詳しくは、『天孫人種六千年史の研究」三島敦雄著(スメル学会 昭和二年)です。
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表紙と背表紙。上段「ki sumeru」。kiは地名の決定詞。
下段「BABYLON」。バビロンは、バビルの意で、バビは門の形、イルは神の門をあらわすという。初版本で定価5圓50銭。A4版本文543頁の大作である。 |
「歴史はシュメールに始まる」という言葉がある。自らを「頭の黒い民」と呼んでいたシュメール人が、メソポタミアの地に住み着いたのが前3500年頃のことであった。そして、前3200年頃、世界で最初の都市文明を築いた。このシュメール文明が、東に伝播してインダス文明、黄河文明の起源となった。西に伝播したのがエジプト文明である。古典的な文明論によると4大文明の元はシュメール文明であるということになる。
また、「光は東方より」をいうローマ人の言葉が示す通り、メソポタミア文明及びエジプト文明が古代ギリシア文明・ローマ文明となり今日の西欧文明の淵源となった。
このシュメール文明は、当初、日本に紹介されたときは「スメル」文明と呼んでいた。
日本の天皇は、「スメラミコト」と訓読みしていた。この「スメラ」と「スメル」の類似性より日本の天皇家は、スメル文明の直系の子孫であるという研究が、スメル学会及びバビロニア学会で行われていた。
その集大成となる本がこの昭和2年初版の「天孫人種六千年史の研究」である。
著者の三島敦雄曰く
「東方日出の大帝国を経営せる崇高無比なるスメラ(天皇)尊を中心とする天孫人種は、世界東西文明の祖人種として、文明創設紀元六千年を有する所謂世界の黄金人種たるスメル系民族である。彼の欧羅巴種族の如きは、其の文明に光被せられたる銀人種である。若し我が天孫人種にして、旧説の如く銅人種たる蒙古、波斯、ヒッチト(ヒッタイト)等の種族であるならば、余輩は固より日本原始史の研究を放棄して顧みないであろう。然るにに予が本書を著述する理由は、我が天孫人種なる事跡を明白なるもの存し、我が神聖なる皇室、古代神社並所祭氏族といひ、帝国伝統の理想信仰たる「神ながらの道」といひ、実に人類文化の祖たるスメル系人種たる史実と、其の特徴たる思想に淵源すること炳焉(へいえん=明らか)なるものがあり、従ってこれに因りて金甌無欠の日本国体の表現せられつつある次第なるを以である。」(1〜2頁)
「スメル国名の起因に就いては、今日の程度では明瞭を欠くも、スメ(Sume)は,
セミット語(セム語)の神の義で、彼等は紀元前四千年紀にバビロニアの北部に移入して、南部の文明民族の王―所謂神民族の王―スメルの国王は神の権化にて―日神の子火神の権化として、此国土に天降るといふ理想信仰によりて、尊崇してスメ即ち神といひ、また州名とも民族名ともなるに至ったと思はれる。
我が国に於て天皇をスメラ、スメラギと申すスメラと同語、且つスメル国と皇(スメ)国と一致して神国の義であり、天皇を明津(アキツ)神と申すは、スメル語の火神アグ(Ak)ッ神の義で、日神ウツ(Ut)の御子たる火神アグの権化として、この国土に天降り給ふたのである。天皇をスメラギと申すは、スメル(Sumer)、アグ(Ak)の複称で、ミコト(尊、命)、ミカド(天皇、帝)は、セムチック・バビロニアンのミグト(Migut)天降る者の義で神といふ言葉である。
バビロニアの日像鏡(第一、二図)、月像の首飾、垂下飾、又は玉製の首飾、垂下飾(第四、五図)、武神の表像たる剣(第二、三図)は我が国の三種神器に一致し、バビロニア及アッシリアの菊花紋(第六、七図)は旭日の美術化で、我が皇室の菊花紋章に共通する。其の他諸種の徴証に因ると我が皇室は、とに角スメルの大君主たることが肯定せらるるのである。
古代バビロニアのスメルは都市国であって神宮を中心とした。固より神裁政治で市王即神宮の長官で、神の権化として神政が行はれた。神宮即行政庁であって、大学校、図書館、裁判所、税務署、銀行、天文台等が付属し、都市には必ず主神を有し、天神をアン(An))、日神をウツ又ウト(Ut))、月神をシン(Sin)、火神をアグ(Ak)、軍神、暴風雨神をアダット(Adad))、といひ、セミテック・バビロニアン語で火神をナブ(Nabu)、又ギビル(Gibil))、南風神をシューナ(Shuci)、海神をチアマット(Tiamat)ともいふ。・・・
これ等の神は我が国に於いても祀られた。日神ウツ又ウトは、和歌国に於てもウツ、ウトといひ、又変化してウズ、ウヂ、ヲチ、ウサ、ウス、ウツシ、ウツツなど唱えた。」(6〜9頁)
等々の説を展開している。
この本が、現在の日本人シュメール民族説の淵源をなしている。1945年の先の大戦の敗北後、皇国思想の最たるものとして否定された。その結果 「Sumer」を「スメル」と読んでいたのを、この日本人スメル起源説を排除するために、「シュメール」と表現するようになった。
ところが、最近見直されている。吉田信啓氏によると日本で発見されている「ペトログラフ」と呼ばれる絵文字が、シュメール起源だというのである。
奇想天外な説を展開している八切止夫によると、この本は、危険思想の本としてGHQによって焚書されたという所以をもって購入したいと思っていた。今年3月、古書店でようやく購入することができた。
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平成24年07月27日作成 平成28年09月18日最終更新