イスラエルの歴史を振り返ると、前1020年に12支族(部族)からなるイスラエルはサウル王によって初めて統一されました。、サウル王の死後、王家が変わりエッサイの子ダビデが二代目の国王となり、その子ソロモン王の死(前928年)の後統一イスラエル王国は分裂し、北のイスラエル王国(〜前722年)と南のユダ王国(〜前586年)に分かれました。
イスラエル王国は、ルベン・シメオン・ザブルン・イッサカル・ダン・ガド・アシュル・ナフタリ・エフライム・マナセの10支族からなっていました。
また、ユダ王国は、二代目の国王であるダビデとその子ソロモンの家系であるユダとベニアミンの2支族からなっていました。また、司祭階級であるレビ族は、イスラエル王国にもユダ王国にも属していました。
イスラエル王国の10支族は、アッシリア帝国によって、イスラエルの地から連れ去られました。以後、行方不明となり、「失われた(イスラエル)の十支族」と呼ばれています。
ユダ王国の2支族は、ペルシア帝国に滅ぼされ「バビロン捕囚」の後、故国に帰りました。その後ローマ帝国による追放による離散の歴史を経たあと、1947年に再建されたイスラエルの国民や世界中のユダヤ民族として現在に至っています。
聖書には、神から祝福されたイスラエル民族の歴史と、終わりの日(神の天国を地上に作るという計画が達成される日)の預言が記されています。
その一つは、ダビデによってイスラエルが統一されたときに(前1004年頃)、ダビデに対して
「あなたの家とあなたの王国とは、わたしの前にとこしえまで続き、あなたの王座はとこしえまで堅く立つ」(「サムエル記」第二 7章16節)
と約束されました。しかしながら、分裂後のユダ王国は前587年に新バビロニアに滅ぼされてダビデ王家は、滅亡しました。
もう一つは、イスラエル王国復活の預言です。終わりに日に、
「主は国々のために旗を揚げ、イスラエルの散らされた者(失われた十支族)を取り集め、ユダの追い散らされた者(ユダヤ民族)を地の四隅から集められる。」(「イザヤ書」11章12節)
「ある者は遠くから来る。また、ある者は北から西から、またある者はシニムの地(中国)から来る。」(「イザヤ書」49章12節)
そして、
「見よ。わたしはエフライムの手にあるヨセフの杖と、それにつくイスラエルの諸部族(エフライム族を中心とする失われた十支族の国のこと)とを取り、それらをユダの杖(ユダヤ民族の国のこと)に合わせて一本の杖(国のこと)とし、わたしの手の中で一つとする。」(「エゼキエル書」37章8節)
と預言されました。
これらを総合すると、終末の日に、失われた十支族と現在ユダヤ民族とされている二支族が一緒になって一つの国を形成しています。そして、ヤハウェ神から祝福されたイスラエル民族の栄光の日が来るといいます。そして、復活したイスラエル王国の王となるのは、エッサイの子ダビデ王の子孫であるという預言であります。
二支族からなるユダ王国の末裔のユダヤ民族は、1947年奇跡の復活を遂げましたが、それに合流するはずの失われた十支族は失われたまま、現在も行方不明であり、終末の預言が成就しようとしていると考えているユダヤ教世界、キリスト教世界では、いま必死で行方をさがしているとのことです。
預言の成就のために現在のイスラエルでは、失われた十支族の探索と帰還活動を熱心に進めています。「アミシャーブ」という専門の機関まであります。
そして、残されているはずのダビデ王家の子孫も、どこかで王位をたもっている筈であるということです。ダビデ王家の有力な候補として、さまざまな可能性が検討されていますが、その有力な候補の一つが日本の天皇家であるということです。
日本が、本来多民族国家であることは、島国の立地からも、今日ではDNAの鑑定からも明らかにされていますが、聖書で預言されているイスラエル民族の復活と栄光に関わる失われた十支族も南王国の二支族のユダヤ民族も日本に来ているのではないかと言われています。
日本の天皇家がダビデの子孫であり、日本に古代イスラエル王国の十二支族の本体がそろっているということにもしなるならば、終末の日のメシア(救世主)出現による神の国完成という栄光は日本から始まると言えることとなります。なぜなら、ダビデ王の子孫からメシアが出現すると聖書に預言されているからであります。これは、世界にとって驚天動地のニュースとなる筈です。
そこまでの事はなくても、十分に十二支族の一部が来ているという証拠がそろっていると考えています。 来日の時代については、三波にわかれていているのではないかとされています。
第一波として 前722年アッシリアに滅ぼされた失われた十支族の来日。
第二波として 南王国ヒデキヤ王(前736年〜前700年頃)の時代の預言者イザヤに率いられた二支族の来日。
第三波として 四世紀に中央アジアのクンユエ(弓月)から融通王によって率いられてきた景教徒(又は原始キリスト教徒)の秦氏一族の来日。
これらが、主な来日の波であると考えられています。日本の文化の中枢に大きな影響を与えた、イスラエル十二支族の来日説に焦点をあてて、数回にわけて記述したい。まず、はじめに、シルクロード上の「失われた十支族」の候補の民族について概要をまとめることします。
イスラエルの「アミシャ−ブ」 の探索の結果、前722年アッシリアによって滅ぼされ、祖国を追放された北王国イスラエルの十支族(「失われた十支族」)の一部は、カフカス、グルディスタンのユダヤ人コミュニティとして残ったが、多くは異教徒となったということです。シルクロード上の失われた十支族の候補とされているパタン族、カシミール族、チャンミン族の中に、先祖はイスラエル人であったという伝承が残っているといいます。
パタン族の人口は、アフガニスタンに800万〜900万人、パキスタンに1000万〜1100万であり、両国の国境付近に居住しています。特にアフガンの旧王家は、ベニヤミン族出身の、古代イスラエル王国初代国王サウルの子孫であるという言い伝えがあるとのことです。このことは、1635年に出版された「マーサニ・アフガニ」で既に公表されているといいます。
カシミール族の人口は500万〜700万人、パタン族同様イスラエル色の強い伝統をもっています。さらに、ピスガ、ネボ山などモーセの関連の深い地名などもあります。モーセの墓、イエスの墓、あるいはソロモン王がカシミール地方に来たという伝承まであります。
中国四川省のチャンミン族は、かつては 羌(チャン)族と呼ばれていて、数百万人の人口をもっていたが、迫害され、各地に逃れたという。特に、ミャンマーの北東部のカレン族とインド国境付近のシンルン族は、中国から迫害によって逃れてきたという伝承をもち、チャンミン族との関連があるとされています。
有名にマルコ=ポーロの「東方見聞録(世界の記述)」には、開封にユダヤ人のコミュニティがあったという記述があります。20世紀初めまで、このコミュニティが存在たことが確認されています。中国の開封にユダヤ人のコミュニティがあったなら、日本は直ぐ隣です。開封には、前231年にユダヤ人がすでに居たという碑文があるとのことです。また、漢字には、聖書の故事から作られたと考えざるを得ないものが多く有るとのことです。漢字は、秦の始皇帝によって、前213年に、統一された字体となりました。
船=舟+八+口 「八人の乗った舟」
口は人のこと。ノアの箱船にのったのは、4組の夫婦である。
禁=木+木+示 「二本の木を示す」
神は、アダムとイブに命の木と善悪を知る木の二本を示して、善悪を知る木から取って食べることを禁じた故事によるものか。
などは、その例です。
「アミシャーブ」の探索によると、シルクロードの終点にある日本にも「失われた十支族」が来日し、日本の中枢に大きな影響をあたえた証拠が多くあるといいます。特に神道の祭祀にヤハウェの神殿の祭祀との偶然ではありえないような類似点が多く残っているといいます。また、聖書に記述にある「過越しの祭り」「仮庵の祭り」も日本の正月の祭りなどに残されているということです。
参考図書
○「失われたイスラエル10支族」ラビ・エリヤフ・アビハイル著 鵬一輝訳 学習研究社 2005年
○「大使が書いた 日本人とユダヤ人」エリ・コーヘン著 青木偉作訳 中経出版 2006年
○「聖書に隠された日本・ユダヤ封印の古代史」マーヴィン・トケイヤー著 久保有政著 徳間書店 1999年
○「古代ユダヤの大預言」小石豊著 日本文芸社 平成9年
○「失われた原始キリスト教徒『秦氏』の謎」飛鳥昭雄 三神たける著 学習研究社 1995年
平成19年12月27日作成 第041話