「敷島の大和心を人問わば朝日に匂う山桜花」(本居宣長)
「かくすればかくなるものと知りながらやむにやまれぬ大和魂」(吉田松陰)
「大和魂」と「大和心」はほぼ同じ意味でつかわれている。この2首に対する捉え方が、「大和魂(大和心)」に対する誤解の元となっている。「大和魂(大和心)」は、日本の侵略思想、軍国主義の宣伝文句である。特に国民を鼓舞し侵略戦争に向かわせたキーワードが「大和魂(大和心)」であるという誤解である。
大東亜戦争(1941年〜1945年)で日本が危機におちいったとき、神風特攻隊が編成された。爆弾を積んだ飛行機が、パイロットを乗せたまま、アメリカ軍艦に飛び込むのである。
その時初めて結成された神風特攻隊の隊の名が、本居宣長の歌にちなんだ「敷島隊」「大和隊」「朝日隊」「山桜隊」であることは、よく知られた事実である。
「大和魂」と言えば、この特攻隊の精神であることをほとんどの人は連想する。
「武士道とは死ぬことと見つけたり」 は、江戸時代の武士道の精神を説いた「葉隠」(1716年頃成立)の言葉であるが、無駄な死が推奨されたわけではない。不正義の中で生きるより、正義にために死ぬことを潔しとしたのである。守るべきもののために死なねば時もある。女々しく生きるのではなく、雄々しく死ぬ方が潔いという美学である。
神風特攻隊は、守るべき家族のために命をかけたということであり、けして犬死にではなかった。 「武士道」精神にあらわれであった、ことを確認したい。
しかし、「武士道とは死ぬことと見つけたり」は、「武士道」精神の一部であり、「大和魂(大和心)」の一部ではあるが、すべてではない。
「正しく生きる」「真っ直ぐに生きる」という「正直」の心も、武士道精神の一部であり、「大和魂(大和心)」の一部である。
武士道と通底する「強きを挫き、弱きを助ける」「弱き者を助け、悪しき者を挫く」という日本人としてのあり方も、古き良き時代の日本人、つまり大和魂の特徴である。
しかし、「大和魂(大和心)」とは、神代から続く日本人の精神、日本の心の全体像ををさす。
1万年つづいた縄文文化にはぐくまれた自然と共に生きる心、すべてのものに神が宿るという神人一体の心も「大和魂(大和心)」である。古事記に記された、「清く明き心」この心も「大和魂(大和心)」である。
聖徳太子の「和を以て貴しとなす」と言った「和」の心、これも「大和魂(大和心)」の重要な要素である。
そもそも、「大和魂」という言葉が初めて出てくるのは、源氏物語の「少女」の帖においてである。主人公の光源氏の息子の夕霧は、高位の貴族の息子が当然つくべき地位ではなく、低い地位から官位につく。低位の貴族のように大学に行かせて勉強させることを光源氏は決断する。大学では、唐の学問が教えられた。唐の学問(漢才)を身につけた上で、我が国の実情にあうように応用できる智恵才覚を「大和魂」という表現で表している。
「才(学問)をもととしてこそ、大和魂の世に用ゐらるる方も強うはべらめ。」
(学問[=漢才]を基本としてこそ実務の才[=大和魂=和魂]が世間で重んじられるということも確実というものでございましょう)
明治時代に、欧米の技術を取り入れたが、日本古来の伝統や和を尊ぶ心、惻隠の情。以心伝心の心を忘れてはならないという意味で「和魂洋才」と表現した問題意識を平安貴族はもっていたのである。
源氏物語を書いた清少納言(966年〜1025年) は、「和魂漢才」こそ大切であるという文脈の中で「大和魂」という言葉を使っているのである。唐の学問に対して、日本の伝統文化、日本の心こそ大切であるという意識があったことになる。
「大和心」の初出は、文章博士・大江匡衡(952年〜1012年)と百人一首歌人であるその妻の赤染衛門の問答に見られる。
大和魂(大和心)=日本人としての歴史・伝統にはぐくまれた豊かな心
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「山桜花」を鑑賞する本居宣長44歳自画像 |
・縄文時代(神代)由来の「自然と人一体の心」「神と人一体の心」
・古事記にある「清き明き心」「言挙げをしない言霊を大切にする心」
・「大和国」に象徴される和の精神
・聖徳太子の言う「和を以て貴しとなす心」
・他人を思いやる「惻隠の情」や「以心伝心」の心)
・「武士道」にいう「勇気」「正直」の心
・「強きを挫き、弱きを助ける」「弱き者を助け、悪しき者を挫く」心
・外国語に訳せない「もったいない」「おかげさま」「お互いさま」という心
大江匡衡「はかなくも思ひけるかな乳(ち=知性)もなくて 博士の家の乳母(めのと)せんとは」
(知識・知性もない女を、学問で身をたてる博士の家の乳母にするとは)
赤染衛門「さもあらばあれ やまと心し賢くば 細乳につけてあらずばかりぞ」(大和心さえあれば、細乳[乳がでなくても=知性がなくても]であっても十分ではありませんか)
ここでいう大和心とは、日本人としてのあり方、人つきあいの方法とか常識、こころをさす。「和魂洋才」の和魂=大和魂(大和心)、日本の伝統文化に根ざした日本人の心を指すことは明らかである。
なかなか外国語に訳せない「もったいない」「おかげさまで」「お互いさま」という心も大切な「大和魂(大和心)である。
「国民性は賢明にして思慮深く、自由であり、従順にして礼儀正しく、好奇心に富み、勤勉で器用、節約家にして酒は飲まず、清潔好き。善良にして友情に厚く、率直にして公平、正直にして誠実、・・・寛容であり、悪に容赦なく、勇敢にして不屈である」(ツンベルグ「江戸参府随行記」1775年来日)
とある日本人の美徳そのものが、「大和魂(大和心)」であるといえる。
つまり、
大和魂(大和心)>武士道精神>特攻精神(守るべきものために潔く死ぬ精神)
ということになる。
「大和心(大和魂)を人に問われたならば」の答えは、世界標準と違う日本標準、つまり日本人としての美徳そのものであるというのが、結論である。それを、本居宣長は、「朝日に匂うように輝く山桜花」と表現したのである。山桜花は八重桜や牡丹のように絢爛豪華ではない。しかし、大自然の中で、山の木々と調和しながら、質素にたくましく咲く花である。
「大和魂(大和心)」は、軍国主義(侵略国家)の思想であるということで封印された。同様に、教育勅語も、軍国主義(侵略国家)の思想であると言うことで、否定された。
欧米の侵略に対抗するために「和魂洋才」をスローガンに成し遂げた明治維新の西洋化ににより、日本古来の「大和魂(大和心)」が失われることをご心配された明治天皇の命によって教育勅語が制定されたということが今日あきらかになっている。
教育勅語の12徳目もまた、日本古来の美徳を守るための徳目であったことにもう目を覚ますときに来ているのではないか。
自分の先祖を肯定的に捉えられると言うことは、子孫にとって困難に遭遇したときに自信をもたらすことができます。先例を規範として行動することもできます。民族の歴史を継承することは、いざというときの指針となるということです。世界中に約190カ国があるが、建国の歴史を教えない国は日本しかない。そして、日本の歴史にはぐくまれた日本人としての美徳である「大和魂(大和心)」を教えない日本は滅びるしかないのではないか。
神武天皇による建国の歴史や日本人の美徳そのものである「大和魂(大和心)」 を見直し、学び直す時にきているのではないか。
参考図書
○「加来耕三の感動する日本史」加来耕三著(ナツメ社 2011年)
○「日本人はなぜ世界から尊敬され続けるのか」黄 文雄著(徳間書店 2011年)
○「日本とユダヤ 運命の遺伝子」久保有政著 (学研パブリッシング 2011年)
○「世界の偉人たちが贈る新版日本賛辞の至言33撰」波田野 毅著(ごま書房 2008年)
○「日本はなぜ世界でいちばん人気があるのか」竹田恒泰著(PHP新書705 2011年)
○「日本人の心に目覚める五つの話」松浦光修著(明成社 平成22年)
○「源氏物語 三」阿部秋生 秋山虔 今井源衛 校注・訳(小学館 昭和47年)
平成23年10月18日作成 第075話