平成12年の2月に、インドの釈尊の四大聖地を巡る旅行をしました。ゴラプールのヒンズー教の寺院で、この寺院の院長が「イエスはインドに来ている」と発言しているということを聞きました。
ちょうどその時、ヨーロッパでは、「JESUS LIVED IN INDIA」(邦訳「イエス復活と東方への旅」ホルガ−・ケルステン著 佐藤充良訳)が、ベストセラーになっているということでした。
インドのネルー首相(1887年〜1864年)が、のちに首相になる娘のインデラ・ガンジー(1917年〜1984年)にあてた書簡集が「父が子に語る世界歴史」として発刊されています。その中の1932年の書簡に、
「イエスが、中央アジア一帯、またカシミール、ラダカやティベットではいまでも、…イエスがそのあたりを旅したことが、かたく信じられている。かれが、インドを訪れた、と信じている者もいる。」とあります。インドでは広くイエスがインドにいたことは常識として知られているのです。
33歳頃十字架に架かり死んだとされるイエスの伝記は、新約聖書の四つの福音書から復元できます。しかし、30歳頃から活躍を始めるまでは簡潔です。マルコの福音書による12歳の記事から30歳でヨルダン川でヨハネの洗礼を受けて、活動を始めるまでの17年間、何処で何をしていたかの記載が一切ありません。
西チベットの旧ラダーク(ラダカ)王国の首都であったレーから北へ40キロの所にへミス(ヒミス)の僧院があります。ラマ教(仏教の一派)の僧院です。そこに「聖イッサ伝」が伝わっています。イッサとはイエスのことです。この「聖イッサ伝」の原本はラサ近くのマーブール寺院にあるということです。イエスの失われた17年間をうめる伝記です。これをヨーロッパに紹介したのが、ロシアのジャーナリストであるニコラス・ノートヴィッチが、1894年著した「知られざるイエス・キリスト伝」でした。
「聖イッサ伝」によると、
「イッサが十三歳、イスラエル人の妻を迎える年になったとき、……。イッサがひそかに両親の家を離れ、エルサレムを立ち、商人たちとともにシンド(パキスタンの東南地域)に向けて出発するときが来た。神のことばにおける完成を目指し、大いなるブッダの法を学ぶために。
……
義の人イッサは、パーリ語を完全に習得した後、聖なる仏典の研究に専心した。六年の後、聖なる教えを広めるため、ブッダが選んだ人イッサは聖典を完全な講述者になった。その後彼は、ネパール、ヒマラヤ山地を離れ、ラージプータナの谷へ降り、さまざまな国の民に、人間の究極の完成について説きながら、西へ向かった。
……
堕落して、真の神に背いた人間に警告するために、創造主が選んだ人イッサは、二十九歳のときイスラエルに帰った。」(「イエスの失われた十七年」エリザベス・クレア・プロフェット著下野博訳[立風書房 1998年] に紹介された文による)
とあります。「聖イッサ伝」によると、イエスは、十三歳の時、エルサレムを出て、ユダヤ人商人の行き来していたシルクロードを通って、チベットやラダーク、シンドにやってきて滞在し、仏教の教えを学んで悟りを開きました。そして、教えを説きながら二十九歳の時に、エルサレムにもどりました。三年間イスラエルの民を教えたあと、イエスは十字架に懸かって「肉体を離れ神に受け止められた。」つまり、死を迎えたとあります。
ホルガ−・ケルステンが著した「イエスの復活と東方への旅」では、「聖イッサ伝」の内容を紹介しつつも、イエスは十字架に架かった時、仮死状態になったが、死ななかった。生き返ってカシミールにもどり、百二十歳の天寿を全うしたとあります。カシミールの各地に十字架後のイエスの足跡が残されていて、イエスの墓まで残っているということです。死ななかった証拠として「トリノの聖骸布」を取り上げています。イエスが十字架に懸かったあと、下ろされ仮死状態であったときに、まかれた布であることが、科学的な分析の結果証明されるということです。
さて、イエスが十字架に懸かったあと、息を吹き返しカシミールで聖者として活躍したということになりますと、カニシカ王の第四代の仏典結集に影響力を与えたことも考えられます。
大乗仏教では、弥勒菩薩という未来仏が登場します。これは、キリスト教でいうところの終末の世にあらわれる救い主(メシア)につながります。大乗仏教は、キリスト教と類似点が多くあります。キリスト教の教えが取り入れられた仏教ということにもなります。
インドにはもう一つのキリスト教伝説があります。イエスの12人の弟子一人トマスが紀元52年にインドにキリスト教を伝えたというのです。そして、インドのシリア正教会に属するキリスト教にまでつながるというのです。
イエスがインドでブッダの教えを学び、修行して聖者としてイスラエルに戻り教えを建てたということであっても、十字架からのがれてイエス本人が聖者として第4回仏典結集に影響力を発揮し、カシミールやインドの地で百二十歳の天寿を全うしたにしても、イエスの弟子のトマスが紀元52年にインドにキリスト教を伝えて仏教の革新に影響力を発揮したということになっても、大乗仏教とキリスト教は、ルーツを同じくする宗教ということになります。興味深い伝説です。
参考図書
○「父が子に語る世界史 1」ネルー著大山聰訳(みずず書房 2002年新版)
「かれが説教をはじめるよりまえに、どこでなにをしていたかはよくわからない。中央アジア一帯、またカシミール、ラダカ【チベットのラダック州】やティベットでは今でも、イ−サーすなわちイエスがそのあたりを旅したことが、かたく信じられている。
彼がインドに訪れた、と信じている者もいる。いずれもたしかたことは断言できないが、イエスの生涯を研究した、もっとも権威のある専門家たちは、イエスがインドや、中央アジアに来たとは信じていない。けれどもそういうことがぜんぜんありえないとする根拠もない。
この時代には、インドの大学、ことに西北のタクシャシラー大学には、遠国から熱心な学生がはるばるとあつまってきたものであった。イエスも知識をもとめて来なかったとはかぎらない。
多くの点でイエスの教えは、ガウタマの教えとたいへんよく似たところがるので、イエスがそれに通じていたということは、いかにもあるそのありそうなことなのだ。もっとも仏教は外国にもよく知れわたっていたから、イエスはインドへ来なくても、それをたやすく知ることはできただろう。」(160頁下12行〜161頁上12行)
○「イエス復活と東方への旅(JESUS LIVED IN INDIA) 」ホルガ−・ケルステン著佐藤充良訳(たま出版 2012年)
○「イエスの失われた十七年」エリザベス・クレア・ポロフェット著下野博訳(立風書房 1998年)
平成25年02月27日作成 第087話