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 2011年11月15日に更新されるまでは、アメリカ合衆国の各国要覧(CIA Factbook)には各国の建国の年が書かれてありました。その中でずば抜けて古い歴史を誇っているのは日本でした。

日本については、(Independence:660 B.C. (traditional founding by Emperor JIMMU)とありました。つまり日本は神武天皇により紀元前660年に建国されたとありました。 

今は何らかの理由で各国要覧から建国の項目が消えています。日本人が日本の誇りを持たないように貶めることをずーっと韓国も中国もアメリカ合衆国もしてきました。日本の建国を認めることが出来ない地域からのクレームに対応したのかもしれません。

日本は歴史が世界で飛び抜けて古い国であるだけではありません。

中島彰信氏によると「これは世界の常識ですが、天皇は世界で最も権威のある存在です。最も地位の高い人なのです。例えばカナダ政府発表の『外交上の社交序列』(http:// www.pch.gc.ca/pgm/ceem-cced/prtcl/address4- eng.cfm)をインターネットで見てみるとわかりますが、最高の権威がただ一人、天皇Akihito、次に各国(国によって細かく分かれています)の王、王妃、皇太子、共和国大統領、アメリカ大統領、各国首相-------。と続きます。挨拶から会話の言葉遣いまで細かく規定されています。例えば、各国の王に対しては「Your Majesty/ Sire」と最高の挨拶言葉を使いますが、世界でただ一人、天皇陛下のみに対しては「Your dignified Majes-ty」と更に敬意を示すことになっています。エリザベス女王であっても、天皇陛下と同席するときは必ず上座を譲ります。アメリカの場合も、大統領は晩餐会には、最高儀礼のホワイトタイで出席します。(ホワイトタイの他に、昭和天皇の訪米時には、空港、ホワイトハウスで史上例を見ない米5軍による観閲儀仗も行われた)ちなみにアメリカ大統領がこの歓迎の仕方をするのは、天皇陛下とローマ法王と英国君主のみ。」とあります。

そして、この天皇がおられるということも各国の妬みの対象になっており、中国の究極の目的は、天皇を処刑することにあるという人もいます。韓国は、新聞で日本の天皇のことを「日王」と書きます。天皇という世界中の最高権威であることがどうしてもゆるせないのです。天皇は皇帝と同格で、世界の支配者をあらわすのに対して、日王は、地域の王という意味に格が下がるからです。

さて、残念なのはこられに同調して、日本に誇りをもてず、天皇がおられることについても封建時代の遺物のように思っている日本人が殆どであることです。最古の歴史と国家の継続性を誇る世界の奇跡の国、明治の開国当時には欧米の有識者によって「エデンの園」のようであった日本は風前の灯火にあります。

前660年に神武天皇によって建国された世界最古の国であるとアメリカ合衆国をはじめ、世界中で認識されている所以は、720年に編纂された古代日本の公式歴史書である「日本書紀」と712年に編纂された「古事記」が今なお全編存在しているという事実にあります。

しかも、神代から続くという家系であると主張していた当時の天皇家の子孫がいまなお、天皇として君臨しているという事実です。
   
伊勢神宮の神宮文庫には、太安麻呂・稗田阿礼・舎人親王の神代文字による奉納文が残されている。古事記・日本書紀が書かれた時の資料について、日本固有の文字である神代文字で書かれていた可能性を否定できない。  
  「古事記」の序に天武天皇(在位673年〜686年)は、

 「諸家に伝わっている帝紀および本辞には、真実と違い、あるいは虚偽を加えたものがはなはだ多いということである。・・・その誤りを改めておかないと、今後幾年もったないうちに、その正しい趣旨は失われてしまうにちがいない。そもそも帝紀と本辞は、国家組織の原理を示すものであり、天皇政治の根本となるものである。それ故、正しい帝紀を撰んで記し、旧辞をよく検討して、偽りを削除し、正しいものを定めて、後世に伝えようと思う」(次田真幸の訳による)

  と国史編纂を命じられ28歳の舎人である稗田阿礼に読み習わせられた。「帝紀」とは、「先紀」と同義。歴代の天皇の御名、皇居の名称、家族の構成、御陵の記録などです。「本辞」とは、「旧辞」と同義で、神話・伝説・歌謡物語など伝承された物語を内容とする記録です。
  元明天皇は、和銅4年9月18日に、太安万侶に、稗田阿礼の読み習わす「先紀」「旧辞」を書物にして献上せよと命じられて4ヶ月後の和銅5年(712年)1月28日に三巻の古事記を献上したあります。
 「日本書紀」は、

 「(天武10年〔西暦681年〕3月)17日、天皇・・・は、川嶋皇子・刑部皇子・・・・忌部連首、・・、中臣連大嶋・平群臣子首に詔して、帝紀及び上古の諸事を記し校定させられた。大嶋・子首が自ら筆をとって記した。」(「日本書紀第29巻天武天皇下」、宇治谷孟の訳による)とあり、これが編纂の始です。
 そして、「(養老4年〔西暦720年〕)5月21日 ・・・。これより先に一品の舎人親王は、勅を受けて日本紀の編集に従っていたが、この度それが完成し、紀(編年体の記録)三十巻と系図一巻を奏上した。」(「続日本紀第8巻元正天皇」、宇治谷孟の訳による)

 とあり、39年をかけて完成したことになります。なお、「日本書紀」の本来の書名は「日本紀」であったようです。

  「古事記」と「日本書紀」 は、天武天皇の発願による歴史編纂に始まります。天武天皇の理想は奈良時代に開花します。奈良時代のグローバル・スタンダードは、唐の文化つまり中国文化です。故に「日本書紀」は、堂々たる漢文で表記されました。一方「古事記」は、ローカル・アイデンティティと言うことができます。太安万侶の序文にあるように、大和言葉を残す工夫をしながら書かれた日本語と漢文の混合体で書かれています。
 「日本書紀」が、日本国政府の公式歴史書であるのに対して「古事記」は、日本の伝統文化に根差した天皇家の私的な物語風歴史書ということになります。

 「日本書紀」は、完成の翌年には、内容についての講義が天皇や官僚に対して行われ、奈良時代、平安時代の多くの講義ノートの断片が残っています。日の当たる道を歩みました。原本は失われてありませんが、奈良時代末頃からの多くの写本が残っていて、全文を復元することができます。

 「古事記」は、「日本書紀」を補う豪族の系譜や大和心を伝える歴史物語として引用されることはあっても、日に当たる道を歩むことは、長い間ありませんでした。太安万侶の子孫である「多」家や、神道の伝統の護持した「卜部」家に細々と伝わって来たようでした。「古事記」編纂から659年を経た1371年及び1372年に写された真福寺伝来の写本が最古の写本です。その後も一部の神道家に伝来するのみでした。江戸時代に入り平和文化を謳歌する中で、1644年古事記は、版本として出版され流布するようになります。この本を購入して研究を進めた本居宣長の「古事記伝」〔1798年完成・1790年〜1822年刊行〕によって、大和心を伝えるものとして日の当たる道に出ることとなり今日に至っています。
 愛知県の真福寺は、伊勢神宮とも縁が深く、神仏混交の時代に古事記上・中・下巻三巻が真福寺の僧によって写されたことにより奇跡的に今日まで1300年を経て現代に伝来しました。
 
 何れにしても、天武天皇(在位673年〜686年)が編纂を命じた神武天皇以来の先祖の歴史を記した歴史書が、元明天皇の712年「古事記」と元正天皇の720年「日本書紀」としてして結実し、写本をあわせ校正すると完全な形で残っている奇跡がおこりました。( 但、「日本書紀」の系図一巻のみは残っていません。)これは、神武天皇以来の皇室が、最高権威として現在も継続している最古の君主国家としての日本の真骨頂です。
 それを、昭和13年に編纂された「国体の本義」を根拠に侵略戦争に利用されたからといって葬り去っていいものでしょうか。
 江戸時代の国学者である大国隆正が、1818年に長崎のオランダ通辞(通訳)から、聞き取った言葉に、
 「西洋諸国の見る所では、アジアは未だ、支那、日本の二カ国が西洋に従はない。しかし西洋が連合して当たれば、シナは十年で料理できるが、日本は三十年かかるであろう。日本は小国であるが、三つの障害がある。一つは、人工が多く、武くして支那人のたぐいにあらず(武士道の勇気)。一つは、海岸が多く攻めにくい。一つは、萬古一姓の天子ありて、人身これを尊ぶ心深し(天皇)。三十年で従へることが出来るであろうが、しかし、そのあと日本国中の人間をことごとく斬りつくし、西洋から移民を送り、草木まで抜き捨てて、植えかえなければ、我々西洋のものにはならない。一人でも日本人を残しておけば、恢復の志を起こし、また燃え立つべし、そんな国が日本だ」

 そういう日本を1853年のペリー来航以来160年かけて、天皇を封建的な遺物と思わせることで、日本を骨抜きにすることに成功したといえるのではないでしょうか。民族のアイデンティティをなくすとその民族は滅びるしかありません。
 自分の先祖を肯定的に捉えられると言うことは、子孫にとって困難に遭遇したときに自信をもたらすことができます。先例を規範として行動することもできます。民族の歴史を継承することは、いざというときの指針となるということです。
 今こそ歴史を取り戻す時であると考えます。1945年の敗戦により歴史を強制的に喪失させられました。以来67年なります。古事記編纂1300年の記念にあたる2012年の今こそ歴史を取り戻す時であると思います。いかがでしょうか。

 閑話休題。古代メソポタミア文明や古代エジプト文明は、前3200年頃始まったとされていますが、古代オリエント文明最古の シュメール(スメル)時代の王家の年代記、エジプトの第一王朝以前の王家の年代記には、数万年単位のいくつもの王朝の変遷が記されています。一般に知られている古代メソポタミア文明やエジプト文明も神代からつづく王統の記録を伝承として伝えています。5000年前の古代人は、現代人と違い歴史的な感覚がなかったから、この様な記述を残したとされていますが果たしてそうでしょうか。少なくとも20万年前に現生人類が出現してから知能が変化していないという事実を無視しての妄言ではないでしょうか。ムーとかアトランティス文明などの太古の文明の記憶をとどめていると考えてもいいのではないでしょうか。
 この古代メソポタミア文明や古代エジプト文明の国々は今、滅び、民族も入れ替わってしまっていますが果たして、一万年以上続く自然と共生していた縄文文明の流れを継承している日本に古記録が本当になかったのでしょうか。
 「日本書紀」の巻三 神武天皇 神日本磐余彦天皇の項には、「天孫が降臨されてから、百七十九万二千四百七十余年になる。」と言う記述があります。また、巻三のおわりの方には、「ニギハヤヒ命は、天の磐船に乗って大空を飛び廻り、この国を見てお降りになったので、名づけて『空見つ日本(やまと)の国は(大空から眺めて、よい国だと選ばれた日本の国)』という。」(宇治谷孟の訳による)とあります。太古の日本には宇宙船があったのです。縄文時代の遮光土器の宇宙服を見ても宇宙船の存在をうかがわせます。
 古事記の序には、「天皇(天武天皇)が仰せられるには、『私の聞くところによれば、諸家に伝わっている帝紀および本辞には、真実と違い、あるいは虚偽を加えたものがはなはだ多いとのことである。……』と仰せられた。」(次田真幸の訳による)とあります。古事記以前の記録があったことが、うかがわれます。
 昭和の時代になったころから、古事記及び日本書紀以前の書として、「竹内文書」「ウヱツフミ」などの古文献の存在が、主張されるようになりました。古代エジプト文明やシュメール(スメル)文明の王統記同様、数万年単位の皇統が記載されていて興味深い内容になっています。
 それに従えば、前660年に即位したとされている神武天皇の存在などは、日本のごく近代史となってしまいます。 前2333年に壇君が即位したとされる古朝鮮の壇君神話にもとづく朝鮮4000年の歴史より遥かに古い歴史を持つのが日本と言えます。 

参考図書

○ 古事記物語  藤 鈴蝸  
    (新釈)ウミサチヒコとヤマサチヒコ 
    (新釈)いなばの白うさぎ
○「旧皇族が語る天皇の日本史」竹田恒泰著(PHP新書 2008年)
「神話は「真実」を語る
 世界中にはさまざまな神話がある。キリスト教を例にすると、『旧約聖書』は神が六日間で世界をつくったという「天地創造神話」から書きはじめられる。これも記紀神話の国生み同様、科学的にはありえない。同書の大洪水にまつわる「ノアの箱舟伝説」も然りである。また『新約聖書』の「福音書」には、マリアが処女懐胎してキリストを身籠るという逸話が紹介されているが、ゾウリムシではあるまいし、科学的には人が単独で受胎するはずがない。
 だが、聖書学では『聖書』は史実を記した歴史書ではなく、当時の信仰が記された信仰書であると理解されており、「『聖書』の記述は史実ではない」という主張は欧米社会には存在しない。『聖書』の史実性を議論することはまったく無意味であり、読み方としては謝っているのだ。記紀神話についても同じで、たとえば「天孫降臨は非科学的であり史実ではない」との主張は、「マリアの処女懐胎は非科学的であり史実ではない」というのと同じだけ愚かな主張なのである。
 しかしながら、一見事実でないと思われる神話の記述には、事実でなくとmの真実が含まれている場合がある。マリアの処女懐胎を例に挙げれば、そえrが史実かどうかにかかわらず、マリアが処女にしてキリストを身籠もったことを前提としてキリスト教社会たる欧米社会が形成されている。もし処女懐胎が否定されたなら、処女のままマリアを孕ませた神の神秘の力と、神のお眼鏡にかなったはずのマリアの純潔性は怪しいものとなり、キリスト教社会全体に歪みを生じさせることになるのだ。
 天地創造神話が出鱈目なら、そのような社会制度が無意味になり、キリスト教徒十一億人は騙されていることになってしまう。しかも、アメリカでは大統領が就任するときに『聖書』に手を当てて誓いを立てる。もし『聖書』が嘘を書いた書物なら、大統領の宣誓自体がにわかに信憑性を失うではないか。 
 したがって欧米社会では、「マリア処女懐胎」も「天地創造神話」も『聖書』に書かれたことはすべて、事実性はともかく、「真実」であると見なされている。そして欧米社会は、『聖書』に書かれたことはすべて「真実」であるということを前提に成立しているのである。

『日本書紀』と祝日
 そしてわが国も、『古事記』『日本書紀』に書かれたことが「真実」であることを前提に国が形成され、運用されている。記紀と日常生活のつながりは日々実感することはないかもしれない。だが、記紀は現在のわが国のあり方、そして国民生活に絶大なる影響を与えている。
 たとえば祝日が挙げられる。いかなる国も建国を祝う日は祝日とされ、国を挙げて盛大な祝賀を行なう。わが国の「建国記念の日」は二月十一日で、戦前まで「紀元節」と呼ばれていた。この日は初代の神武天皇が即位した日であり、記紀の記述を根拠としている。『日本書紀』は神武天皇が紀元前六六〇年元旦に橿原宮にて即位したと記すが、旧暦の元旦を新暦に換算したのが二月十一日であり、「建国記念の日」は神武天皇即位にちなんだ日に、わが国の建国を祝う日なのだ。
 それだけではない。記紀を根拠とする祝日として、ほかにも十一月二十三日の「勤労感謝の日」が挙げられる。この日は宮中祭祀のなかでも最も重要な祭祀の一つ、新嘗祭が行われる日である。新嘗祭の起源は『日本書紀』に見える。天照大御神が天孫に稲穂を授けて降臨させ、その後、稲穂を用いて祭祀を行なったことが新嘗祭の最初の記録である。
 そのほかにも皇室に由来する祝日は枚挙に遑がない。「敬老の日」「体育の日」を除くと、ほかのすべての祝日は皇室に由来する。とくに天皇誕生日はわが国にとって建国記念日と並ぶ特別な祝日で、例外的には「最も重要な祝日」を意味する「National day」として、国内では外交施設が皇居に招かれ、また海外では、各地の日本大使館で要人を招いて祝賀会が開催される。

『日本書紀』と日本国憲法
 記紀が現在の国民生活に直接影響を与えているのは祝日だけではない。法治国家日本が最高法規に掲げる日本国憲法も、わが国の正史『日本書紀』の記述が真実であることを前提に条文が構成されている。
 どの国も、自国の憲法の第一条には、その国にとって最も重要なことを書く。憲法の第一条を読めば、その国のスタンスがわかるといっても過言ではない。対極の例として、アメリカと中国の憲法の第一条を挙げよう。

アメリカ合衆国憲法、第一条[立法府]、第一節
この憲法によって付与されているすべての立法権は、合衆国連邦議会に帰属する。連邦議会は上院と下院で構成される。

中華人民共和国、第一条
中華人民共和国は、労働者階級の指導する、労農同盟を基礎とした人民民主主義独裁の社会主義国家である。

 民主主義に最大の価値を置くアメリカは、やはり憲法の冒頭に連邦議会にすべての立法権が帰属することを謳い、また社会主義に最大の価値を置く中国は、独裁の社会主義国家であることを謳う。
 それに対して日本国憲法の第一条は、「天皇は」から書きはじめられている。

天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であって、この地位は、主権の存する国民の総意に基く。

 天皇が日本国および日本国民統合の象徴であることは、ヤマト王権成立以来の天皇の普遍的なあり方を素直に表している。そしてそれが日本国民の総意に基づくということは、国民が二千年間守りつづけてきた事実を表現している。
 したがって第一条は、けっして終戦後に確立された新しい天皇のあり方ではなく、古代から続く天皇の普遍的なあり方を明文化したものであり、記紀の思想を受け継ぐものにほかならない。」(25頁〜30頁)

○「古事記」(上)(中)(下) 全訳注 次田真幸 (講談社学術文庫 1977年 1980年 1884年)
○「全訳現代文 日本書紀 上巻」宇治谷 孟著(創芸出版 1986年)
○「全訳現代文 日本書紀 下巻」宇治谷 孟著(創芸出版 1986年)
○「ついに現れた幻の奉納文 伊勢神宮の古代文字」丹代貞太郎 小島末喜著(三信孔版 昭和52年)限定出版
○「古事記 不思議な1300年史」斉藤英喜著(新人物往来社 2012年)
○「古事記夜話」中村武彦著(たちばな出版 平成13年)
○「続日本紀」(上)(中)(下) 全現代語訳 宇治谷孟著(講談社学術文庫 1992年・1992年・1995年)
  
平成24年06月06日作成 令和5年08月30日最終更新  第077話