとも思います。それだけでは、世界の真実であると認定されることはなかったでしょう。しかし、この捏造に国内の支援者の援護があることにより、世界は真実であると信じてしまったと考えます。
結語です。突き詰めれば、 従軍慰安婦問題は、天皇を廃止しようとするコミンテルン史観をいかに克服するかという国内問題であるといえます。
日本人が「コミンテルン史観」、「戦争犯罪宣伝計画」による洗脳から解き放たれ、日本のすばらしさ—「天皇について」、「東亜百年戦争(1853年から1952年)」の苦難の歴史、「世界標準と日本標準」、「神国日本」、「ユニークな『日本文明』」など―にめざめるとき従軍慰安婦問題は、雲散霧氷するのではないかと思います。その意味において韓国を責めるのは間違いであると信じます。
参考図書
○「帝国の慰安婦 植民地支配と記憶の闘い」朴裕河著(朝日新聞出版 2014年)
○
「慰安婦」に関する補助教材について (平成27年10月28日付 大阪府教育委員会HPより)
○「かくて昭和史は甦る 人種差別の世界を叩き潰した日本」渡部昇一著(クレスト社 平成7年)
「誤解されている従軍慰安婦の実態
最近、とくに問題になっている従軍慰安婦問題に関しても同じである。これは問題が問題であるので、口にしにくいことなのだが、あえて「国益」のために事実を指摘しておきたい。
日本や韓国のマスコミは、戦時中、日本軍がコリア女性を従軍慰安婦にしたことに対して、戦後補償せよと主張しているが、これもまた無数の誤解と無知に基づく言い分である。
第一、従軍慰安婦という言葉自体、なかったのだ。従軍看護婦、従軍記者、従軍画家など、「従軍」という語は、「軍属」という、れっきとしたステイタスを示すものであった。売春婦は軍属ではない。強いて言えば戦場慰安婦、あるいは「軍」慰安婦であろう。
そもそも「軍」慰安婦というのは、何のためにあったか。
それは、占領地区の婦女子と日本軍兵士との間に問題が起こるのを避けるために行われたのである。
戦場では略奪と強姦が起こりやすい。これは日本軍に限った話ではなく、世界中の軍隊に共通した話であった。このような忌まわしいことが起きないように、自前の売春婦を連れていくということになったのが、「軍」慰安婦の起こりである。
その意味では、日本軍はむしろ良心的であったと言ってもいいであろう。なお断っておくが、戦前の日本において、また戦後も昭和三十三年(一九五八)まで、さらに世界の大国おいては今日でも、売春は合法なのだ。
しかも、「軍」慰安婦は日本軍が直接集めたものではない、そもそも軍隊という官僚組織は、慰安婦を集めるということに馴染まない。そこで、売春斡旋業者に委任して、人集めを行なうということになったのは当然の成り行きであろう。
マスコミの「軍」慰安婦報道は、まったくこうした点を無視している。
たしかにコリア人で「軍」慰安婦になった人はいたであろう。しかし、その人たちを集めたのは、日本軍ではない。それをやったのは、おそらくコリア人の売春斡旋業者である。
戦前の日本でもそうであったように、貧しい女の子を集めるのだから、農村に行って親と交渉するということになる。これは同じコリア人でなければ務まらない仕事である。
ここに朝日新聞(平成五年九月二十日)の記事がある(下写真)。朝鮮人強制連行問題を研究している高校教師髙橋信氏たちが発見した「軍」慰安婦の募集広告を取りあげたものだ。この募集は、戦争も最終局面に入った昭和十九年十月下旬から十一月上旬にかけて行われた。
朝日新聞や髙橋氏らは、日本を非難するつもりで、この資料を出しているらしいが、これからでも次の事実が浮き上がってくる。まことに「朝日新聞よ、語るに落ちたり」である。
まず第一に、これは「募集」であって、強制ではない。
第二に、「契約」および「待遇」について「面談」して決めることになっている。
第三に、希望者の連絡先は「旅館」にいる許という人物(おそらくコリア人)である。
朝日新聞の意図に反して、まさに「強制連行でなかった」ということを示す第一級の証拠資料ではないか。
この広告の許という人物は、おそらくコリア人の売春婦斡旋業者、つまり女衒(当時は、警察の鑑札を持った合法的業者)であったのであろう。かつて吉田某なる人物が、戦争中に済州島で慰安婦の強制連行をやったという告白記を書いたが、それは嘘であったらしく、当人は今、どこにいるのか姿を隠していると聞いている。
しかも、コリア人女性だけが従軍したのではない。同時に日本内地の女性も働いていたわけであり、あたかもコリア人だけを差別しているかのごとき印象を与える報道は、まったくのミス・リードである。
さらに言えば、「軍」慰安婦たちは、その報酬としてカネを受け取っているのである。
ある体験者の手記によれば、一回が二円だったということである。一日一〇回として二〇円。一週間六日働いたとすれば、一二〇円になる。一ヵ月で、ざっと五〇〇円。当時、東大卒の月給が七〇円ぐらいであるから、売春業者のピンハネがあったとしても、これはむしろ、飛びきり高給の部類に属すであろう。
戦争初期のころの「軍」慰安婦たちはカネを貯めて故郷に帰り、家などを建てて親孝行した例も少なくないと聞く。コリアの女性は戦前の東北の少女たちのごとく親孝行であり、「身を売る」ことを恥と思わない面があった。
もちろん、戦場に赴くわけだから、そこで砲火の犠牲になった方もおられるだろう。これは、まことに気の毒な話であるけれども、そういうところで亡くなった人はコリア人女性ばかりではない。同じように日本女性も亡くなっているのである。
日本とアメリカのどちらが文明的か
この問題を考えるうえで、敗戦後、日本の進駐してきたアメリカ軍が何をしたかということも大いに参考になるであろう。これについては、当時、東京都の渉外部長であった磯村英一氏の貴重な証言がある。その一部を、ここに引用したい。
「敗戦の年のクリスマス、司令部(GHQ)の将校から呼ばれて”ヨシワラ”の状態の報告を命ぜられた。もちろん、その地区は焦土と化していた。命令は宿舎を造って、占領軍の兵隊のために、”女性”を集めろということだった。
命令は英語で”レクレーション・センター”の設置である。最初は室内運動場の整備だと思ったが、そうではない。旧”ヨシワラ”のそれであった。(中略)
やむを得ず焼け残った”地区”の人々に、文字通り、食料を支給すると約束してバラックを建て”サービス・センター”に来てもらった。その理由として、日本の”一般の女性の操”を守るためにといって頭を下げた」(産経新聞「正論」欄・平成六年九月十七日)
日本軍は被占領地で売春婦を募集しなかった。その代わりに業者を通して自国の女性を集めて、「軍」慰安婦とした。
これに対して、アメリカ軍は占領している日本で「軍」慰安婦を集めようとした。言うまでもなくが、当時のアメリカにも職業的売春婦はいたのである。そうした女性を連れてきて、被占領地の日本女性に迷惑をかけまいとする姿勢があってもよかったのではないか。ところがアメリカ占領軍は、東京都渉外部長たる磯村氏に、前述の許氏のような「女衒」の役を命じたのである。
いったい、日本とアメリカのどちらのやり方のほうが”文明的”であるか―「軍」慰安婦問題をいうのであれば、ます、このような事実を見てから発言していただきたいものだ。」(p186~p191)
○「大東亜戦争を知らない日本人へ」田母神俊雄著(ワニブックス 2015年)
「議題の俎上にも載らなかった「慰安婦問題」
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ところで、今年は「日韓基本条約」が結ばれてからちょうど五〇年の節目の年でもある。この条約を結ぶにあたっては、五一年からら六五年まで予備交渉を一四年にもわたって延々とやってきた。
韓国が不法占拠を続けていた竹島をめぐる漁業権の問題、文化財返還問題、そして戦後補償(賠償)の問題などさまざまな点を検証し、日本が賠償すべき項目、しなくてもいい項目を事細かに決めていったのである。
その一四年間の予備交渉の中で、実は「慰安婦」に関する問題は一度として出たことはない。慰安婦の問題が、現在いわれているような大問題だったとしたら、当時議題として出てきてもいいはずだが、一度も俎上に載せられたことがないのである。それはなぜか?簡単なことである。慰安婦問題などなかったからだ。
それを今頃になって韓国が蒸し返しているのは、あくまで外交交渉の手段として言っているだけに過ぎない。これはとんでもない言いがかりである。そもそも日韓基本条約では、韓国の日本に対する一切の請求権の完全かつ最終的な解決が謳われている。
朝鮮半島を日本が合法的に統治したのは、一九一〇年から三五年間である。他国に支配されるのは我慢ならないことだったと理解できるが、その間の日本の功績をいっさいなかったことにするのはいかがなものであろうか。
誤解を恐れずに言えば、朝鮮半島はその後、ソ連か中国に一度支配されれば良かったのかもしれない。そうでもしないと、本国に勝るとも劣らない朝鮮半島統治に力を注いだ当時の日本政府の政策は、とうてい理解できないだろう。」(p66~68)
◎(朝鮮日報日本語版) 「『帝国の慰安婦』は人格権・名誉権侵害、学問の自由を逸脱」 ヤフーニュース(平成27年11月20日)
従軍慰安婦を「自発的売春婦」「日本軍の協力者」と表現した『帝国の慰安婦-植民地支配と記憶の闘争』の著者、朴裕河(パク・ユハ)世宗大学教授(58)が、ついに裁判にかけられることになった。
ソウル東部地検刑事第1部(部長:権純範〈クォン・スンボム〉部長検事)は18日「朴教授を名誉棄損(きそん)の疑いで在宅起訴した」と発表した。
検察によると、朴教授は2013年8月に出版した『帝国の慰安婦』初版で、客観的資料に反する虚偽の事実を摘示し、元従軍慰安婦の名誉を棄損した疑いが持たれている。
朴教授は『帝国の慰安婦』で、従軍慰安婦は基本的に売春の枠組みの中にいる女性や自発的な売春婦であって、日本軍に誇りを持ち、日本軍と同志的関係にあったという記述を行った。
朴教授は、著書に「朝鮮人慰安婦の苦痛は日本人娼妓(しょうぎ)の苦痛と基本的に異ならないという点を、まず理解する必要がある」と記した。
また「実際に金をもうけた人は少なかったが、基本的に収入が予想される労働であって、そうした意味では『強姦(ごうかん)的売春』もしくは『売春的強姦』だった」と表現した。
検察は、著書の記述のうち、従軍慰安婦が「売春の枠組みの中にいる女性や自発的な売春婦」「日本軍に対する誇りを持ち、日本人兵士を精神的・肉体的に慰める同志的関係にあった」という部分について、客観的資料に反する虚偽の事実だとコメントした。
検察は、従軍慰安婦は被害者であると認められ、日本軍に自発的に協力していないことは客観的事実であって、朴教授が虚偽の事実を摘示して元慰安婦の名誉を棄損したと判断した。
検察は、1993年8月4日の河野洋平官房長官の談話、96年1月4日に発表された国連人権委員会のクマラスワミ報告、98年8月12日に公開されたマクドゥーガル報告、2011年の憲法裁判所決定などを根拠に挙げた。
検察の関係者は「朴教授の表現は、被害者の人格権と名誉権に重大な侵害をもたらし、学問の自由を逸脱した。良心の自由、言論・出版の自由、学問の自由などは憲法が保障する基本的な権利だが、朴教授の表現は元慰安婦の社会的価値と評価を著しく、かつ重大に阻害するもの」と強調した。
昨年6月、元慰安婦11人が「本を書いた朴教授と発行した出版社の代表を処罰してほしい」と検察に告訴状を提出した。
検察は、出版社の代表については嫌疑なしとした。
平成27年11月23日作成 平成28年02月11日最終更新 第110話