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 伝説によると、ローマはトロイの木馬の物語で有名なトロイの王家の子孫であるレア・シルビアと軍神マルスとの間に生まれて、籠に入れられてティベル河に流されたロムルスとレムスの双子の兄弟によって建国された。ロムルスとレムスは初め、オオカミに育てられ、やがて羊飼いに育てられた。長じた兄弟は、現在のローマの地に住み着き建国した。やがていさかいによりロムルスによりレムス殺され、ロムルスにちなんでこの国はローマと喚ばれるようになった。前743年4月21日の事ととされている。
 初め、様々な民族の乱立するイタリアにあって小さな都市国家に過ぎなかったローマが、強力なギリシア系都市国家、エトルリア系都市国家などを次々と吸収しながら前272年にはイタリア半島を統一した。ついには、2世紀初めのトラヤヌス帝(在位98年〜117年)の時代は、西ヨーロッパとエジプト、トルコを含む大帝国を形成した。
 やがて、ローマ帝国は東西に分裂する。西ローマ帝国は476年に滅亡したが、東ローマ帝国は1453年まで存続した。正に永遠のローマというにふさわしい繁栄を遂げる。東西ローマ帝国滅亡後も、ローマ帝国を名乗る国が存続し、西ローマ帝国は、オーストリア帝国に、東ローマ帝国はロシア帝国に受け継がれた。この両国は、100年前まで存在していた。更に、現在のアメリカ合衆国の鷲の紋章はローマ帝国に由来する。また、現在ヨーロッパは、EUとしてのまとまりを持ち、ヨーロッパ合衆国が誕生しようとしているが、これもローマ帝国の復活運動であるといえよう。これほどまでに、ヨーロッパ社会に影響を与えたローマ帝国は、建国当時は弱小の都市国家に過ぎなかった。 
 「栴檀は二葉より芳し」という言葉がある。「良い種は良い実を結ぶ」という言葉もある。ローマの特徴は、その政治的天才にある。国家が2000年以上もつづく為には、様々な試練に耐えなければならない。危機に直面するたびに、政治体制を替えてきた、その柔軟さこそ存続の秘密の一つであろう。初め、王政であり、前509年に最後の王が追放されて貴族共和制が確立するまで、7代の王が統治したが、正に適所適材とでもいうべき役割をはたし、都市国家ローマを盤石にした。

 塩野七生によると建国者ロムルスは、独裁者としての王とは成らずに、すでに王と市民集会と元老院の役割分担をさだめたという。
ロムルスの定めた制度
王  宗教祭司と軍事と政治の最高責任者 
市民集会  王を初め政府の役職者を選出する 
元老院   王に助言する100人の長老 
 のちの、しなやかな政治体制を彷彿させるではないか。ローマは、当時の都市国家にはめずらしく敗者に寛容で、敗者を受け入れ同化して拡大していった。敗者に寛容な民族は案外少なく、これが、ローマが、強敵に囲まれながらも、徐々に勢力を拡大し、ついには1000年かけて世界の覇者になる一因となるのである。「全てを水に流す」ことの出来る日本人に通じるものがある。
 もう一つの強さは、勤勉で誠実、愛国心に富み、義務を果たすことに忠実だったことにある。家長の力が強く、家族は家長の元に団結をしていた。
 前715年、軍隊を謁見していたロムルスを、突然の雷雨が襲い、雷鳴がおさまると玉座は空っぽであったという。天に召されたのである。
 第2代国王をヌマ・ポンピリウスといい、伝承では宗教的な調和をもたらし、国家に秩序をもたらした聖者・賢者であるとされている。
 ヌマ王は、暦をさだめた。1年を12か月に定め、1年の長さを三百五十五日と決めた。余ってくる日数は、二十年ごとに決算されることになっていた。カエサルが一年を三百六十五日に定めるまで、ヌマ王の暦は、ローマ人の日常を律することとなった。
 前509年、第7代目の王を追放して、王に変わる2名の執政官を置くこととした。2名であれば互いに牽制し、独裁者とはならないという智恵が働いていた。貴族共和制の成立である。国政全般を指導する執政官の任期は1年であった。侵略を受けるなどの国家非常事態の時は、執政官にかわり、1名の独裁官が置かれる。任期は半年であった。
 ローマは、まわりの都市国家との戦争に明け暮れ、危機を乗り切り、勢力圏を拡大していった。その原動力は、市民の高い愛国心にあった。平民たちは、重装歩兵として国防にあたった。その代償として政治的発言権を求めることになる。平民の有力者取り込みながら、ローマは前272年にイタリア半島を統一することとなる。
 平民と貴族の権力闘争を身分闘争という。前287年のホルテンシウス法の成立で、身分闘争は終結をみた。平民の権利の伸張を表にまとめてみたい。

前8世紀  元老院  初代国王ロムルスによって設立。100名の家長よりなる。
前6世紀末共和制になると300名より構成。有識者で終身。選挙の洗礼をうけない。
前287年のリキニウス法後、国家の要職についた平民も元老院議員となれるようになる。元老院がローマの政治的な安定の要因となる。  
前509年  執政官  王を追放し任期1年2名の王に変わる執政官を置く。 
前501年  独裁官   非常事態の時、任期半年1名の独裁官をおく。執政官の上位とする。 
前494年  護民官  身分は神聖不可侵、任期1年2名、平民の権利を守るために執政官に対して拒否権をもつ。 
5世紀初   平民会   平民の意志を代表。議決は平民を拘束する。ホルテンシウス法で国法となる。  
前450年  十二表法    貴族の独占物であった法を公開した。家父長権の強いのが特徴
前445年  カヌレイウス法   貴族と平民の結婚承認  
前367年  リキニウス法  執政官のうち1名を平民から選出する。国家の要職を平民にも開放する。 
前287年  ホルテンシウス法  平民会の議決が国法となる。元老院と平民会と2つの立法機関ができる。 










 
 ローマの政治的な天才は、元老院という見識等優秀な人材の宝庫をつくったこと。常にこの元老院議員に有能な勢力を吸収していったということ。前494年の護民官の設置に見られるように、巧みに平民の不満をそらす官職を設置する柔軟さがあったということ。リキニウス法によって、国家の最高権力も平民に開放したことなどであると思うがいかがであろうか。

参考図書

○「ローマは一日にして成らず」塩野七生著(新潮社 ローマ人の物語T 1972年)
○「ローマの歴史」1・モンタネッリ著 藤沢道郎訳(中央公論社 昭和51年)
  
平成20年07月27日作成  第052話