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  「万葉集」が存在すること自体、奇跡であり、世界有数の文化遺産です。現存最古の歌集であり、今日まで続く和歌(短歌)の源流をなすものです。日本には、古い文化遺産が多すぎて、有ること自体が当たり前になっていてその凄さを実感できていないのではないでしょうか。

  詩歌などを選択し、編集したものをアンソロジーといいます。
 「花冠」(前7世紀から前3世紀の詩集)古代ギリシアのメシアグロス編
 「詩経」(前1100年頃から前600年頃)中国の古典
 などが最古のものといえるようですが、「万葉集」は質・量とも世界に冠たる日本の古典文化の粋をあつめたものであるということがいえます。

 「万葉集」には、400年頃の仁徳天皇の磐姫皇后の歌[85]から759年正月の大伴家持の歌[4516]まで350年間にわたる4516首の歌が集められています。天皇・皇后から貴族、階層の低い一般民衆の歌まで含みます。太宰府に送られた防人の歌や農民の歌などを含み、現代の我々の琴線に触れる秀歌が集められています。
  万葉集に歌われた感情は、現在に通じるものです。古代人とて現代人と少しもかわりません。古いもので1600年、新しい歌で1300年前の個人の喜怒哀楽が生き生きとつたわってきます。日本人として心情においてつながっていることを実感できます。

  最終的な編集責任者は、大伴家持(718年〜785年)であるとされています。彼は、公卿として従三位中納言まで登りつめています。つまり大臣クラスの高級官僚であったわけです。和歌を読めるということは、貴族のみならず、官人としての必須の教養でした。よって武家の時代になってからも、みな和歌を詠んでいます。

  律令国家の最盛期である奈良時代は、唐風文化の最盛期でもあり、漢文が公用語とされる時代でもありました、その中にあって、「やまと言葉」の和歌集を後生に残す苦労は並大抵のものではなかったはずです。「古事記」と並んで、唐風文化に対する日本の古来の考え方を守った本としても奇跡の本であると言えます。江戸時代に入って、日本の心をたずねる国学が興ったとき、先ず「万葉集」と「古事記」の研究から始まりました。

  山上 憶良(660年〜733年)の歌を紹介します。 
「貧窮問答歌」[982]であるとか、その反歌である「世間を憂しと恥(やさ)しと思へども飛び立ちかねつ鳥にしあらねば[893]」や子供を歌った「銀しろかねも金くがねも玉も何せむにまされる宝子にしかめやも[803]」が有名です。それだけではありません。古代の日本を考える上で重要な歌を残しています。

 憶良が、親戚である遣唐使丹比真人広成を天平5年(733年)3月1日に送別した時の長歌です。憶良は、遣唐使に派遣された経験をもち、従五位下、筑紫守まで出世しました。今で言うと県知事クラスの官僚です。


「神代より 言い伝えて来らく そらみつ 大和の国は 皇神の 厳(いつく)しき国 言霊の幸はふ国と 語り継ぎ 言い継がひけり 今の世の 人もことごと 目の前に 見たり知り足り…
(神代の昔から言い伝えて来たことがある、この大和の国(=日本)は皇祖の神の御霊の尊厳な国(=万世一系の天皇が厳として存在する国)、言霊が幸をもたらす国と、語り継ぎ言い継いで来た。此の事は今の世の人も悉く目のあたりに見、かつしっている。…)[894]」

 日本の高官であり、唐を知っていました。さらに、白村江の戦いに敗れて帰国した武官の子供でもありました。その唐と百済と日本の特徴を肌でつかんでいる国際教養人の憶良が日本を定義して  

皇神の厳き国=皇祖の神の厳といます国つまり古代より天皇の統治する国
言霊の幸はう国=言霊が幸をもたらす国

万世一系の天皇の存在と、よい言霊によりよきことを招き寄せていることを今の世の人も悉く目のあたりに見て知っていると歌っているのです。
 この言霊の力については、古今和歌集のかな序でも確認できます。


「やまと歌は、人の心を種として、よろず言の葉とぞなれりける。…力をも入れずして天地(=天や地を守る神々のこと)を動かし、目に見えぬ鬼神(おにがみ=精霊のこと)をもあわれと思わせ、男女の中をもやわらげ、猛きもののふのこころをも慰むるは歌なり。」

 つまり、言霊によって天や地を守る神々も目に見えぬ精霊をも動かすことが出来ると述べているのです。
 ドナルド・キーンは、このかな序を書いた紀貫之は、「詩には超自然的な存在を動かす力があると説いていて、これは欧米で超自然的な存在が、その霊感に動かされた詩人を通して語るのだと信じられていたことと反対である。」と述べています。
 圧倒的な唐化の時代である奈良時代にあって、日本としてのアイデンティティを主張した「万葉集」を学ぶことによって、グローバリズムの中で、本来の日本の良さを忘れている私達は、日本の歴史を肯定的に学び直す必要があるように思います。まさに「温故知新」です。

 万葉集を源流とする和歌は、やがて古今和歌集(905年)から新続古今和歌集(1439年)までつらなる21の勅撰和歌集(天皇の命によって編纂された和歌集)につながっています。さらには、今日宮中行事として定着している「歌会始の議」につながっています。
 毎年お題が発表され、応募して選ばれた歌人は、高校生であろうと老人であろうと地位にかかわらず今日でも宮中に呼ばれ天皇・皇后の前で和歌が朗詠されます。万葉集時代の「和歌の前に平等」の精神が今も息づいているのです。

 言霊に力があるのかということについて、宇野正美の講演会で不思議な話を聞きました。
大東亜戦争の激戦地であった硫黄島には、たくさんの兵士が眠っています。自衛隊が駐屯しているのですが、この島では浮かばれない兵士の幽霊が自衛隊員を悩ますのを通例としていたとのことです。天皇皇后両陛下が硫黄島にこられ慰霊の和歌を詠まれたあとは、怪奇現象がなくなり、自衛隊員が幽霊に悩まされることは、なくなったということです。
 言霊には力があるのです。
 古来日本人は、よき言霊によりよきことを招き寄せることができると信じていたのです。否、知っていたのです。
 「万葉集」の結びの和歌は、
 「新しき 年の初めの 初春の 今日降る雪の いやしけ(=つづけ)吉事(よごと)[4516]」とあります。雪が降り続くように良いことが続きますように、という祈りの込められた「万葉集」は、今日まで受け継がれることとなりました。
  国歌「君が代」も、日本国及び日本国の象徴であります天皇が永遠に弥栄えますように、との伝統にのっとった祈りであることがわかります。 

参考図書

○「万葉集一〜五」青木・井手・伊藤・清水・橋本 校注(新潮日本古典集成 昭和51年〜59年)
○「古今和歌集」奥村恆哉 校注(新潮日本古典集成 昭和53年)
○「日本の歴史 本当は何がすごいのか」田中英道著(育鵬社 2012年)
 
平成24年11月23日作成 第082話