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「歴史認識の問題その4」は、「教育勅語と軍国主義」についてです。

 教育勅語が素晴らしかったといいますと、日本を軍国主義に導いた元凶であるという議論になります。しかし、教育勅語は、日本を軍国主義に導いたのではありません。そもそも軍国主義は、国家を護るための理念ですので、悪ではありません。国防のために軍隊を持つのは当然のことです。軍隊を整備することを軍国主義と呼んでタブー視しているのは日本のみです。マッカーサーですら、戦後上院の外交委員会で日本の戦争は自衛戦争であったと言い切っています。したがって、自衛の為の軍備増強に励んだとしても日本の戦前の軍国主義は非難されるべきものではありません。日本以外の国では軍人になることが誇りでもあります。軍隊を悪と錯覚しているのは、日本人のみです。

 その証拠に、チベットなどを侵略してはばからない中国は、軍事予算を年々増加させて軍備増強をおこなっていますが、自らを軍国主義ということはありません。
 アメリカ合衆国も然りです。世界の警察として世界中にアメリカの価値観に合わない国々に空爆を繰り返し、その国の秩序を破壊してはばかるところがありません。但、この二国は悪の軍国主義ということに成るかもしれません。
 その他の国でも自国の防衛のために軍備力をできる限り整備しています。これを日本の定義に従えば明らかに軍国主義です。しかし悪ではありません。むしろ当然のことです。

 教育勅語の成立経緯です。
 江戸幕府は、武士の政権でした。武士達は、自己の政権を手放すという自己犠牲のなかで明治維新政府をつくりました。当時の弱肉強食の世界の中で、生き残るために殖産興業・富国強兵策を進めてゆきました。
 そのような中で、日本の良き伝統は失われつつ有り、モラルハザードが起こってきました。
 それを憂えた明治天皇が、明治23年5月、時の文部大臣(現在の文部科学大臣)に「教育は国家の重大事であるから、特に頑張ってほしい。ついて総理大臣と協議して教育に関する箴言(格言)を執筆するように」(※1)と、お示しに成られました。
 そして、日本の伝統文化に根ざした格調高い品格のある日本人を育成する指針として
元田永孚によって勅語という形にまとめられました。これが、明治二十三年十月三十日に明治天皇によって示された教育勅語です。
 以来日本の道徳規準として、品格ある国民を育成する指針として成果を上げてきました。

 戦後、東京裁判によって日本を軍国主義に導き侵略戦争を起こさせたのは、この教育勅語による教育に原因があるとして、教育勅語と軍国主義を結びつけようとしました。「一旦緩急アレバ、義勇公二奉ジ、以テ天壌無窮ノ皇運ヲ扶翼スベシ」という一節が特に問題視されました。書き方は古風ですが、「国家の非常事態には、日本の為に、私的な利害を超えて、起ち上がる事」は、当然のことです。このことは、どこの国の国民も求められていることです。
しかし、この精神を保持させれば、また、何時の日か、アメリカ(欧米諸国による植民地支配)に逆らうかもしれないとGHQは考えました。戦争中原爆投下や大都市の爆撃など無差別殺人をおかした復讐されるかもしれないと思い、自衛戦争を侵略戦争と置き換え、日本人を弱体化しようとしました。しかし、いかにこじつけようとも侵略戦争(本当は自衛戦争)と結びつけることは出来ませんでした。
大東亜戦争を裁いた東京裁判では、八紘一宇という神武天皇による建国の精神も、品格ある日本人を育成する役割を果たしてきた教育勅語も、断罪することは出来ませんでした。 しかし、GHQの占領下にある間に、衆議院でも参議院でも教育勅語の失効の決議がなされ、今日に至ります。
 その結果、日本人は芯を失い、エコノミックアニマルとさげすまれるように、経済的利得のみが行動指針となる卑しい国民になってしまいました。
 
 軍国主義批判は、日本を弱体化するための詭弁です。もし、150年前に日本が、明治維新に失敗していたら、世界はどのようになっていたでしょうか。
 歴史にIFということは有り得ないのですが、150年経った現在でも、欧米(白人)の植民地支配はつづき、有色人種の独立国家は消滅していたことでしょう。1868年に明治維新政府ができ、殖産興業・富国強兵という軍国主義政策をとったからこそ、日本は欧米の植民地にはならなかったのです。これは東亜百年戦争の一環であり、最後には、大東亜戦争に敗亡しました。しかし、アジアアフリカ諸国に対する欧米の植民地支配は終わりをつげました。
 「ククリット・プラモード(*1975年〜76年タイ首相)
日本のおかげで、アジア諸国はすべて独立した。日本というお母さんは、難産をして母体をそこなったが、生まれた子供はすくすくと育っている。今日、東南アジア諸国民が、アメリカやイギリスと対等に話ができるのは、一体誰のおかげであるのか。それは『身を殺して仁を成した』日本というお母さんがあったためである。
 十二月八日は、われわれにこの重大な思想を示してくれたお母さんが、一身を賭して重大な決意をされた日である。さらに、八月十五日は、われわれの大切なお母さんが、病の床に伏した日である。我我は、この二つの日を忘れてはならない。」(※2)

 古代スパルタの軍国主義が有名ですが、そもそも軍国主義というのは、国家の防衛の為の手段です。軍国主義が悪いのではありません。
 軍隊によって国家を護ることは当然のことです。この国防に失敗しますと国家は他の国の支配下に置かれます。大東亜戦争後においても、中華人民共和国に侵略されてチベットは独立を失いました。失った結果、チベットの文化は抹殺され、国民は漢民族に対して隷属的な地位におかれています。
 歴史をひもとくと、古代カルタゴがあります。ローマ帝国と地中海の覇権を巡ってあらそい、第二回ポエニ戦争後は、軍隊を持つことを禁止されます。それを良いことに国防の意識をなくし、経済的覇権のみに専念します。最後は第三回ポエニ戦争でローマ帝国によって地上から抹殺されます。第二回ポエニ戦争後の歴史は、大東亜戦争後の現在のアメリカ合衆国と日本の関係にそっくりな関係であると言われます。カルタゴは第二回ポエニ戦争後、約五十数年後にローマ帝国によって滅ぼされました。戦後七十年侵略されずに独立を維持できたのはラッキーと言うほかありません。

 日本は、国防意識を失い、自分が攻めなければ相手に攻められないと錯覚していますが、そのような甘い世界では今日でもありません。日本が戦後七十年、独立を維持しているのには二つの理由があります。
一つは日米安保条約によって、アメリカ合衆国により護られてきたことによります。
 勿論これには条件があります。アメリカが日本の防衛を担うと言うことは、日本がアメリカの保護国に甘んじてきたということです。アメリカの国策にしたがい、アメリカの利益に適う行動をするようにアメリカ合衆国から圧力をうけ、それにしたがってきたことによります。アメリカの利益にならない限り日本は護られません。例をあげれば、アメリカの庇護下にあるかぎり、昔の貿易摩擦、現在のTPP等アメリカの利益の為に日本は奉仕しなければなりません。
そのアメリカの力が弱ってきています。いつまでも護ってくれるとは限りません。
 二つ目は、日本人は目覚めれば何をするか判らないという意識を周辺諸国(中国、韓国、ロシア、アメリカ合衆国)がもっているからです。
 大東亜戦争において、日本の兵士は抜群の精神力で抜群の強さを発揮しました。侵略すれば再武装を行い、眠れる獅子が目覚める如く、強い国になってしまうという畏怖心がのこっているからです。家族を護るためにちっていった五千余の「神風特攻隊」に感謝しなければなりません。
 
 世界の常識として国家が国民の安全を守るためには軍隊を整備しなければなりません。日本がこの常識にしたがって普通の国になろうとすれば、これを軍国主義といって批判するのは、世界には200の国と地域がありますが、中国、韓国、北朝鮮、アメリカ合衆国のみです。
 国内の共産党、社民党を支持する皆さんや歴史学者の皆さんは、真剣に軍国主義の復活は悪であると信じて居るかもしれませんが、あまりにも歴史音痴というほかありません。もしくは、戦争中に一億玉砕をさけんだ国家主義者の目的は、ロシアによる日本占領を招くことによって、日本を共産主義国家にしようと目論んでいたように、日本が周辺諸国に侵略されることを心から望んでいるのかもしれません。
 アメリカ合衆国は、重要な経済植民地を手放すわけには行きません。
 中国は、共産党の存立基盤が日本の軍国主義と戦って中国国民を護ったというウソですが、体制擁護のために、日本を批判せざるをえません。さらには、沖縄の独立と中国領土となること、日本をもチベットのように占領することを望んでいることも明らかになっています。
 韓国、北朝鮮は、日本に対する嫉みがあるのではないかと思います。

 「教育勅語」という指針を失ったことに戦後の日本の精神的荒廃の根本原因があるように思います。「教育勅語」を具体化したのが、戦前の「修身」でした。「修身」を現代風にアレンジして復活させようとしているのが、「道徳」です。道徳教育の復活こそ日本の青少年の心の荒廃を救う切り札となると思うのですがいかがでしょうか。

参考図書

教育勅語―本文
「教育勅語のこと 一 その時代  二 本文拝読」藤 鈴蝸  

○「マッカーサーの呪いから目覚めよ日本人!」目良浩一・井上雍雄・今森貞夫著(桜の花出版 2012年)

「失われた教育勅語と修身
 ここで参考までに、当時の国民がすべからく精神修養とした「教育勅語」と「修身」の概要を紹介したい。先ず、伊藤博文が首相であった明治23年(1890年)、教育勅語は発布された。その教育勅語は334文字(漢字カタカナで構成)から成り立って、そこには12の徳が列記されている。
  
1 親や先祖を大切に。
2 兄弟は仲良く。
3 夫婦は何時も仲むつまじく。
4 友達はお互いに信じあう。
5 自分の言動をつつしむ。
6 広くすべての人に愛の手をさしのべる。
7 勉学に励み技能を身につける
8 知徳を養い才能を伸ばす。
9 人格の向上に努める。
10 広く世の人や社会のために尽くす。
11 規則に従い社会の秩序を守る。
12 勇気をもって世のために尽くす。
  
 考えてみれば、現在の敗戦後の公衆道徳の退廃と同様に、徳川幕府を受け継いだ明治維新の際も大混乱を呈していただろう。何でもかんでも欧米の舶来文明文化崇拝で、日本古来の倫理道徳・武士道精神は、封建的で無価値なものだという極端な偏見が横行していたのである。その結果、塾・学校・社会でも国民道徳の規範がなくなって混迷の時期に陥ってしまったいたという。
 この非常事態を改善するために、地方長官会議(全国知事会の前身)、文部大臣、総理大臣、天皇の側近の有識者が智恵を結集して完成させたのが「教育勅語」(明治23年)であった。この勅語の発布により乱れに乱れていた日本の教育界も明かりが見え、小冊子で紹介されるようになると、世界各国の学者・為政者からも絶賛され、欧米の文明国の国民教育に多大の影響を与えたという。
 その後、教育勅語を具体化するものとして国定教科書「修身」(明治37年)が、昭和20年(1945年)まで、全国の尋常小学校・国民学校で学童の必須科目として教えられていた。即ち、「教育勅語」を土台に編纂された教科書「修身」は、野口英世、本居宣長、二宮金次郎、徳川光圀らの説話、逸話を織り交ぜ、時代や国、文化に縛られない普遍的な人の有り様を伝える内容であった。敗戦でGHQから廃止令が出るまでの40年間に、4回の改訂を経て25項目の徳目を有する「修身」を教育の場に採り入れ、子供達の精神の修養を図ったのだった。
  
「修身」には次の項目がみられる。
1家庭のしつけ 2親孝行 3家族・家庭 4勤労・努力 5勉学・研究 6創意・工夫7公益・奉仕 8進取の気象 9博愛・慈善 10質素・倹約 11責任・職分 12友情・朋友 13信義・誠実 14師弟 15反省 16正直・至誠 17克己・節制 18謝恩 19健康・養生 20武士 21愛国心 22人物・人格 23公衆道徳 24国旗と国歌 25国際協調
  
1945年終戦、それでも9月には学童は其々の学校へ、あるいは、間借りの建物に一日2シフト、3シフトで入れ替えしながら学業に戻っていった。勿論、大きな変化が、学校でも職場でも起こりだしたのは当然である。学校では先生の口から修身教科書の破棄、国語の教科書を黒で塗り潰し、新聞、ラジオのメディアは個々の天皇制、軍政、国家神道を否定。軍国調に関連する全ての否定が行われたのである。即ち異人種の支配による新たに洗脳が始まったのである。
 教育勅語と修身科の撤廃は、日本人の精神構造を根こそぎ削いでいくものになった。この日本と日本人を蔑ろにするパターンは、日本が敗者と言う一点から強引に始まった。一方的な当事者抜きの施策、国土を勝手に分断してしまうカイロ宣言の断定。また、国家の主柱をなす日本国憲法が占領憲法として作り直しされた。それは余りに乱暴な話で、憲法学者のいないGHQの26人のスタッフが、只の9日あいだの性急さで作ってしまうとい強引さだった。敗戦という未曾有の現実に周章狼狽する日本人。GHQに協力させられる日本人の関係スタッフの切歯扼腕する姿。まさに敗戦国の立場の何たるかが骨身に染み渡った時である。
 大元帥天皇をも上回る権威者マッカーサー元帥は、天皇=国家神道が国民の精神に及ぼすものと思われるものを廃止した。しかし、国家の統制には、人心の統一は不可欠であり、その為に宗教の必然性を認めてきたのが欧米の社会規範でもあった。国家神道なき後の心の隙間にキリスト教を植え付ける計画をGHQは目論んでいたわけだが、そう単純ではなかった。信仰は自由である為、各教派の勢力争いという状況もあって、布教は思うようには進まなかった。先進国の中で唯一イスラエルと日本だけがキリスト教優位になることはなかったのである。
 一方、混乱の中で維新を成し遂げたかの明治維新政府は、近代国家建設の富国強兵・殖産興業政策の法制度を導入。それにより中央集権、政府主導型の政治体制を確立させ、国民一体となって西欧知識を吸収する知育を盛んに薦めた。加えて極端に走らずバランスの取れた国造り、人造りを涵養する徳育に力をいれている。即ち教育勅語、修身の実践を国の隅々にまで広め、いち早く国民のDNAに刻むことであった。
 しかしながらGHQは、明治以来長く国民が精神修養してきた質実剛健、親に孝行、目上を尊敬、天皇に忠誠までを含んだ項目を、かつて国民を好戦的に駆り立て、国取り民族に仕立てあげた元凶であると位置づけてしまったのである。そして今日の学校教育はこの否定的思考を持つ人間をつくり、好戦的戦争国家と成し、西欧諸国やアジア諸国に戦争を起こし得る国柄になったと東京裁判は言い掛かりをつけた。それ故、今次敗戦したことで戦争犯罪人として敗者だけが戦犯となり、裁かれて絞首刑、銃殺の処分を受けた。勝者はどんな卑怯な手段を使おうが勝てば、戦犯で問われることは有り得ないし、常に戦勝国・勝者は優越観こそあれ自虐史観に陥り萎縮することは無いのである。  
 日本人の自虐史観は、マッカーサー元帥支配統制のない今も確りと日本人に刷り込まれている。著者は問いたい。敗者となることが罪人で、勝者は何時も正しい善人とは如何なる法則によるのだろうか。日露戦争で勝者となった日本は敗者のロシア人を処刑するどころか一切の捕虜を解放し、第一次世界対戦で勝者となった日本人は敗者のドイツ人を裁いて罪人にすることも処刑執行することもしなかったのである。」(98頁3行〜102頁7行)
  
「日本と同じく敗戦国であったドイツでは、一歩早く復興に成功していた。戦後暫くしてドイツに渡った日本使節団は、西ドイツの初代連邦首相であったアデナウワーを執務室に訪ね、何故早期の復興が可能だったのか、その原動力は何かをたずねたという。アデナウワーは自分の執務室にかかげてあった額縁を「これが復興の原動力です」と指差したという。そこには、ドイツ語に翻訳された、教育勅語があった。教育勅語が意図していた精神の開花が、翻訳されてドイツに生かされていたのである。」(106頁6行〜10行)  

○「決定版・日本史」渡部昇一著(育鵬社 2011年)
  
「◎教育勅語の意義
 こうしてできた憲法は、西洋から見てなんらおかしなところのない憲法であり、日本人がつくったにしても、日本人の日常の生活感覚にはあまり関係ないという感じが強かったと思う。だからそれを補い、日本人の体質との間のすきま風をなくすために、憲法発布の翌年の明治二十三年(一八九〇)に明治天皇の名で発布されたのが「教育勅語」であった。
教育勅語は非常に日本人の感覚に合うものであった。戦前の義務教育ではほとんど明治憲法のことは教えなかったが、その代わりに子供たちに徹底的に教育勅語を暗記させた。そういう理由もあるが、教育勅語は日本の隅々まで、誰からも反対されることなく定着した。
 教育勅語がまず説くのは日本人の伝統的価値観である。つまり、万世一系の皇室の尊さを述べ、それから「親を大事にせよ」「友人や配偶者と仲良くせよ」「身を謹んで学業に励め」「人格を修養せよ」といったことを述べる。そのあとに勅語は「一旦緩急アレハ義勇公二奉ジ以テ天壌無窮ノ皇運ヲ扶翼スベシ」という。これを読むとやはり勅語は軍国主義的であると思うかもしれないが、当時、勅語をつくった人たちの感覚としては、「徳川家の幕府や大名という主家に対して忠誠を尽くしていた時代は終わった。これからは国家に忠誠を尽くせ」といいたかったのである。国の象徴が天皇であるのだから(これは現行憲法も同じ)、「皇運ヲ扶翼」することは「国の繁栄に貢献」するというのと同じ意味である。ただ、表現が伝統的で古風であったというだけである。
 このような内容のものだったから、誰もが感覚的に「ごもっとも」と納得できたのである。その点で、教育勅語は鎌倉幕府の執権北条泰時の定めた御成敗式目(貞観式目)の系統につらなるものだといえるだろう。
 教育勅語は先の大戦で日本が負けてからもその廃止を求める声は出なかった。というのは、アメリカ人から見ても、その内容におかしな点は人つも
なかったからである。事実、教育勅語ができたときは、日本政府がキリスト教とは違う新たな宗教的な教義をつくるのではないかという疑念が外国から出るのを恐れて、勅語を英訳、仏訳、独訳、ロシア訳、漢訳にして世界中に配っている。それでもどからも反論がなく、むしろ評判がよかったのである。
 では、戦後なぜ教育勅語が廃止されたかといえば、戦後の日本の進歩的文化人の中に、教育勅語を残しておくと軍国主義に戻る恐れがあると占領軍に告げ口をした者がいたためである。日本人がそういうのならば、ということで、占領軍が勅語の禁止をのおわせ(命じられたわけではない)、日本の衆参両院が廃止・失効を可決したのである。
 しかし、教育勅語を廃止した影響は極めて大きいといわざるを得ない。それによって日常道徳の拠り所となるものが否定されてしまった。極論すれば、現在の日本の風紀の乱れ、親殺し、子殺しの原因に教育勅語の廃止があると言っても過言ではないのである。」(174頁10行〜176頁8行)

○「「軍国主義」が日本を救う」倉山満著(徳間書店 2014年)
○「大御心 明治天皇御製 教育勅語詳解」明治神宮 平成14年復刻版
○「新「教育勅語」のすすめ」清水馨八郎著(日新報道 2007年)※1;p80
○「世界が語る大東亜戦争と東京裁判」吉村貞昭著(ハート出版 平成24年) ※2;p134

平成27年03月27日作成   第103話