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  諸子百家の第二は、墨家についてです。戦国時代には、儒家とならぶ勢力であったことがさまざまな記録から推測されるのですが、秦帝国の成立と共に急速に支持者を失い、19世紀に再評価されるまで中国でも忘れ去られていました。

 墨子(前480/470年~前390年頃)
 墨家の始祖の墨子(前480/470年頃~前390年頃)は、孔子(前552年~前479年)と同じ魯国で生まれました。名を「翟(てき)」といい字は不明です。孟子(前372年頃~前289年頃)と墨家の集団は論争を繰り返していました。墨子とその弟子たちの言行をまとめたのが、『墨子』です。『墨子』は、『論語』のようにすっきり整理されていませんが、主張の基本は「兼愛・非攻」です。
 「兼愛」とは、「自分と同様にすべての他人を愛すること」。君主が、すべての人を愛するならば国が鬼神もこれをたすけ天下が平和で安泰になるというのです。殷王朝も周王朝も実際の領土は小国であり、「尚賢」による有能な家臣のもと、君主の「兼愛」によって国民の支持をえて国は治まり、さらに多くの国が平和共存していたというのです。

 「すべての人を愛する」という「兼愛」の精神は、戦争否定の「非攻」の精神と表裏の関係にあります。「兼愛」「非攻」は、一体のものです。
 「非攻」とは、天下統一をめざして戦争することは、国民が被害を受け、産業基盤を疲弊させるので「百害あって一利なし」という主張です。
 1人殺せば、不義をなしたということで死罪になる。100人殺せば百死にあたる不義である。君主は皆知っていることである。しかし、この君主が他国を攻めることを不義とは思わず、いいことだというのは、不義であることを理解していないのである。
 と明確に主張し、戦争を否定しました。
 しかし、平和を唱えておれば平和が達成されるという平和ボケの九条遵守の教条主義者ではなく、その考えは専守防衛の概念でした。この「非攻」の主張を達成するために儒家は、築城と戦法を研究し、鍛錬し大国が小国を攻めて滅亡させるのを防いてゆきました。
 墨子自体、墨家集団を率いて大国の楚が小国の宋の侵略を防いだという記事が『墨子』に見られます。
 墨家の人々は一人の指導者のもとに団結し、工匠集団として小国の築城をたすけ、大国の侵略に対して防衛戦を戦う集団でもありました。その主張を実践したのです。
 「墨守」という言葉が今も使われています。辞書によると「かたくなに守り通すことや、自説や我意を固持して曲げないことをいう。中国、戦国時代初期の周の思想家墨翟(ぼくてき)(墨子)が、宋(そう)の軍に加わって楚(そ)軍と戦った際、楚の魯般(ろはん)(公輸盤(こうしゅはん))が発明した新兵器の雲梯(うんてい)を用いて、9回にわたり攻撃を仕掛けたが、ついにこれを耐えしのいで城を守り抜いた、と伝える『墨子』「公輸篇(へん)」の故事による。[田所義行]」とあります。

 他に、「尚賢」「節用」「節葬」などの主張があります。
 「尚賢」の主張は、身分にかかわらず「賢者」を登用して、地位を与え統治させる。そうすれば良い政治が行われるという主張です。身分にかかわらず有能な人材を登用するというのは、統治の基本と言うべきものですが、儒家の主張する君臣の別などの封建秩序に反する主張です。
 「節用」とは、質素倹約を旨とすること。宮殿は、重厚・絢爛豪華であれば、国民が苦しむ。君主は、優秀な子孫存続の目的もあって多くの女性を囲い込む。費用もかさみ、世の男性も女性の数が減り困るというのです。国民の利益に反する等々、あらゆる面で質素倹約こそ大切な心がけであるというのです。
 「節葬」は、文字通り葬式一切を質素にすること。一般に国王はどこの国においても、宮城をかざり、お墓に金銀財宝をうめ、後宮には女性を大勢囲い込みます。このようなことは、君主たるべきものはとるべきではないと、古代において主張したのです。
 儒家の主張する「修身斉家治国平天下」の国家統一プランは、「孝行」などの家族愛からの出発しており、自国中心主義であり、侵略戦争をも排除しないので人類の利益にはならない。博愛の精神とは反しているとして儒家とは対立していました。

 『呂氏春秋』には、儒家集団の三代目指導者の孟勝が前381年に鬼神に防衛を誓った城が陥落したときに400名も集団自殺したという記事があります。鬼神を信仰する強固な宗教的集団の要素もあったことが推測されます。
 身分制を否定して賢者の登用を主張し、国民のために君主の質素倹約を求め、領土拡大のための侵略戦争を否定する主張は、墨家集団の助けを求める小国の存在が消えた戦国時代の終焉と共に存在価値をうしないます。
 秦の始皇帝の中国統一は、墨家の主張に相反するものでした。小国を助けるという実践対象も失い墨家集団は消滅してしまいます。あるいは、始皇帝の焚書坑儒の犠牲になったともいわれています。

参考図書

○「中華文明の誕生」尾形勇・平勢隆郎著(「世界の歴史2」所収 1998年 中央公論社)
○「諸子百家」貝塚茂樹著(1961年 岩波新書)
○「墨子(上)」山田琢著(「新釈漢文体系第50巻」昭和50年 明治書院)
1.「昔の聖王である禹王・湯王・文王・武王は天下の人民を凡て愛し、ひきつれて天を尊び鬼神につかえ、人に利益を与えることが多かった。だから天は福を与えて、立てて天子となし、天下の諸侯はみなこの天子につつしんでつかえた。また暴君である傑王・紂王・幽王・厲王は天下の人民をすべて憎み、ひきつれて天をそしり鬼神をあなどり、人を傷つけることが多かった。だから天は禍を与えて、おとしてその国家を失わせ、その身は死して天下の辱めを受けて、後世の子孫はそしって今に至るまでやまない。」[巻之一 法儀第四・七節] p51
2.「一定の賦役によって城郭を修めるならば、人民は労働につかれてもなやむことはない。また一定の税法で租税を徴収するならば、人民は出費がかさんでもなやむことはない。人民が苦しみとすることはこれではない。人民にひどく税を課することに苦しむのである。だから、聖王は居室をつくって生活の便利をはかったが、見て楽しむ居室はつくらなかった。また衣服や帯や履物をつくって身体の便利をはかったが、珍奇な品物はつくらなかった。かくてわが身につづまやかであって人民の教訓とした。だから天下の人民はよく治まり、財用はよく充足した。」
 「当代の君主が妃妾を養うには、大国はその拘女が数千に及び、小国は数百に及ぶ。そこで天下の男子は妻なく寡夫が多い。女子は拘囚されて夫がない。男女は婚嫁の時を失うので人民は少なくなる。君主がまことに人民が多くなることを願い、少ないことを憎むならば、妃妾を養うことは節制しなければならない。
 すべてこの五つのものは、聖人が節約節制するところであり、小人が逸楽にふけるところである。君主が節約節制するに節度があると五穀もみのり、衣服に節度があると肌も和らぐ。」[巻之一 辞過第六・二節/十四節~十五節]p65・p75
 *この五つのもの…宮室・衣服・飲食・舟車・蓄私(妾) 引用は居室と蓄妾の部分のみ
3.「だからむかし聖王が政治を行うには、有徳の人を官位につけて賢人を尊んだ。農や工・商に従事する人でも有能であれば任用し、高い爵位をあたえ、また重い俸禄を与え、政務を委任して決断する裁決権をあたえた。そのわけは、爵位が高くなければ人民は尊敬せず、俸禄が厚くなければ人民は信用せず、政令が断行されなければジンジンは畏服しないからである。この三つすべて賢人に授けるのは、賢能なるがための恩賜ではなく、政治が成功せんことを願うからである。
 かくてこの時代には、徳によって官位につき、役目によって仕事に従い、労力によって賞を定め、功績を量って俸禄を与えた。だから官位に在ってもいつまでも貴いことはなく、庶民でもいつまでも賤しいことはなかった。能力があれば任用し、能力がなければしりぞけた。公正なる道義に従い、私的な怨みにはよらないというその意味は、その主旨である。」[巻之二 尚賢上第八・六節~七節] p87・p88
4.「もし天下の人々をして併せて相愛し、他人を愛することはわが身を愛するようにあらしめたならば、それでもなお不孝の者があるであろうか。父兄と君とを視ることはわが身同然なのであるから、どうして不孝の行いがあろうか。またそれでもなお不慈の者があるであろうか。弟と子と臣とを視ることはわが身同然なのであるから、どうして不慈の行いがあろうか。かくして不孝と不慈はなくなる。またそれでもなお盗賊があるであろうか。他人の一家を視ることはわが一家同然なのであるから、誰が盗もうか。他人の身を視ることはわが身同然なのであるから、誰がそこなうか。かくして盗賊はなくなる。またそれでもなお大夫が互いに他の采地を視ることはわが采地同然なのであるから、誰が乱そうか。他の国を視ることわが国同然なのだから、誰が攻めようか。かくして大夫が互いに采地を乱し、諸侯が互いに国を攻める者はなくなる。もし天下の人々をして併せて相愛せしめたならば、国と国とは相攻めず、家と家とは相乱さず、盗賊はあることなく、君臣父子はみな孝慈となるであろう。このようであれば天下は治まるであろう。」
 「だから聖人で天下を治めることを任務となす者は、どうして人を憎むことを禁じて人を愛することをすすめないでよかろうか。かくて天下は人々が併せて相愛すれば治まるが、互いに憎み合えば乱れる。そこで子墨子が、人を愛することをすすめなければならないと言われたのは、このことである。」[巻之四 兼愛上第十四 四節~五節] p174・p175
5.「一人を殺せば、これを不義となし、必ず一死罪にあたる。もしこの論法でゆけば、十人を殺すと不義は十倍となり、必ず十死罪にあたる。百人を殺すと不義は百倍となり、必ず百死罪にあたる。これらのことは、天下の君子がみな知ってこれを非となし、これを不義とする。いま大いに不義をなして他国を攻めるにいたっては、非となすことを知らず、そのうえこれを誉め、これを義とする。ほんとうにそれが不義であることを知らないのである。そこで他国を攻めた話を書いて後世にのこす。もしそれが不義であることを知っておれば、それを書いて後世にのこす何の弁解の辞もないはずである。」[巻之五 非攻上第十七 二節]p215~p216
○「墨子(下)」山田琢著(「新釈漢文体系第51巻」昭和62年 明治書院)
  
平成29年02月01日作成  第119話