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高校生のためのおもしろ歴史教室>世界史の部屋

03.ハムラビ法典と法神授思想

ハムラビ法典(ルーブル博物館蔵)
  古バビロニア王国のハムラビ王(位前1729年頃〜前1686年頃)は、全メソポタミアを統一し、中央集権国家を建設し、シュメール法を継承して集大成した282条からなるハムラビ法典を制定し、各地に高さ1.8メートルにもなる法典の内容を彫った、黒色閃緑岩石の碑文を立てた。そこには椅子にすわった太陽神シャマシュから王権を象徴する棒と縄を与えられているレリーフが刻まれている。「目には目を、歯には歯を(196条及び200条)」の条文は有名であるが、序文についてはあまり知られていない。「敬虔なる君主で、神を畏れる朕(私)ハムラビをして国のなかに正義を輝かせるために、シャマシュ神のように黒い頭ども(=シュメール人のこと)に向かって立ち昇り国土を照らすために、…、強者が弱者を虐げないために、…」(高橋正男訳)とある。つまり、正義の太陽神シャマシュが神の代理であるハムラビ王に法典を授ける。だから、守りなさいという図式になる。絶対の基準である。
ユダヤ教とキリスト教の聖典である「聖書」にもよく似た物語がある。ユダヤ人の指導者モーセが、イスラエルを建国するまえに、シナイ山に登って、直接天地創造のヤハウェの神から十戒(=十の守るべき戒律)をもらった話がそれである。神の手で書かれた二枚の石版をもらったとある。ハムラビ王が太陽神シャマシュから直接法典をさずけられたのと同じである。法典は、人として生きる行動の基準となるものである。正義の神からもらったものであるから、理屈抜きに生きるための規範となるものである。自分の考えと違うから、守らないという立場は、とれないことになる。十戒が、キリスト教・ユダヤ教の規範となっている。イスラム教も神から授けられた絶対の戒律が基本としてある。

江戸時代から第二次世界大戦(1945年敗戦)までの日本では、儒教の八つの徳目「仁義礼智忠信孝悌」をベースとした規範があった。明治以降は、この儒教の徳目を明記した教育勅語(1890年発布)がその役割をになっていた。このような規範の崩壊の後、これにかわる規範を見いだせなかったところに、すべてお金と物欲・肉欲に還元される、日本の底知れない倫理崩壊、社会崩壊があるように思う。古代日本では、「清明正直」を規範としてきた。「清く明るく正しく真っ直ぐ」に。この古代人の理想像を規範として生きてはどうか。貧しくとも心豊かであれ。「物で栄えても魂がほろんでいいのだろうか?」

参考図書

○「モーセの十戒」(「聖書」新改訳 日本聖書刊行会 「出エジプト記」) 
 わたしは、…、あなたの神、主(しゅ)である。
  ・あたなには、わたしのほかに、こほの神々があってはならない。
  ・あなたは、自分のために、偶像を造ってはならない。
  ・あなたは、あなたの神、主の御名を、みだりに唱えてはならない。
  ・安息日を覚えて、これを聖なる日とせよ。
  ・あなたの父と母を敬え。
  ・殺してはならない。
  ・姦淫(かんいん=不倫など正しくない性行為)してはならない。
  ・盗んではならない。
  ・あなたの隣人に対し、偽りの証言をしてはならない。
  ・あなたの隣人の家をほしがってはならない。(第20章1節〜17節)

○「旧約聖書の世界」 高橋正男著(時事通信社 1990年)

平成18年08月23日作成  第002話