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 スパルタは、アカイア人を征服して出来たドーリア人(いずれもギリシア系)の国である。10倍にも及ぶ被征服民を支配するために、スパルタ市民には、厳しい訓練と義務が課せられた。スパルタ市民を育成するために工夫されたのがスパルタ教育ということになる。前7世紀頃の伝説上のリュクルゴスによって整えられたということである。
 生まれると長老の審査があり、健康な赤ちゃんだけが、育てられ、障害があったり、不健康な赤ちゃんは捨てられた。男性は7歳になると寄宿舎に入れられ、20歳になるまで、年齢別に集団訓練をうけ、厳しい体育と軍事訓練に明け暮れた。文芸は人を堕落させるものとされ、最低限の読み書きのみを教えられた。20歳で一人前の兵士とて認められたが、30歳まで共同生活を続けていた。女性は、立派な市民つまり兵士を生むために、スポーツが奨励され、厳しい体育の訓練を受けた。母になれば、息子が一人前のスパルタ市民として勇敢に戦い戦死することを名誉とするように意識づけられていた。2つの王家あったが、軍の指揮官や祭祀を司るのが主な仕事で独裁権は無かった。豊かな征服地は農地の為、貨幣経済は発達せず、外部との経済交流も行われず鎖国政策をとっていたが、ペルシア戦争の頃までは、ギリシア最強のポリスと見なされていた。 

スパルタ市民(男子)の生活
0歳  長老による審査:虚弱な子供は捨てられた
7歳〜19歳 男子は寄宿舎生活、厳しい体育と軍事教練
20歳〜30歳  20歳で一人前の兵士、30歳まで共同生活
30歳〜59歳  この中から監督官(5名)=司法権と監督権
30歳結婚適齢期(15歳位の女性と結婚)
60歳以上  この中から長老会(28名)と2名の王=最高の決議機関

 ペルシア戦争(前492年〜前449年)は、オリエントを統一したアケメネス朝ペルシアのダレイオス大王によるギリシア侵略である。第1回(前492年)は、難破で終わったが第2回(前490年)のペルシア戦争では、ギリシア本土に侵入したが、アテネを中心とするギリシア連合軍にマラトンの戦いで敗北し、退却した。マラトンから勝利をしらせるためにアテネに駆け戻って「我が軍勝てり」と勝利を知らせて息絶えた兵士の故事に因んで「マラソン大会」が始まったとされている。
 第三回は、クセルクセス大王が、用意万端整えて10万軍隊を率いて陸路侵入した、これをばばもうとして、テルモピレーの戦い(前480年)で玉砕(全員戦死)したのが、レオニダス率いるスパルタ軍300であった。けっきょくアテネも蹂躙されたが、地の利を得た海軍の決戦にかけたのがアテネの将軍テミストクレスで、サラミスの海戦(前480年)で、ペルシア軍を完璧に破り、ギリシア連合軍の勝利を決定づけた。サラミスの海戦で活躍したは、武具を身につけるお金をもたないアテネでももっとも貧しい人たち(無産市民=プロレタリアート)であった。彼らのこの勝利の結果、アテネにおいて財産のない人も政治参加ができる直接民主政治が発達することとなった。
 ここまでは、アテネとスパルタは意見の対立があるものの手を携えて、ペルシア帝国の侵略を防ぐために全力をつくした。
 まだ、ペルシアとの平和条約が結ばれていなかったので、海軍力を維持しペルシアに備えるためにアテネを中心としたデロス同盟(前478年)が結ばれた。前449年のペルシアと平和条約を結びペルシア戦争が終結した後も存続し、アテネはこの同盟の盟主として、資金を手に入れ、パルテノン神殿や後世に残る文化の全盛時代(前478年頃〜前431年頃)を迎える。一方スパルタは、古くからあったペロポネソス同盟を強化してアテネと対抗した。ついにアテネとスパルタの雌雄を決するペロポネソス戦争(前431年〜前404年)が起こり、スパルタの勝利におわった。スパルタのギリシアに対する覇権は長続きせず、第三のポリスであるテーベが指導権を握ることもあったが、長続きせずギリシアのポリスは混乱と衰退期にはいる。このギリシアの背後には常にペルシアがあり、第二勢力に資金を提供し、ギリシアが団結することの無いように暗躍していたと、同時代にペロポネソス戦争史を書いた、ツキジデスは記述している。ペルシアの魔の手が伸びる直前に、ギリシアのポリスの連合軍を前338年のケイロネイアの戦い破り征服したのは、背後にあったマケドニアの国王フリップ2世である。彼の息子がアレキサンダー大王で、父の遺志を受けてペルシア帝国征服戦争を行うことになる。
 古代ギリシアの歴史を視ていると、20世紀の国際情勢を視るようで興味深い。ロシア革命以降、ソ連(現在のロシア)を中心とする共産主義国家勢力とアメリカ合衆国を中心とする資本主義国家の二大陣営の対立は、ペロポネソス同盟とデロス同盟の対立を視るようである。また、ギリシアの対立をあやっているのは、ペルシアであったが、少し前のソ連とアメリカ合衆国及び現在の民主主義勢力とイスラム勢力の対立という国際不安を煽っている勢力がいるのかいないのか。そのようなことを見る目をやしなってほしいと願っている。対立で利益を得ているのはどのような勢力かという目である。また、そのさきの目的があるのかないのかという冷めた目も必要であろう。その様な目で、日本が如何にこの厳しい時代を生き抜くべきかということにまで思いを致して欲しいと願っている。   

参考図書

○「ギリシアとローマ」村川堅太郎編著(中公文庫「世界の歴史」第2巻 1974年)
 
平成19年10月08日作成  第039話