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 「諸子百家」の第三は、道家の思想です。儒家の思想とならび中国の思想の二大潮流を形成しました。「道(TAO)」は、宇宙の根源をさします。後世この宇宙の根源「道(TAO)と個人を一体化することにより不老長寿や現世利益を願う道教が発生します。道教は、民間信仰、儒教、仏教の要素を取り入れましたが、道家の始祖老子や古代中国の伝説上の聖人黄帝を教祖として仰いでいます。

 (前6世紀~前5世紀)
 「道家」の始祖、老子(前6世紀~前5世紀)については、よく分かっていません。姓は李、名は耳、字(あざな)は伯陽。諡号(しごう)は耼(たん)と言います。李姓なので本来は李子というべきところですが、老子です。老は古いまたは立派なという意味があります。『史記』を書いた司馬遷によれば、楚に生まれ、周で図書館の役人をしていたが、周が衰退したことを嘆き、西の方に去ろうとしていましたが、関所の役人の求めに応じて『老子』(『老子道徳経』)を著したとされています。道教成立以降は、老子は不老不死の仙人として信仰されてきました。実在性を疑われていましたが、戦国時代の墓から 『老子』の断片が見つかりました。戦国時代には『老子』が存在していたことがわかります。
 道家の戦国時代収拾法は、復古主義と言えるでしょう。理想の君主について「最上の明君は無為にして化すの治を布いたので、下にいる人民はただ君主のおわすことを知っているだけで、別に彼の存在を有り難いとは思っていなかった。」(阿部吉雄・山本敏夫による)とあります。
 宇宙の根源である「道(TAO)」を体得している「無為にして化す」君主を理想としていました。
 古代の理想的な君主であるとされる堯の治世の故事として「鼓腹撃壌」があります。
 堯の宮殿はやぶきで、屋根は切りそろえてもいない質素なものでした。治世五十年、民が統治を喜んでいるかどうか不安になったので、お忍びで質素な服装で宮殿の外にでると童謡が聞こえてきた。
 「その文句に、『われわれ万民のくらしの立って行くのは、堯帝のこの上もないお徳によらないものはない。そう思うと知らず知らずのうちに、帝の立てられたお手本に従っている』とある。また老人があって、口に食物を含みながら鼓腹(はらづつみ)をうち、壌をたたいて(調子をとりつつ)歌っていうには、「日が出ると働き、日が入ると家に帰って休む。井戸を掘って飲み、はたけを耕して食っている。帝のおかげなどわしらには関係もないことだ」と。」(『十八史略』林秀一訳による)
 この老人の行動を「鼓腹撃壌」といい、理想の統治を意味します。「帝のおかげなどわしらには関係もないことだ」、つまり統治の存在すら気付かせられない徳による統治を理想だというのです。
 
 君主は、自分を修養して「仁」「恕」の人になることにより天下を治める徳治主義が儒家の方向性ですが、この「修己治人」をこざかしいと言い切りました。
 「大道廃(すた)れて仁義有り。智恵出でて大偽(たいぎ)有り。六親和せずして孝慈あり。国家昏乱(こんらん)して忠臣有り。」につながります。
 儒家の求める「仁義」「孝慈」「忠臣」は、「大道」すなわち「道」(への理解)が失われてから言われるようになったことであり、重要視されるようになったのだといいます。
 そもそも自己修養の方法として学問をすること自体を否定しました。
「道を修めれば日々の知識は減ってゆく。けれども、知識を減らしに減らした結果、人は無為の境地に達する。無為の境地に達したなら、今度はもう為し得ないものは何もなくなる。天下を治める者は常に無事(即ち人目につかない仕事)をもってする。彼が有事(即ち人目につく作為的な仕事」をするようになったら、とても天下を治めることなど出来ない。」と「老子」にあります。上に立つ人によって、何もしないでも周りが円滑に役割をはたし、仕事もコミュニティも上手く治まるということが有ります。知識があり、弁が立ち、説得力があるのとは少し違います。老子によればこのような人こそ「無為にして化す」理想の君主と言うことになります。
「大国を治むるに小鮮を烹るが若くす。道を以て天下に莅(のぞ)めば、其の鬼も神ならず。」とあります。「大国を治めるには、無為を尊んで小魚を烹(に)るようにし、いたづらに、施策を加えてかきまわすようなことをしない。この無為の道をもって天下に臨めば、鬼もその神怪な力も人民を傷つけ得ないのである」(居位第六十)
「道は常に無為なれども、而も為さざる無し。侯王若し能く守らば、萬物将に自ら化せんとす。」とあります。「道は常に無為であって、人間の働きのような人目につく仕事はしないが、しかもあらゆることをなし遂げている。諸侯のごとき地位の者がもしよく道を守り、道に則って無為の政治を行うならば、万物はのびのびと自然の生成変化を遂げるであろう」(為政第三十七)。
 「道」は、名も無い宇宙の始まりの絶対的な根源を指します。「道」から陰陽が生じ万物が物質化するという順序になります。道は、キリスト教イスラム教でいうところの、形のない唯一絶対神にあたります。その宇宙の根源神と一体となって「道」を体得すれば、何事もなし得るということです。「仁」「義」「礼」などは、根源のから離れた名のあるもの。全体を統括する「道」の一部の表れにしか過ぎない。「道」は全てを統括する宇宙の法則であるので、人が定義づけた「仁」「義」「礼」など枝葉のいわば人間の知恵であり、その知恵で大国を治めるなどには、限界があるというのです。
 この考え方は、ヒンズー教の神髄は、宇宙の根源(唯一絶対神)ブラフマンと個人の魂霊であるアートマンと一体となることによって無限の叡智と力をえて、解脱できるという教えに通底します。ブラフマンと一体となることによって無限の力を得ることが出来るのです。ヒマラヤの聖者が之に当たります。この解脱したヒマラヤ聖者が、道家の理想とする理想の君主と一致するのです。無限の力を得ることによって「無為にして化す」君主になることができます。のち道教の始祖とされる所以です。
 理想の国家は「小国寡民」。自給自足している素朴な惣村自治体的な国家が林立している状態であるというのです。これは、殷や周の時代には、小国が分立していてそれそれが自治を行い、殷や周の王の下に、天下の平和を謳歌している状態を理想としているということです。
 現代風に置き換えれば、春秋戦国時代に、天下統一をめざし、人材登用や富国強兵のために様々な施策をとっていることは、かえって天下をそこね国民のためにならない。堯や舜のような時代または、殷や周(西周)の時代のように、小国が林立し平和を謳歌するような統治がのぞましい。つまり、中国の領土的統一即グローバリズムを否定し、それぞれの国が平和を謳歌するのが望ましいと主張しました。
 
 
 (前370年頃~前300年頃)
 道家の大成者で、老子の思想を継承・発展させたのが荘子(前370年頃~前300年頃)です。道家の思想を老子と荘子合わせて老荘思想と言います。姓は荘、名は周、字を子休といいます。戦国時代の小国宋の人でした。荘子の著述をまとめたものを『荘子』といいます。
 荘子は、人個人にとらわれることなく、宇宙の根源「道」と一体化した囚われのない自由無碍の境地をさまざまな寓話で著しました。自分と他人、自然と自分の区別もないすべてが平等の世界です。これを「万物斉同」の主張です。
 『荘子』の初めは「北の海に鯤(こん)という名の魚がいた。鯤の大きさは幾千里あるか分からないほどだ。この魚が変化して鵬(ほう)という名の鳥になった。鵬の背たけは幾千里あるかわからない。勢いよく飛びたつと翼は空に垂れこめた雲のようだ。…」(『荘子』内篇「逍遥遊第一」 市川安司・遠藤哲夫訳による)で始まります。世俗を超越し、常識を乗り越えた世界の囚われを打ち払う心の世界を寓話です。「道」の無限大の広さを彷彿させます。
 「道」を体得した人、つまり究極の宇宙の根源と一体化した人を「真人」と言います。「真人」にはとらわれがありません。
「むかしの真人は、生を喜ぶことも知らず、死を憎むことも知らなかった。生まれてきたからといって喜ぶわけではなく、死にゆく段になっても死を嫌がらない。自然に任せて行き、自然に任せて来るだけのことだ。始めとなるもの(生)をさけず、終わりとなるもの(死)を求めず、生が授けられればすなおに受けるし、生を失っては元へ戻っていく。収拾の心によって道を棄てることなく、人の立場から天を助けることなどしない、とは、このことをいうのであり、そのとおりにする人を真人というのである。」(『荘子』内篇「大宗師第六」 市川安司・遠藤哲夫訳による)
 同じくとらわれのない悟りの世界を「胡蝶の夢」という寓話で示しました。
「先ごろ荘周は蝶になった夢を見た。それはひらひらと飛ぶ蝶で、いかにものびのびしていたが、自分では荘周であることに気がつかない。ふと目が覚めると、何と自分は荘周ではないか。これはいったい荘周が蝶になった夢を見たのだろうか、蝶が荘周になった夢を見たのだろうか。しかし、荘周と蝶とは、区別があるはずだ。このような変化を物化(物の変化)という。」(『荘子』内篇「斉物論第三」 市川安司・遠藤哲夫訳による)
 宇宙の根源「道」から発生した吾ならば、いまは荘周(荘子)であっても、生まれる前は蝶というべつの生を生きていたかも知れない。宇宙の根源に帰ったのを死とよぶならば、荘周と蝶は、同じ宇宙の根源の一部であるに違いない。生を苦しみ、死を思って苦しむ必要があるのか。いわば、輪廻の輪を繰り返して役割を変えて転生を繰り返しているならば、この世の出来事に一喜一憂する必要があるのか。そのようなメッセージとも受け取れるのではないかと思います。

参考図書

○『老子』小川環樹訳注(中公文庫 昭和48年) 
1.道の道とす可きは常道に非ず。名の名とす可きは常名に非ず。名無し、天地の始には。…[禮道第一]
 「道」が語りうるものであれば、それは不変の「道」ではない。「名」が名づけうるものであれば、それは不変の「名」ではない。天と地が出現したのは「無名」(名づけえないもの)からであった。
[別訳]世人が一般に守るべき道だと考えているもの、仁だとか義だとか、それは恒常不変の道ではない。世人が一般に正しい名だと考えているもの、それによって物の区別を立てている名称、そんなものは恒常不変の名ではなく、仮初(かりそめ)の便宜的なものにすぎない。そもそもこの天地が開ける以前には名がなかった。(阿部吉雄・山本敏夫訳による)
2.道は一を生ず。一は二を生じ、二は三を生じ、三は万物を生ず。万物は陰を負うて而うして陽を抱く、神気は以て和を為す。…[道化第四十二] 
   道が万物を生成する過程は次の如くである。まず道が一元気を生ずる。次にその一元気はわかれて陰・陽の二気となる。次にその陰・陽の二気が感応し合って、第三番目の沖気即ち「湧き起こる気」を生ずる。次にこの沖気が万物を生ずるのである。だから、万物にはどれにも陰の一面と陽の一面とがそなわっており、沖気がこの陰・陽を和して宿っているのである。 *沖気…陰と陽の二気の合体したもの、つまり「土」の気。

○『老子道徳経』阿部吉雄・山本敏夫訳注(「新釈漢文体系第7巻 老子・荘子上」明治書院 昭和41年)
 *『老子道徳経』『老子』と同じ文献
3.上善は水の若(ごと)し、水善く万物を利して争わず。衆人の悪(にく)む所に処)(お)る。故に道に幾(ちか)し。…[易性第八] 
  最上の善は、譬えて見ると、水のようなものである。水は万物に利益を与えていながら、円い器に入れば円くなり、四角な器に入れば四角になるといったように、決して他と争わない。そして多くの人々のいやがる低い位置に身を置く。だから、水は道に近いと言える。…
4.太上は下之有るを知るのみ。其の次は之に親しみ之を誉む。其の次は之を畏れ、其の次は之を侮る。信足らざればなり。猶として其れ言を貴べ。功成り事遂げて、百姓皆自ら然りと謂へり。[醇風第十七]
 (太古の)最上の明君は無為にして化すの治を布いたので、下にいる人民はただ君主 のおわすことを知っているだけで、別に彼の存在を有り難いとは思っていなかった。そ の次に明らわれた君主は、(民を治めるのに権力を振りかざして刑罰をもって臨んだの で)人民は畏れるだけであった。更にその次に現われた君主になると、(内政・外交と もに、へまばかりやって人民を苦境に陥れたので)人民はこれを侮るようになった。
 人民が君主を侮るのは君主の側に信が足らぬからである。君主たるものは人民に約束 したことは必ず実行せねばならぬものであるから、思慮をめぐらし、言葉を貴ばねばな らぬ。(無為の治が布かれた太平の世においては)人民がそれぞれ功を成し、事を達し ても、君主の政治のお陰ではない、自分たちの力でそうなったのだと思っている。
5.太道廃(すた)れて仁義有り。智恵出でて大偽(たいぎ)有り。六親和せずして孝慈あり。国家昏乱(こんらん)して忠臣有り。[俗薄第十八] 
  大道が廃れたために仁義という次善のものが説かれるようになった。智恵ある者が出てから、ひどい偽を行われるようになった。一族が不和になったので、親孝行者の存在が目立つようになって来た・国家が混乱したので忠臣の姿が浮かび上がって来た。
6.…自ら見(あら)わす者は明(あきら)かならず、自ら是(ぜ)とする者は彰かならず。自ら伐(ほこ)る者は功無く、自ら矜(ほこ)る者は長とせられず。其の道に於けるや、餘食贅行(よしぜいこう)と曰(い)う。…[苦恩第二十四]  
  自分からあらわそうとする者は、人々にそれを明らかに知られることがなく、自分から己を善しとする者はその善があきらかに認められず、自分からほこる者はその業績が認められず、自分からその才能をほこる者は首長とせられない。このように無理なやり方は、道の立場から見れば無駄で余計なものである。
7.物有り混成し、天地に先だって生ず。寂(せき)たり寥(りょう)たり、独立して改まらず、周行して殆(おこた)らず、以て天下の母と為す可し。吾、其の名を知らず、之に字して道と曰(い)い、強いて之が名を為して大(だい)と曰(い)う。…[象元第二十五] 
  はじめに混沌とした何物かがあった。それは天地が分かれる以前から生じていた。そえは天地が分かれる以前から生じていた。そえは声もなく姿もない存在であるが、他の何者にも頼らずに存立し、不変のものであり、万物にあまねく行きわたっていて、しかも怠らない。それが天地万物を生み出したのであるから、天下の母ということが出来よう。わたしはそのものの名を知らない。だから、これに字なして道と言い、しいてこれを名づけて大と言うのである。
  *「道」は無限の神つまり天地創造神
8.天下を取りて之を為(おさ)めんと将欲するは、吾其の得ざるを見るのみ。天下は神器、為む可からざるなり。為む可(べ)からざるなり。為むる者は之を敗り、執る者は之を失ふ。故に物或(あるい)は行き或は隨ふ。或は?(く)し或は吹く。或は強め或は羸(よわ)む。或は載せ或は?(おと)す。是は以て聖人は、甚だしきを去り、奢を去り、泰を去る。[無為第二十九]
 天下を取って、これに人為を加えて治めようとすると、私はそういうことが出来ないのを見て取るばかりである。天下は不思議なもので、人がこれを治めようした所で、どうにもなるものではない。治めようとする者はかえって天下を台なしにしてしまうし、それに執着するものは天下を失ってしまう。そういう訳で(世の物事は複雑で人間の思うように行かないもので9、一方では先に立って行っている積りが、他方では後れて人に随う結果になっており、一方ではやわらかく息をかけて温める積りのものが、他方では強く息を吹きかけて冷やす結果になっている。一方では強めている積りが他方では弱める結果になっているし、一方では載せる積りが他方では突き落す結果になっている。だから、道を体した人君は(無為の態度に処り)、甚だしいこと、奢れること、驕慢なことを身から去るのである。(こうして始めて神器たる天下を保つことができるのである。)
9.道は常に無為なれども、而も為さざる無し。侯王若し能く守らば、万物将に自ら化せんとす。無名の朴を以てせんとす。無名の朴もてせば、亦将に欲せざらん。欲せず以て静かなれば、天下将に自ら定まらんとす。[為政第三十七]
  道は常に無為であって、人間の働きのような人目につく仕事はしないが、しかもあらゆることをなし遂げている。諸侯のごとき地位の者がもしよく道を守り、道に則って無為の政治を行うならば、万物はのびのびと自然の生成変化を遂げるであろう。生成変化の過程において不当な欲望を起すものがあったら、私ならその欲望を鎮めるのに、私自身が「無名の朴」すなわち「道」を執り守って無欲であるさまを示し、もって鎮めよう。無名の朴に感化されれば、万物もまた自然のに無欲になるであろう。万物が無欲になり静かになれば、天下も自然に安定するであろう。
10.上徳は徳とせず、是を以て徳有り。下徳は徳を失は失わざらんとす、是を以て徳無し。上徳は無為にして、以て為せりとする無し。下徳は之を為して、以て為せりとする有り。……[論徳第三十八]
 上徳の人は自分が徳を行っているなどと意識していない。ただ自然に振舞いつつ、しかもその行為が道にかなっている。だから真に有徳者と言われ得るのだ。下徳の人は修養し、意識して徳を失うまい失うまいとしている。そおういう態度が一種偽善の趣きを呈して、徳がないとされるのだ。上徳の人は道に則って無為(人目につくような作為的な働きをしないこと)であり、また自ら事をなしたという意識を持たない。それでいて徳を行っているのである。ところが、下徳の人は人目につく動きをし、自ら事をなしたという意識を持っている。……
11.大成は缺くるが若(ごと)くなれども、其の用は弊(つまづ)かず。大盈(たいえい)は冲(むな)しきが若くなれども、其の用は窮まらず。大直は屈するが若く、大巧は拙なるが若く、大辯(べん)は訥なるが若し。……[洪徳第四十五]
 真に大成した人物は、一見欠けた所があるように見えるが、その徳を用いればつまずき倒れるような失敗をすることがない。真に徳の盈(み)ち満ちた人物は、一見からっぽのように見えるが、その徳を用いれば窮地に陥ることがない。真にまっすぐな者はかえって一見曲がっているように見え、真に巧みな者はかえって一見下手なように見え、真に雄弁な者はかえって一見訥(とつ)弁のように見える。……
12.大國を治むるは小鮮を烹るが若くす。道を以て天下に莅(のぞ)めば、其の鬼も神ならず。其の鬼、神ならざるに非ざるも、其の神、人を傷つけざるなり。其の神、人を傷つけざるのみに非ず、聖人も亦傷つけざるなり。夫れ両(ふたつ)ながら相傷つけず。故に徳交(こもごも)焉(き)す。[居位第六十]
 大国を治めるには、無為を尊んで小魚を煮るようにし、いたずらに、施策を加えかきまやすようなことをしない。この無為の道をもって天下に臨めば、鬼もその神怪な力を振るって人民に禍をくだすことが出来ない。鬼に神怪な力がない訳はないのだが、その神怪な力も人民を傷つけ得ないのである。鬼の神怪な力が人民を傷つけることがないだけでなく、人君もまた刑法などによって人民を傷つけるようなことをしない。鬼も人民も共に人民を傷つけないのであるから、両者の恵徳がこもごも人民のもとに帰し、その生活が安定する結果、天下に泰平を保ち得るのである。
13.…小を大とし小を多とし、怨に報ゆるに徳を以てす。…[恩始第六十三] 
  聖人は、小さい事柄を小さいからと等閑に付することなく、大きな頃柄になる始めと考え、少ないからと言ってこれを等閑視ことなく、多くなる始めと考えて細心に事を選び、他人が自分に恨めしい行動を取っても、これに恵徳をもって報いる。(怨みに徳をもってすれば、人間の間の争いなど、殆どすべての事件は小さいうちに解決され、大事に至らずして終わるものである。)
14.‥為す者は之を破り、執(と)る者は之を失う。聖人は無為なり。故に破ること無し。執ること无(な)し、故に失うこと無し。…[守微第六十四] 
  あまり人為を施すものは、反って事をだめにしてしまい、あまり執着するものは、かえってそれを失ってしまう。道をたいした聖人は無為自然である。だから事を駄目にしてしまうようなことがない。執着しない。だから失うことがない。
15.善く士たる者は武しからず。善く戦う者は怒らず。善く戦(たたかい)に勝つ者は争わず。善く人を用うる者は下ることを為す。是(これ)を不争(ふそう)の徳と謂い、是を人を用うるの力と謂い、是を天に配すと謂う。古(いにしえ)の極(きょく)なり。[配天第六十八] 
  真に善き士たる者は、外見は武張っていない。真に善く戦う者は、感情に駆られて怒ったりしない。真に善く敵に勝つ者は、相手と争ったりしない。真に善く人を使用する者は、へりくだるものである。これを「不争の徳」と言い、これを「人を用いる力」と言い、これを「その徳が天に匹敵する者」と言う。こういうのが古の道の極致であった。
16.…天の道は争わずして善く勝ち、言わずして善く応じ、召さずして自ら来り、?然(ぜんぜん)として善く謀る。天網恢恢、疎にして失わず。[任為第七十二] 
 天の道は、(江海が川や谷にくだてよくその王となっているように)何者とも争わず、しかも善く何物にも勝っている。(人は半知半解のことをべらべらしゃべっているが、)天の道は何も言わず、しかも善く万物の願いに応え(悪い者には凶、善い者には吉をもたらし)ている。天の道は、(手を振ったり呼んだりして)招かずとも、(道に従う者の所には)自然にやって来て(これを守って)いる。(善人が困窮し、悪人が栄える現世の相に憤りを感ずる人間の目から見ると)まどろっこしいように見えるが、実は善く謀って(いて、必ず道に背くものには禍、道に従う者には福を授けて)いる。天の網は(余りに広大であるので人間の目から見ると)あらすぎるようであるが、それでいて、決してこの網の外に何者も洩らしてはいない。
17.小國寡民。人に什伯するの器有るも用ひざらしむ。民をして士を重んじ遠く徒らざらしむ。舟?(しうよ)有りと雖も、これに乗る所無し。甲兵有りと雖も、之を陳ずる所無し。民をして復結縄して之を用ひしむ。其の食を甘しとし、其の服を美とし、其の居に安んじ、その俗を楽しむ。鄰國相望み、?狗の聲相聞ゆるも、民老死に至るまで、相往来せず。[独立第八十]
 小さい国で人民も少ないのが理想的だ。たとり他に十倍・百倍する器量の人がいても、その才能を用いさせない。人民が生命を大切に思い、死を重大なことと思うようにし、(質朴ながらも豊かな生活を送らせて、)遠くへ徙(うつ)り住みたいというような気持ちを起させない。舟や乗車があっても、これに乗って行く必要を感ぜしめない。甲や兵器の備えはあっても、これを陳(なら)べて戦争などすることはさせない。人民をして古代の淳朴な、縄を結んで契約するような状態に立ち復らせる。このような至治の極、人民が各々その食を甘しとし、その服を美とし、その居に安んじ、その風俗を楽しんで満ち足りて、隣国と相望める近きにあり、お互いの国の?や犬の鳴き声が聞こえ合うほど接していながら、各自の土地に満足し切って、老いて死ぬまで、互いに往来しようとも思わない。かかる国こそわが理想郷である。
18.‥聖人は積まず。既く以て人の為にして、己愈(いよ)いよ有す。既く以て人に与えて、己愈(いよ)いよ多し。天の道は、利して害せず。聖人の道は、為して争わず。[顕質第八十一]
  聖人は自分のために蓄積しない。ことごとく人々のために尽くす。かくも真実を尽くす故に、人々から感謝され、かえって自分がいよいよ多く持つようになる。天の道は万物を利するのみで害することが無い。同様に、聖人の道はすべての人々のためにし、しかも功名を人と争おうとしない。
○「荘子」市川安司・遠藤哲夫訳注(「新釈漢文体系第7巻 老子・荘子上」明治書院 昭和41年)
○「老子荘子」小川環樹・森三樹三郎新訳(「世界の名著4」中央公論社 昭和43年)
○「十八史略 上」林秀一著(「新釈漢文体系第20巻」明治書院 昭和42年)
  
平成29年02月06日作成 第120話