本文へスキップ
 東北民謡「ナギャド・ヤラ」は、古代ヘブル語(古代ユダヤ語)の歌ではないかという研究がある。川守田英二著「日本ヘブル詩歌の研究」である。
 それによると、「ナギャド・ヤラ」の一節と古代ヘブル語との対訳を示すと、

「ナギャド ヤーラヨー」前方へ エホバ進み給え
「ナギャド ナサレダーデ」前方へ ダビデ
「サーイェ」仇を払わんとす
「ナーギャッ イウド」ユダ族を先頭に    
「ヤーラヨー」エホバ進み 給わんことを     

となるとのことである。「ナギャド・ヤラ」は、様々な歌詞のバリエーションがある。夜があけるまで、歌い続け踊りつづけられたきたものであるとのことであり、このバリエ−ションを総合すると、前1447年モーセに率いられてエジプトの奴隷生活から脱出した移動の行進歌から始まって、前660年の神武天皇の歌に、ユダヤの歌が改作されておわっているという。
 その他、日本全国の民謡の囃子も古代ヘブル詩歌が多数まざっているというのである。例をあげる。(エホバ=ヤハウェ神)

「エンヤラーラヤー」われこそエホバを讃えまつらん
「ヨーオン ヨーヤサー」エホバは作り主なり、エホバは救い給わん
(神輿の周りで叫ばれる信仰告白の歌)
「ヤッショ ワッショ」救い給え、彼必ず救い給わん
「イヤサガサッサーイ」大いなるエホバは悪霊を退散せしめたり。
(「イヤサガ(弥栄)」エホバは偉大なり)

木遣音頭のはやし言葉(狭野尊=神武天皇のこと メサヤ=メシア(救世主))
「エンヤラサッノ」われ推戴し奉らん 、狭野之尊を
「ヨイサ ヨウイヤサ」彼を主権者たらしめよ 彼をして輝かしめよ、主権者として
「エンヤラヤラ」われ推戴し奉らん、磐余日子を
「ヤレコノセ」彼推戴せしめられよ、王者として
「ハモセ コレハモセ」見よメサヤを 我ら推戴せよ、メサヤを
「エンヤラサ」我推戴せん、主権者を

 「ナギャド・ヤラ」など、日本各地の民謡の囃子詞には、「ヤー」「ヨー」「ヤウ」「ヤーエ」など、ユダヤ王国滅亡の前586年以降にはつかわれなくなったハヤウェの神の古名も歌い込まれていること。また、北王国イスラエルが主として用いていた「エローヒム」という神の呼び名がみあたらないこと。「ヤウダ(八幡)」と歌われているユダヤの国名やユダヤの王家であるダビデの名が頻繁にあらわれること。
 さらに、聖書に日本に移動したことが記されていないかと調べてみるとイザヤ書などから、古代ユダヤの二支族が、南王国滅亡前に、ダビデ王家の王子を戴いて、契約の箱を先頭に、神を讃える歌を歌いながら、地の果ての安全地帯である日本に移動し、新しいエルサレム王国を建設しようとしたのではないか。ダビデ王家の王子が神武天皇ではないかという推論に川守田英二は至りました。
 前722年北のイスラエル王国は、アッシリアに滅ぼされます。ヤハウェから召命をうけた預言者イザヤは、南のユダヤ王国の危機を訴え、新興の新バビロニアによるユダヤ王国の滅亡を預言します。ユダヤ王国が滅亡すれば、シオンの丘にあるヤハウェの神殿に納められている契約の箱も略奪の危機に瀕することは明らかです。また、永遠の王座を約束されたダビデ王の王統も断絶することは明らかです。
 事前に危機を察知したイザヤは、神から選ばれたインマヌエルという名のダビデ王家の王子と前712年頃ユダ王国を離れ、新天地を求めて東漸し、シルクロードの東の果ての島々(日本)にたどり着き、そこに聖書にいうモーセ以来の理想の神の国を建設に取りかかります。この建国が、神武天皇の即位であるというのです。
 ダビデの子孫を王とするユダ王国の滅亡(前586年)とほぼ時期を同じくしてダビデの新芽である神武天皇が新しい東の島々(日本)で新王朝を開いてダビデの王朝は、神から約束された永遠の王座を維持することとなります。
このことの預言がイザヤ書に詳しくしるされています。

 エッサイの根株から新芽が生え、その根から若枝が出て実を結ぶ。その上に、主の霊がとどまる。それは知恵と悟りの霊、はかりごとと能力の霊、主を知る知識と主を恐れる霊である。(11章1節〜2節)
 その日、エッサイの根は、国々の旗として立ち、国々は彼を求め、彼のいこう所は栄光に輝く。(11章10節)
 その日、主の若枝は、麗しく、栄光に輝き、地の実はイスラエルののがれた者の威光と飾りになる。(4章2節)

また、東北地方一帯に歌い継がれた「「ナギャド・ヤラ」に一節に

「ナギャッアド イハーアレ」永遠の主権者は 磐余彦なり
「ナギャド ナツサー レダヰデ」主権者はダビデの若枝なり
「ナギャッアド イハーレー」永遠の主者はほむべきかな

とあるのは、このことを示しているといいます。
 神武天皇の和名であるカムヤマトイワレヒコのイワレは、本来「イハアレ」であり、「エホバの霊我が上にとどまる」の意味であるとのことであります。
 神武天皇による建国の喜びを歌った聖書の言葉

その日、主に若枝は、麗しく、栄光に輝き、地の実は、イスラエルののがれた者の栄光と飾りになる。(イザヤ書4章2節)

 日本に建設された新王国は、終わりの日(神の天国文明建設の時が来る日)まで、封印されます。同時に、終わりの日に日本からメシア(救世主)が現れることも示唆しているとのことです。

島々よ、わたしのもとに来て静まれ。 (島々とは日本のこと。静まれとはそのことが忘れられるの意味)国々の民よ、力を新たにせよ。進み出て悟れ。互いに近づいて裁きを行おう。
東からふさわしい人を奮い立たせ、足もとに招き国々を彼に渡して、王たちを従わせたのは誰か。その人の剣は彼らを塵のように 弓は彼らをわらのように散らす。(イザヤ書41章1節〜2節)
東から猛禽を呼び出し 遠い国からわたしの計画に従う者を呼ぶ。わたしは語ったことを必ず実現させ 形づくったことを必ず完成させる。(イザヤ書46章11節 新共同訳)

 但、通常は東からの猛禽は、ユダヤ王国を滅ぼして、バビロン捕囚から、ユダヤの二支族を解放したアケメネス朝ペルシアのキュロス大王の事とされています。
 モーセに率いられてエジプトの奴隷生活から脱出したとき、「契約の箱」を先頭に喜びに歌を歌いながら進軍したという記録が聖書にあります。
 「ナギャド・ヤラ」が「古代ヘブル詩歌」であるということから、滅亡間近なユダヤ王国からダビデ王統の王子と共に、心あるヤハウェに対する信仰を守ろうとした人々は「契約の箱」を先頭に、聖なる種としてダビデ王家の王子と共に歓喜の歌を歌いながら、日本列島にたどり着き、理想国家建設のため、ダビデ王家の神武天皇が即位して建国したのが、日本国の始まりではないかということになります。
 イスラエル王国の歴史と日本の歴史が一つになって、

あなた(=ダビデ)の家とあなたの王国とは、わたしの前にとこしえまで続き、あなたの王座はとこしえまで堅く立つ。(「サムエル記」第二 7章16節)

という聖書の預言が成就しているということになります。このことも、通常は、ダビデ王家の子孫であるキリストのことを霊的にしめしているとも、キリストの子孫とされているフランク王国メロビング王家の血を引くとされるヨーロッパの王家としてダビデの王統はつづいているとされることもあります。 

 日本に長い間滞在していたユダヤ教のラビ、マーヴィン・トケイヤーは、この川守田英二の説に対して、「かれの主張の中にはときに、こじつけと思えるようなものも少なくない。しかし、日本の民謡の中にヘブル語が多く含まれているという彼の主張自体は、簡単に否定できない。」また、南王国ユダでは神の御名をみだりにとなえなかったので、「もし、日本の民謡の中に神の聖なる御名がよく使われているという主張が真実であるならば、それはイスラエルの失われた十部族によるものと判断することが可能になる」と述べています。

参考図書

○「日本ヘブル詩歌の研究」上巻下巻(1956年) 川守田英二著 八幡書店 昭和62年
○「世界の謎 日本とイスラエル」三村三郎著 日ユ関係研究会 昭和25年(「ユダヤ問題と裏返して見た日本歴史」三村三郎著 八幡書店 昭和59年 所収)
○「聖書に隠された日本・ユダヤ封印の古代史」マーヴィン・トケイヤー 久保有政著 徳間書店 1999年

平成20年01月08日作成 第042話