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 イエス=キリスト(前4年頃〜後30年頃)は、ローマ帝国の属領ユダヤに生まれた。母のマリアは、ナザレの大工ヨセフと婚約中であったが、ヨセフと関係を持たないのに、イエスを身ごもった。後28年(ルカ伝3-23によると30歳)になって教えを説き始めたとき、故郷のナザレの人びとも、反対派もイエスを父親不明のマリアの子であると侮辱をしていた(マルコ伝6-3、マタイ伝11-19)。イエスの義父ヨセフは、ダビデ王の子孫であった。このダビデ王の子孫からメシア(救世主=キリスト)が出現すると聖書(旧約聖書)で預言されている。イエス=キリストという呼び名は、イエスがメシア(救世主)であるということを受け入れていることを前提としている。
 処女マリアのもとに、神の使いの大天使ガブリエルが訪れて、ダビデの王位を継ぐものが生まれると告知した(ルカ伝1-26)。当時のユダヤでは、不倫をした婚約者は石打の刑で殺してもよかった。しかし、ヨセフは、なぜかマリアを許し、イエスを自分の初子として受け入れた。この大天使ガブリエルが、本当の父ではないか、という説がある。勿論、肉体をもった人間である。大天使とされているのは、ガブリエルが、非常に高位の神官であるローマの大司祭長であったからであるというのである(M158-34)。ヨセフとマリアの間には、のち4人の男の子と数人の女の子が生まれた。

 ユダヤの統治をローマから任されていたヘロデ大王(前37年から前4年)は、占星術師のメシア(救世主)が誕生したという言葉を信じ、自分の王位を脅かす者として預言の年に生まれた幼児殺しを決行した。イエスは、エジプトに逃れた。モーセの故事にちなんだ作り話なのか、ピラミッドで儀式をおこなう古代エジプトの英知に触れにいったのか。ヘロデ大王が死んで、ユダヤにもどった。
 十二歳の時、エルサレムの神殿で神童ぶり発揮した以外イエスの少年、青年時代の足跡は知られていない(ルカ伝2-42)。

 当時、ユダヤ教には、3つの派があった。
サドカイ派  ヤハウェ神殿(第2神殿 前515年〜後70年)を背景に権力を握っていた司祭、貴族などで構成。イエスに死刑を命じたサンへドリン(議会)はサドカイ派により構成され、その議長は大司祭。後70年に神殿が破壊され消滅する。サンへドリンは、地下政府となり現在もユダヤ民族の最高権力を握っているという説がある。 
パリサイ派  ファリサイ派ともいう。律法を解釈するラビ(教師)が依るシナゴーク(会堂)を中心とした信仰生活を行っていた。後70年に神殿が破壊されてからは、ユダヤ教の主流となる。イエスは、パリサイ派を激しく非難したため、イエスの使徒(弟子)による宣教を迫害していた。 
エッセネ派  「義の教師」に率いられ、ユダヤ教の純粋さを保とうとした司祭によってつくられた。死海西岸のクムラン修道院(要塞)で隠遁生活を送り、死海文書を残したクムラン宗団は、このエッセネ派の中心的な存在であった。
 イエスに水の洗礼を施したヨハネは、このエッセネ派と密接な関係があった。イエスもエッセネ派に属していたのではないかといわれている。原始キリスト教団とエッセネ宗団のあり方の類似性が指摘されている。 
 後28年イエスは、ヨハネによる水の洗礼(水のパブテスマ=水につかり罪穢を浄める儀式)を受け、説法を始める。
 イエスの説いたことを要約すると
 「時が満ち、神の国は近くなった。悔い改めて福音(イエスの教え)を信じなさい。」
であったと、矢内原忠雄は、イエス伝の中でのべている。
 イエスの説くところはユダヤ教の民族主義を超え、すべてをゆるす神の絶対的愛と隣人愛の実践、神の前の平等を説き人びとの心を捉えて放さなかった。同時に、死人が生き返り、目の見えない人が見えるようになるなど様々な奇跡をおこして神の愛の証とした。
コンスタンティノープルの聖ソフィア聖堂の
キリストのモザイク壁画
 後29年頃、多くの付き従う人びとの中から十二使徒を選び、イエスの教えの伝道を命じた。これら十二使徒もまた、奇跡をおこして人びとを救いながら伝道をおこなった。
 さらに70人を選び各地に派遣しイエスの教えを伝道させた。
 イエスは、神殿の権威をかさに着るサドカイ派や律法を形式的に守ろうとするパリサイ派を激しく非難した。さらにイエス自身が自分はメシア(救世主)であると宣言し、パリサイ派、サドカイ派の逆鱗に触れた。神を冒涜する者としてサドカイ派中心のサンへドリン(議会)の告発と決定により後30年頃ゴルゴダの丘で十字架にかけられ、死を迎えた。
 ところが、刑死より三日目に蘇り、十二使徒の前に現れて、しばらくして、天に昇つた(マルコ伝15-19)。
 イスラム教では、神の使いのイエスが十字架にかかるはずはないとして、よく似たものが身代わりとなって十字架にかかったのであり、イエスの復活ではないと説いている(「コーラン」女人の章157)。誰かが墓より遺体を引出し、本物のイエスが弟子たちの前に現れ、いずこかへ去ったというのである。
 アブラハム、モーセ、イエス、釈迦、マホメット、孔子、孟子、老子等の聖者の中で、イエスのみが処女懐胎といい、死後3日後の墓よりの復活といい自然の摂理に反している。誕生と死に対して異説をあげた所以である。異説が真実であってもイエスの偉大さを減じるものではない。

 イエスの死後弟子たちを率いたのは、十二使徒の頭であったペテロである。ペテロは、イエスから「天国の鍵」を与えられた(マタイ伝16-19)イエスの後継者であった。しかし、後67年頃、ネロ帝の時代にペテロは逆さ十字架にかけられて、ローマで殉教した。ペテロの墓の上に聖ピエトロ大聖堂(ローマ教会)が建てられた。ローマ=カトリックでは、このペテロの墓の上に立てられた教会の長(ローマ教皇)が、ペテロの権威を受け継ぎ、信徒を天国へ導く鍵を握っているとしていて、ローマ教皇の絶対性をその教義としている。ローマ教皇はペテロを初代として、現在のベネディクトス16世(265代・2005年〜)に至る。
 ペテロは主にユダヤ人にイエスの教えを伝道した。それに対して、初めパリサイ派に属しイエスの教えに従う者を迫害していたパウロは、後34年頃回心し、主として異邦人(ユダヤ人以外)に伝道し、ペテロと勢力を二分するに至った。ペテロとパウロの権力闘争を経て、パウロの路線の勝利により現在のキリスト教の教義の基本が確立された。
 つまり、処女マリアから生まれたイエスが、人類一人一人にある原罪を背負って十字架にかけられた。この事を信じイエスを受け入れるものは、天国にゆける。見事に教祖の死をプラス思考で変換させた奇跡の論理であると冷静に考えれば取れる。この教義により、イエス派ユダヤ教ではなく、ユダヤ教と袂をわかったキリスト教が確立することなる。後50年頃からユダヤ教とキリスト教の分離が始まり、1世紀末には、完全に分裂することとなった。

 現在のキリスト教はパウロによるところが大きい。イエスの教えを伝える新約聖書は、27の巻からなり、死後25年を経た頃から編集され始めた。一番古いのが13巻からなるパウロの書簡であり、50年代に執筆されている。ついで、70年頃「マルコによる福音書」が執筆された。最終的には、393年のヒッポ公会議で27巻が認められた。正式には、397年の第三回カルタゴ公会議で、この27巻を正典とする正典目録が公認された。公認に至るまで、時々の課題に対応するため、削除、加筆、改ざんがなされているのは周知の事実である。
 例えば、原罪という思想は、パウロによる「ローマ人への手紙 第5章12節〜21節」による。アダムの罪によって全人類が、生まれながら罪人となった。神より生まれたイエスの犠牲的死を受け入れることにより、初めて人は義人となる。このことを受け入れて初めて人は天国に住することができる。これがキリスト教の正統教義であるが、イエスはこのようなことは、説いていない。少なくともイエスの言行録である福音書(マタイ、マルコ、ルカ、ヨハネによる福音書)にはない。
 「わたしに向かって『主よ、主よ。』と言う者がみな天の御国にはいるのではなく、天におられるわたしの父のみこころを行う者がはいるのです。」(マタイ伝7-21)

 歴史的には、イエスの説いた教えとパウロが路線をひいたキリスト教の教えは区別して考えた方がよい。 

参考図書

○「聖書 新改訳」(1970年 日本聖書刊行会)
[祈り]
   『天にいます私たちの父(※人は神の子であることを前提としての言葉)よ。
 御名があがめられますように。
 御国が来ますように。みこころが天でおこなわれるように地でもおこなわれますように。
 私たちの日ごとの糧をきょうもお与えください。
 私たちの負いめ(罪)をお赦(ゆる)しください。
 私たちも、私たちに負いめのある人たちを赦しました。
 私たちを試みに会わせないで、悪からお救いください。』
 もし人の罪を赦すなら、あなたがたの父もあなたがたの罪を赦してくださいます。
 しかし、人を赦さないなら、あなたがたの父もあなたがたの罪をお赦しになりません。(マタイ伝6-9~15)

[神の絶対愛]
 自分の敵を愛し、迫害する者たちのために祈りなさい。それでこそ、天におられるあなたがたの父の子どもになれるのです。天の父は、悪い人にも良い人にも太陽を上らせ、正しい人にも正しくない人にも雨を降らせてくださるからです。(マタイ伝5-44~45)

 空の鳥を見なさい。種蒔きもせず、刈り入れもせず、倉に納めることもしません。けれども、あなたがたの天の父がこれを養っていてくださるのです。あなたがたは、鳥よりも、もっとすぐれたものではありませんか。
 あなたがたのうちだれが、心配したからといって、自分の命を少しでも延ばすことができますか。
 なぜ着物のことで心配するのですか。野のゆりがどうして育つのか、よくわきまえなさい。働きもせず、紡ぎもしません。
 しかし、わたしはあなたがたに言います。栄華を窮めたソロモンでさえ、このような花の一つほどにも着飾ってはいませんでした。
 きょうあっても、あすは炉に投げ込まれる野の草さえ、神はこれほどに装ってくださるのだから、ましてあなたがたに、よくしてくださらないわけがありましょうか。信仰の薄い人たち。(マタイ伝6-26~30)

[裁くな]
 さばいてはいけません。さばかれないためです。あなたがたがさばくとおりに、あなたがたもさばかれ、あなたがたが量るとおりに、あなたがたも量られるからです。(マタイ伝7-1~2)
 
[隣人愛]
 『心を尽くし、思いを尽くし、知力を尽くして、あなたの神である主を愛せよ。』
 これがたいせつな第一の戒めです。
 『あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ』という第二の戒めも、同じようにたいせつです。
 律法全体と預言者とが、この二つの戒めにかかっているのです。(マタイ伝22-37~40)
[火の洗礼]
 まず第一に、次のことを知っておきなさい。終わりの日(※「神の国」が実現する直前のこと)に、あざける者どもがやって来てあざけり、自分たちの欲望に従って生活し、
 次のように言うでしょう。「キリストの来臨の約束(※火の洗礼が始まる終わりの日に、キリストは地上に戻ってくるという預言・この再臨のキリストによる裁きのあと「神の国」が実現する)はどこにあるのか。先祖たちが眠った時からこのかた、何事も創造の初めからのままではないか。」
 こう言い張る彼らは、次のことばを見落としています。すなわち、天は古い昔からあり、地は神のことばによって水から出て、水によってなったのであって、当時の世界は、その水により、洪水におおわれて滅びました(※ノアの箱船の洪水のこと)。
 しかし、今の天と地は、同じみことばによって、火に焼かれるためにとっておかれ、不敬虔な者どもの裁きと滅びの日まで、保たれているのです(※「神の国」になる前に、神に選ばれなかったものは、火に焼かれる〈火の洗礼〉。)
 しかし、愛する人たち。あなたがたは、この一時を見落としてはいけません。すなわち、主の御前では、一日は千年のようであり、千年は一日のようです。
 主は、ある人たちがおそいと思っているように、その約束ごとを送らせておられるのではありません。かえって、あなたがたに対して忍耐深くあられるのであって、ひとりでも滅びることを望まず、すべての人が悔い改めに進むことを望んでおられるのです。
 しかし、主の日は、盗人のようにやって来ます。その日には、天は大きな響きをたて消えうせ、天の万象は焼けてくずれ去り、地と地のいろいろなわざは焼き尽くされます。
 このように、これらのものはみな、くずれ落ちるものだとすれば、あなたがたは、どれほど聖い生き方をする敬虔な人でなければならないでしょう。
 そのようにして、神の日の来るのを待ち望み、その日の来るのを早めなければなりません。その日が来れば、そのために、天は燃えてくずれ、天の万象は焼け溶けてしまいます。
 しかし、私たちは、神の約束に従って、正義の住む新しい天と新しい地を待ち望んでいます。
 そういうわけで、愛する人たち。このようなことを待ち望んでいるあなたがたですから、しみも傷もない者として、平安をもって御前に出られるように、励みなさい。(ペテロの第二の手紙 3-3~14)

○「父が子に語る世界史 1」ネルー著大山聰訳(みずず書房 2002年新訳)

「イエスの直接の門弟たちは、おどかしにあってかれにそむいた。しかしまもなく、パウロが、みずからキリスト教の教義と考えたところをひろめはじめた。パウロの説いたキリスト教は、イエスの教えとはひじょうに異なったものだというのが多くの人びとの意見だ。パウロは有能で、博識なひとだったが、イエスのような反逆者ではなかった。ともかくパウロは成功をおさめ、キリスト教はしだいにひろまった。」(163頁) 

○「キリスト教の誕生」ピエール=マリー:ボード著 佐伯晴郎監修(創元社 「知の再発見」双書70 1997年)
○「ローマ帝国とキリスト教」弓削 達著(「世界の歴史5」河出書房新社 昭和43年)
○「コーラン」 藤本勝次 責任編集(「世界の名著15」中央公論社 昭和45年)
○「イエス伝」矢内原忠雄著(角川選書9 角川書店 昭和43年)
  
平成21年10月31日作成 平成25年03月09日最終更新  第058話