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 日本書紀、古事記成立以前には、文字で書かれた記録がなかったとされている。ところが、漢字以前に神代文字と呼ばれる古代和字があり、この神代文字で書かれた太古よりの記録が在ったという。
古史古伝と呼ばれるものである。一般には、文字はなかったとされているので、神代文字で書かれていたと言うだけで、文献批判も、詳しい学術調査もされることなく、これらの記録は、後代にねつ造されたものであると歴史学の世界では一般に認識されている。
  古史古伝の代表的なものに、「竹内文書」と「ウヱツフミ」と呼ばれるものがある。
  「竹内文書」は、謎のヒヒイロカネと呼ばれる金属で造られた神宝類を含む4000点にも及ぶ古文書群であるとされる。「竹内文書」の中の神名天皇名宝巻(かみのみなすめらみことなたからのまき)の系図によると

天神七代 宇宙天地万物創造の時代  
天神第1代   元無極躰主王(もとふみくらいぬしのお)大御神   唯一絶対神
天神第2代  中未分主(なかなしわかれぬし)大神 時間の神 
天神第3代  天地分主(あめつちわかれぬし)大神 空間の神 
天神第4代  天地分大底主女(あめつちわかれおおぞこぬし・みど)大神 男女一体神 (火の精霊・水の精霊)
天神第5代  天一天柱主大神(あまはじめあまはしらぬし) 
天神第6代   国万造主(くによろずつくりぬし)大神 
天神第7代   天照日大神  
上古二十五代 「天浮舟」で世界をかけめぐったスメラミコト時代          ※この項の年代は浅見宗平による
皇統第1代 天日豊本葦牙気皇主天皇 16方位を定め、16綺形の紋章を天皇の紋章とする。 3000万年前?
皇統第2代 造化気万男天皇   『日の丸』を『日の神赤玉の旗』と名付け天皇の旗とした。日本の国旗の始め。 15人の皇子と1人の皇女を全世界に派遣。五色人の祖。
皇統第3代  天日豊本黄人皇主天皇の時代(第1回大天変地異 ・この際天照日大神より「天壌無窮」の神勅降る)  
皇統第4代 天之御中主天皇の時代(第2回大天変地異 1500万年前? ムー大陸最初の陥没・文化再建のため12皇子を世界に派遣=12支の始まり) 古事記の天地創造神 
皇統第14代 国常立天皇の時代(第3回大天変地異 300万年前? )  政権交代により引退する 
皇統第21 代 伊邪那岐天皇の時代(第4回大天変地異)
皇統第22 代 天疎日向津比売天皇(天照皇大神)の時代(第5回大天変地異 20万年前?)
 不合朝七十三代 スメラミコトの世界統治が揺らぐ時代
皇統第26代
(不合初代)
武鵜草葦不合(たけうがやうきあえず)天皇 16綺形の紋章を『16菊花紋』に改め、天皇の紋章とする。   
不合69代 神足別豊耡天皇の時代(第6回大天変地異・前1500年頃ノアの洪水)
 神倭朝  日本の天皇の時代 
不合73代
(神倭初代)
神日本磐余彦天皇(神武天皇 前660年即位) 
 神倭15代   息長帯媛天皇(神功皇后)現在皇統より漏れている
 神倭127代 今上徳仁天皇(一般には神倭126代) 
となる。

 太古に天神第5代天一天柱主大神を祀ったとされる天柱石。下に祭祀跡が残る
  超太古に天神七代の時代に、宇宙がつくられ、地球が造られ、天地万物自然がつくられ最後に人類が造られた。ちょうど創世記の順序と同じである。天地と人類創造が完成して、天神第七代天照日大神は、地上の統治の代行者として肉体をもった神であるスメラミコトを置かれた。これが後代天皇と宛字されるようになった。後代の天皇ちがい、天神の意志を取り次ぐ人格神であった。上古初代(皇統第一代)スメラミコトは、天日豊本葦牙気皇主身光大神天皇(あめひのもとあしかびきみぬしみひかりおほかみすめらみこと)といい、二十一世続いた。上古二十五代のスメラミコトは、「天浮舟」(あめのうきふね)と呼ばれる飛行船にのって、世界中を飛び回り、人類が生きるに必要なことを教えて歩かれた。皇子を全世界に派遣し、世界を統治していた。上古から現代までの間に、何度も天変地異があった。地球全体が滅びる天変地異は六回あり、特に最後の六回目の大天変地異で古代のテクノロジーは完全に失われてしまった。
  六回目の「人皆死す天地かえらく(大天変地異)」は、不合朝(ふきあえずちょう)末期にあった。特に日本は、壊滅的な打撃をうけた。この結果、世界がバラバラになり、世界の統一が失われ、世界各地に国が独立し、覇をあらそう弱肉強食の時代をむかえるようになった。天地創造神の代理として世界を統治していたスメラミコトは、日本の天皇となった。

 神武天皇は、発達した諸外国の文化の導入により壊滅した日本の国の再建をはかり、これが以後の国是となった。古神道に基づく日本古来の文化は抹殺され、仏教文化や儒教文化一辺倒となり、文化とともに様々な国の人々が訪れ、権力者として日本の政治を左右するようになり、自国の方が優れているというように歴史を改ざんしようとして、ついには日本の歴史をも奪おうとするようになった。
 神功皇后を補佐して朝鮮に渡ったとされる竹内宿祢の孫が竹内(平群)真鳥である。雄略天皇は、竹内真鳥に神代文字で書かれた神代からの日本の歴史を、漢字にあらためさせた。そして、日本の歴史を奪おうとしていた蘇我韓子らの圧力にたいして、本当の歴史は隠した。

 天神第1代から上古第3代の歴史を隠したうえで、上古第4代から神武天皇までの歴史を不合朝を1代にするなどして簡略化したものを日本の歴史だとして、竹内真鳥の手をつうじて渡した。
 これが、古事記、日本書紀の原典となった。さらに、危機が増し、神代からの正しい歴史が改ざんされ、失われてしまうのをおそれた武烈天皇は、この竹内真鳥を手打ちにしたことにして、真鳥に命じて内密に富山の皇祖皇太神宮で神代からの歴史を記した古文書と証拠となる神宝を守らせた。神代からの日本の歴史は、2000年の眠りにつくことになる。以来代々神宮と竹内文書を真鳥の子孫が守ってきたが、皇祖皇太神宮そのものは、南北朝時代に、南朝に付いたために没落し、仏教の圧迫をうけて、江戸時代初めには、完全に失われてしまった。
 富山県の皇祖皇太宮の旧跡(昭和55年頃)
 茨城県に皇祖皇太神宮を再建した竹内家六十六代の竹内巨麿(きよまろ)は、「竹内文書」にある言い伝えのなかで、スメラミコトによる世界再統一の時期が、昭和4・5年頃になることを見越して、昭和3年(1928年)に竹内文書の公開に踏み切った。世界政府が影も形もなかったにもかかわらず世界が再統一される時代が必ずくる。世界政府には芯となる歴史が必要であり「地球は元一つ」であり、「人類も元一つ」であるということを証明する貴重な記録であると信じたためである。 しかし、当時の皇国史観に合わないとして弾圧され、空襲で文書そのものは失われてしまった。 いま公表されているのは、その写しとされるものである。しかし、その後、国際連合を中心とする世界政府へと歴史が歩みを進めていることは、不思議と云わざるを得ない。
 「ウヱツフミ」は、神代文字で書かれている。鎌倉時代初めの1223年に豊後の国守大友能直の命によって編纂され、江戸時代末に発見された文書である。不合朝の七十三代の歴史が詳しく書かれており古代の百科事典とでもいえる内容となっている。

  狩野 亨吉は、「竹内文書」の写真7枚のうち5枚をもって昭和11年(1936年)「天津教古文書の批判」により偽書と証明した。これをもって両者とも荒唐無稽なねつ造であるとされている。「竹内文書」は、内容があまりも過激なので究極の皇国史観、究極の自民族中心主義(エスノセントリズム)の産物であるという評価を受けている。
4000点にも及ぶとされる「竹内文書」の中には、誇張も後代のねつ造や改ざんも多くあるだろう。しかし、洪水以前のシュメール王名表やエジプトの古代王名表の王の在位が古くなるほど在位が長くなり1万年を超えると同じように、上古のスメラミコトの在位が常識では考えられないほど長いなど古代オリエントの古代王朝伝説とも類似点がある。偽書というよりむしろ古代の伝承を多く含んでいるのではないか。「竹内文書」「ウヱツフミ」ともに文献に記載されている場所を探索することにより、文献通り御陵や遺跡があるということなので、ねつ造と断定する前に調査してみることが必要ではないか。書かれていることが事実であれば、四大文明より古い地球文明が日本にあったということになる。そこまで行かなくても、縄文時代に国家が成立しており、立派な文明があったということがわかれば、もっと国にも誇りをもてるであろう。さまざまなオーパーツの中で、壮大なロマンを持つ究極のオーパーツが「竹内文書」であろうと考えるが、いかがであろうか。残念ながらオーパーツにもならない稚拙な偽文書であるというのが現在の考古学・歴史学の常識であることを付け加えておく。

参考図書

○「竹内文書原典解説集T 超古代史日本の神ながら正統史」酒井由夫著山本根菜編[(株)ヤマトランス・星雲社刊 2006年] 表紙カバー裏側コメントより
 
「本書には、日本人のアイデンティティを取り戻すための素材が詰まっている。
 ・大日獄、劔獄、薬師獄、黒部川、黒姫山、白山、赤城山、白根山、五色温泉などの由来は何時頃ついたものなのか?
・"日本"という國号、國旗"日の丸"や菊の御紋章のデザインは何時頃定められたのか?"日本"と大日獄の関わりは?
 ・日本固有の文字はあったのか?何時頃定められたのか?」
著者序文
 「本稿で以下に解読・解説の対象とする"竹内古文書"は神代文字で記述された古代文書である。
しかし、そこに記録された内容は人智を絶したものであるために、それを俄に信ずる気にならない読者が多いかも知れない。一方、現代社会に住む我々は目前の生活にあくせくすることのみ追われていて、各自の先祖に関する事を完全に忘れ去っているという現実がある。

そのような状態において、唐突ながら以下に述べるような話を切り出すことの真意は、「人類を現在のような混乱状態から救済したい」と云う一念からに他ならない。幸いにも我が國日本には、神世時代に國造主大神の差配によって地上に建立された天神人祖一神宮(あまつかみくにつかみはじめたましいたまや=後代の皇祖皇太神宮)に、その御神体として人類発生以来の歴史を記した記録文献が保存されて来た。その御陰で、現代に生きる我々は人類発生当時の模様を正しく知る機会を持てるのである。その文献が、いわゆる"竹内文書"と呼ばれるものであって、現代人には馴染みの薄い神代文字で書かれている。しかしながら、それに対して現代的知識を踏まえた科学的な姿勢を以って正面から臨めば、人類の太古代当時の状態を明らかにする道が開かれるものと考えている。(以下略)」

○「竹内文書原典解説集U 葺不合朝正統史・陰陽五行・古事記問題 他」酒井由夫著山本根菜編[(株)ヤマトランス・星雲社刊 2007年]
○「竹内文書原典解読集V 上古代日本の神ながら正統史・暦・文字」酒井由夫著 山本根菜編[(株)ヤマトランス・星雲社刊2008年]
○「竹内文書原典解読集W 太古代の固有文字・仏魔行・葺不合朝前期正統史」酒井由夫著 山本根菜編[(株)ヤマトランス・星雲社刊 2010年]
○「竹内文書原典解読集X 神通力・霊魂・葬祭法・東洋医学・最初期の神代文字」酒井由夫著 山本根菜編[(株)ヤマトランス・星雲社刊 2012年]

○「日本に秘められてある 世界の正史」 山根キク著[世界平和社  昭和39年]
 「皇統第百十九代 神倭二十二代 雄略天皇
   ―日本の歴史が変えられ、隠される―
 大泊瀬初武(おおはつせわかえい)天皇、即位二十一年、ムツヒ月(一月)コモリ一日、真鳥の宿禰に命じ、天之御中主天皇より、狭野天皇までの皇統譜を、而かも真鳥の宿禰の一旦写し取りたるものを写し取らせよと勅命あり、その一部を大伴室屋、葛城円、物部目連、巨勢男人、蘇我韓子の五名に写し与えたり。
 当時宮中にて非常な勢力を持っていた、三韓の子孫、蘇我の韓子が、神国日本の皇統譜を奪いとらんとの野心あり、天皇に願い、皇統譜を是非写し与えられたしと言上せる為め、真鳥の宿禰に其の旨を含め、天之御中主天皇以前の神代に通ずる莫大な歴史、而かも五色人の祖は、ことごとく削り取れと命じ、短い皇統譜を写し取りたるものを写し取らせたり。
  従って、現在の歴史上は、武鵜草葺不合尊(たけうがやふきあへずみこと)は、御一方の尊となっているが、実は其の間七十二代の天皇が存在されて居り、之を葺不合朝と云う。尚神代に於いても、各天皇の代は一代のみではなく、何十代と続き、例えば、伊邪那岐天皇の御代は、之を伊邪那岐朝と云って、十六代もの天皇が即位されて居たのである。 」(221頁)
  
○「キリストは日本で死んでいる」山根キク著(たま出版 平成6年6月23日刊)
「古事記編纂の裏面
 天武天皇の御宇、太安万侶と日枝阿礼とに勅命が降り、日本歴史の編纂がなされた。
 日本書記にもある通り、天武帝は近江に都をおかれた天智天皇の御弟君であらせられ、即位以前の御名を大海人皇子と申し、また東宮とも称われた。
 時に、病重くあらせられた天智天皇は、蘇我臣安麻侶は予てから、東宮の御寵愛を得ていることを好い機会に、宮に対し、使者の口上を申し上げると共に、参向の途中馬車のなかで、秘かに私見を挟んだのである。
『宮は帝の御弟君にして、現に皇太子にておわすとも、近江の天皇には一子、大友皇子おわし、皇后におかれては御子大友皇子に日嗣を譲られたく御思召していられると考えられ、云々、……。従って、有意してのたまへ」と。
 そこで宮におかれても、当時の他の事情からしても、宮中に何か御自分を陥し入れる陰謀があるに相違ない、と疑われて、御自らを慎しみ遊ばされ、御自分も永年多病に苦しみ、到底政治を統べることは不可能であるから、出家して修養致したい旨天皇に御返答遊ばされ、御位を承け給うことを固辞されたのである。
 そこで帝は、惜しきことに思召されたが止むなく御承認になり、そして御位を御子の大友皇子に譲られ、即日東宮は剃髪せられて、領土、兵馬等一切をお返し申して、吉野に向かwれた。
 宮を吉野にお見送り申し上げた公卿の中には、『虎に翼を付けて追い放った様なものである』というものもいた。
 このことは近江の朝廷が、如何に皇子を怖れていられたかの一端を窺うに足り、且つ宮中の重臣達の複雑な事情をも物語るものである。
 幸いに一品親王が、日本書記に比較的詳しい歴史を御作り遊ばされて、当時の事情をよく記されたことは有難いことであるが、今改めてここに注意を要することは、この蘇我臣安麻侶が曾て中大兄皇子則ち天智天皇の御手によって誅された蘇我馬子、入鹿等の血縁であるという一事である。
 そして彼等は、雄略天皇の御代朝鮮征伐の折現地で、大磐宿彌に討たれた蘇我韓子の子孫でもあり、韓子はまた、百羅から人質となって渡日した林聖太子の孫であるが、如何にして蘇我姓を名乗るに至ったかといえば、竹内宿彌の一子石川麿が蘇我姓を名乗り、二代目満智によつぎのないために、彼の養子として韓子を入れ、大蔵卿も受けついて、宮中に勢力を張り、爾来蘇我一族は朝鮮系の随一の官吏となった。
 既にして支那朝鮮との交通に伴う文物の流入、更に仏教思想の移入により、我朝は異人の投入と共に仏教勢力の蔓る所となってしまった。
 而してこの勢力とこれを代表する僧侶並びに支那朝鮮の後裔とのより、我が朝廷の尊厳にして悠久なる歴史を、ひいては世界の歴史を書き変えんとする、種々様々な陰謀と圧迫とが行われたのであるが、その代表的な事件がこの天武帝の御即位に関していえるのであって、一旦は寵臣蘇我臣安麻侶の言に従い、吉野に入らせられた東宮も、その心中を推し測れば、誠に畏れ多いことながら憤懣やるかたなきもので在らせられたに違いなく、だからして後に、私の食糧需要の輸送についても、又他県との文の遣り取りについても、何から何までに近江朝廷(当時、大友皇子御位に即かせられ、これを弘文天皇と申し上げているが、一般の歴史や皇統譜には最近までは天皇は抹殺せられていた−これも一つには政治勢力と結び付いた仏教勢力のなせる業か)の監視の眼が光り、疑心暗鬼を生むの譬えの通り、遂には両雄並び立たざるが故の戦闘開始とは成ったものである。
 事ここに至れば、一民だにその手兵をお持ちでなかった東宮には、必然、当時の野党勢力たる仏教者乃至は帰化人等の手を借りなくてはならず、従って商法の原則に基く成功報酬の約束が、宮の将来に持ち越された訳であり、ここに幾度目かの彼等の野望が画せられることになったのである。
 斯くして法衣のまま、妃も御一緒に馬を陣頭に進められた東宮は近江の軍勢を打ち破り、ここに弘文天皇の二年目に変って叔父君即ち天武天皇として即位せられたのである。図にのった外来人彼等は先ず政治勢力を張り、又権力を宗教にも延ばして、我が国の仏教化に拍車を掛け、且つ国体は不明徴なるに任せていたが、遂には歴史の編纂にも手を付けることによって、後世に日本の尊い古代を忘れしめんと企み、勅命を太朝臣安万侶及び日枝(稗田)阿礼とに降し給う如く事を運んだのである。
 処で、太朝臣安万侶と云う人であるが、驚く勿れ、彼は秦の始皇帝の子孫で、且つ朝鮮からの帰化人である。
 さらに日枝阿礼という人は、当時二十七歳の女官であって、生国は支那である。その姓、日枝とは、日本の分家という意味を表したものである。即ち枝も支も共にエダの宛字である。
 又その名の阿礼とは、チベットに近い支那の辺境では、今でも称えられている代表的女性名である。
 抑々マホメット教では、日本人の女を信者にする場合、必ずその本名の下に「阿礼」というマホメットネームを付けさえているが、マホメット即ちアラビヤ人と何かの関係があったのではないかと思量される。
 斯くの如く実に日本の大切な国史編纂が、朝鮮系と支那系の人々によって為されたということは、その目的が奈辺にあったかを想像するに難くない。
 而して日本民族に与えた、これが影響の甚大なることは、これに要する私の数言よりも、読者の想像に任せる方が遥かに深いものがあることを私は確信する。
 而もこの両人が勅命を悪用しての曲筆削除改竄は文中至る所に見られる。
 先ずこれが編纂の資料として、日本中の旧家、神道家等約四ヵ所から古文献を引き出して、阿礼に読み習わしめて出来たことは、古事記の序文に安万侶自身の誌したものによって明らかである。
 『阿礼をして天皇記、日嗣記を読み習わしめ』とあり、最後に『原文は文字の数が多くて、煩わしいから、クサカを日下とし、タラシを帶(たらし)としたように云々』とあるのは、原文は皆神代文字なので、即ち一字一音のカナ(神名)であったので、訳するに面倒であったことを立証するに外ならない。
 さて彼等の目的とする所は、先ず神武天皇以前の歴史を抹殺することが一つ、次に国体擁護に懸命であらせられた聰明な天子を、逆に極悪非道な天子にデッチ上げてしまうことがその第二、第三に朝鮮を征討遊ばされた神功皇后は天子でなかったかの如くして、皇統から除いてしまったこと、更にこれら三つの問題以外に最も重要なことは、外国人即ち五色人との関係を全部抹消してしまって、嘗ての日本人が五色人の人祖であったことなどは全然解らぬ状態にしてしまうことが、最大の目的であったことである。」(44頁〜49頁)※支那(シナ)=中国のこと

○「[超図解]竹内文書」高坂和導編著(徳間書店 1995年)
○「[超図解]竹内文書U」高坂和導編著(徳間書店 1995年)
○「神代の神代の話」竹内義宮編著(皇祖皇太宮広報布教部 昭和44年)
○「不思議な記録19巻 文献本」 浅見宗平著 (一神会出版部 平成12年)

平成19年02月27日作成   令和3年4月23日最終更新  第019話