日本書紀、古事記成立以前には、文字で書かれた記録がなかったとされている。ところが、漢字以前に神代文字と呼ばれる古代和字があったという。
古代和字が偽作であるとされている理由は、天皇家の祭祀を司っていた忌部家の斉部(いつくべ)広成が大同2年(807年)に書いた「古語拾遺」の序文のなかで、「上古の世に、未だ文字あらず、…」と記載されていることによる。
ところが、南北朝時代に子孫の忌部正道は「神代巻口訣」で、「神代文字は象形である。応神天皇の時代に異域の書が流入し、推古天皇の時代に至って、聖徳太子が漢字を日本字にあてはめた。」と述べている。
「弘仁私記」(813年)には、「飛鳥岡本宮朝(皇極天皇)皇太子が大いに漢風を好まれ、難波長柄宮朝(孝徳天皇)・後の岡本宮朝(斉明天皇)近江大津宮朝(天智天皇)の4代の間、文人学士各競って帝記、国紀及び諸家の記、代々の系譜等を、漫(みだ)りに漢字をもって翻訳し、私意を加え、人を誣(し=事実を曲げる)い、殆ど先代の旧辞本意絶えようとしている」とある。皇極天皇から天智天皇(642年〜672年)の約30年間、古代和字の文書を改ざんし、翻訳して漢字に代えることが行われていた。漢字一辺倒の風が吹いていたのである。
「承平私記」(936年)には「漢字が我が国に伝来したのは応神天皇の時代である。和字においては、その起源は神代にある。亀卜(亀の甲を焼いて吉凶を占う)の術は、神代に起き、文字なくしてどうして卜いとなるであろうか」とある。
さらに、「扶桑略記」(1094年頃)にカナの「日本書紀」があった事が示され、「釈日本紀」(1274年〜1301年頃)には、このカナの「日本書記」が天武天皇の期待と違ったので漢文の日本書紀が造られることとなったとある。ちなみに、「弘仁私記」「承平私記」「釈日本紀」は、「日本書紀」の解説書である。
このように先入観を排除すれば、古代和字があったらしいことがわかる。
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平田篤胤が「神字日文伝」(1819年)で神代文字を紹介した江戸時代には、まだ、日本各地でみられたこのような神代文字は、破壊されてなくなってしまった。いまもこの証拠隠滅は続いている。これは、貴重な神代文字をしるした石である。神代文字の実在が認知されるということになれば歴史がひっくり返る。今までの研究が否定される学者や、日本が世界最古の文明国であるという歴史の真実が証明されることを嫌う勢力が日本にも世界にもいる。 |
江戸時代になると、飛鳥時代以降儒教と仏教一辺倒となってしまった日本の現状を憂え、儒教と仏教の流入以前の日本固有の文化を見直そうという流れの中で、古神道への回帰の流れが起こり、国学が発達した。古神道とは、仏教・儒教の影響を受ける以前の古来の神道をさす。
国学者の中にも神代文字存在論と否定論者があった。平田篤胤は、各地の神社に伝わる神代文字を収集し解説した「神字日文伝」(1819年)を著した。
その中で、特に対馬の卜部氏である阿比留家につたえられていたアヒル文字が有名である。
この文字は、1446年に李氏朝鮮の世宗によって制定されたハングルそっくりであり、アヒル文字は、ハングルをまねて創作したものであるといわれ、神代文字ねつ造説の根拠になっている。ハングルはパスパ文字を参考にしたものであるとされているが、対馬に伝わるアヒル文字を参考につくられたということもありうるのではないか。
国文学の山田孝雄の「所謂神代文字の論」(1953年)において、神代文字の存在が完全に否定され、学問的には決着が付いたとされている。
「神字彙」にある、平田篤胤が法隆寺や出雲大社などで採集したアヒル文字及びアヒル草文字を載せておく。神社の神璽(しんじ=印)や碑文などでアヒル文字やアヒル草文字で書かれたものが以前は多くあったという。神代文字として取り上げられるようになってから、所在不明になったり焼けてしまったものが多いという。神社の境内に埋もれていた碑文や、縄文・弥生時代の青銅器、土器にも記されていたものがあるという。
ねつ造であるかどうかという以前にあったかもしれないというニュートラルな目で観察・研究される時代が来ることを期待する。岩宿の発見以前は日本には旧石器時代はなかったとされていた。存在するという立場で考古学者が遺跡や遺物を観察すれば、日本の旧石器時代と同じく神代文字があったと証明されるに違いない。
古代日本の神を祭祀する職である、神祇職にあった、卜部(占部)氏、忌部(斎部)氏、物部氏、中臣氏の子孫に神代文字が伝えられてきたという。卜部氏である対馬の阿比留家に、アヒル文字が伝わった。忌部文字もある。さらに、物部守屋の子孫が青森に逃れて物部文字を伝えた。中臣家の子孫である九鬼家につたわった九鬼文字もある。古来日本では、言霊に魂が宿るとされ、「言霊幸(さき)はう国」と言われ、言葉を大切にしてきた。神事につかう言霊は特別のもので、神代文字をもって表された。神代文字は神字ともいい神聖なものとされてきた。
代表的な神代文字のアヒル文字、アヒル草文字、象形神字の五十一音表を載せておく。「ひらがな」「カタカナ」は、漢字の草書や一部をとったものではなく、それぞれ「アヒル草文字」「象形神字」を何世代もかけて改良し現在の形になったものであるということである。
参考図書
○「ふしぎな記録8巻 神代文字 神字」浅見宗平著(一神会出版部 平成5年)
○「神代の文字」宮崎小八郎著( 霞ヶ関書房 1974年
○「神字彙」岩崎長世編 (1820年代 国立国会図書館蔵 昭和63年9月10日複写)
アヒル草文字51音表(それぞれをクリックすれば異字体を見ることができます。)
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象形神字51音表・アヒル文字51音表
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「美社神字」落合一平解讀 (江戸時代 国立国会図書館蔵 昭和63年9月10日複写)
平成19年04月18日作成 平成28年09月11日最終更新 第024話