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12.大化の改新

 「平成」などの元号は、中国では始まって、朝鮮半島の国や日本でも使われるようになったものであるが、現在は日本でのみ使われている。天子(皇帝・天皇)は、時をも支配するということで、天子が時を支配する象徴として、その支配地域に使用させたものである。時代を画する必要のあるとき、めでたい言葉を見つけて使用したものである。
 因みに、平成の元号は

『史記』五帝本紀の「内平外成(内平かに外成る)」
『書経』大禹謨の 「地平天成(地平かに天成る)」

から、とったもので「内外、天地とも平和が達成される」という意味がある。
中臣連鎌子(中臣鎌足)「あめのみはしらのかみ」(アヒル文字)伊勢神宮文庫蔵 神代文字で書かれた奉納文  
 日本で最初に元号が使用されたのは、日本書紀によれば、645年のことで、「大化」が始めとされている。701年の「大宝」より、1300年間、日本ではとぎれることなく一貫して用いられてきている。
 さて、元号が用いられた「大化」で何がおこったかであるが、権力構造が大きくかわったことがあげられる。
 圧倒的な仏教文化が日本にもたらされることによって、6世紀末の飛鳥時代から、蘇我氏と天皇家と二人三脚で中央集権国家の建設が進められた。

 645年6月12日のクーデターによって、天皇家の姻戚(母系の家系)として、蘇我氏から藤原氏に変わってゆくきっかけとなった。時の権力者であった蘇我稲目・馬子の直系である蘇我入鹿から権力を奪うことを画策した、中大兄皇子(のちの天智天皇)と中臣鎌足(のちの藤原鎌足)が、入鹿と父である蝦夷を殺害した。この事件後も、蘇我氏の勢力は、侮りがたかったが半世紀も立たないうちに蘇我氏は完全に没落し、物部、巨勢などの古代豪族も次第に権力から遠ざかり、天皇家とそれを支える母系の中臣鎌足の家系のみが権力者となってゆく。中臣鎌足は、死にあたり「藤原」の氏を与えられ、彼の子孫が藤原氏を名乗ることとなる。
 つまり、天皇家の外戚が、蘇我氏から藤原氏への変化に道筋を開いたことが「大化の改新」の一面にある。藤原氏の外戚の地位は、若干の断絶もあるが、1945年第二次世界大戦の敗北までつづく。つまり、今までにもなかった日本の敗北(第二次世界大戦)即ち古代以来の日本消滅の最大の危機まで続くこととなる。
 大化の改新の翌年元旦に、4箇条からなる「改新の詔」を出した。701年の大宝律令につながる唐を模範とした律令体制中央集権国家のプランの原型が打ち出されることとなる。蘇我氏政権のもとで遣唐使が派遣され、皮肉なことに唐より帰国した留学生の理論的指導の下にクーデターが行われた。中大兄皇子と中臣鎌足と蘇我入鹿の権力闘争に止まらず、直接唐による侵略・支配がクーデターの本質ではないかという説まである。
 また、宇野正美は、このことなどをさして、645年以来日本の支配階級は変化していないと表現している。
 藤原氏隆盛の基礎を作った藤原鎌足の伝記「大織冠伝」(760年頃藤原仲麻呂の筆による) によると

「幼年にして好学、広く書伝に渉り、太公六韜(りくとう)【周の時代の太公望が編集したといわれる兵法書】を読むごとに、いまだかつて反復して誦【読】まざるなし。【繰り返し読んで研究していた】」

 つまり、大化の改新のクーデターを起こすにあたって、中国の兵法書を読んで、その策によってクーデターに成功したことがしれる。
 この「六韜」と「三略」という兵法書は、日本の歴史を通じて読まれ続ける。つまり、政治家の必読書であったわけである。例えば、時代は後世になるが、大坂の夏の陣で、徳川家康が豊臣秀頼を滅ぼすために、豊臣家の不和を生み出す策略をみても「六韜」の文言通りである。国を滅ぼすあるいは、戦に勝つ極意は、「戦わずして相手に勝つこと」にあるとある。
 今日の、日本の四周の中国、韓国、北朝鮮、ロシア、アメリカ合衆国が日本に対して行っている世論操作や施策もこの「六韜」「三略」や「孫子」(中国戦国時代の兵法書)を読むと、いかに日本を弱体化しようかという秘めたる目的を以て行っていることは明らかである。アメリカの国防省が認める、世界最古の伝統を持った国をいかに弱体化するか。明治維新を勝ち残り、アジアでタイとならんで白人の植民地とならなかった日本民族の質実剛健で、礼儀正しく利他愛にあふれ、勤労意欲にみちた国民性をいかに破壊するか。また、アジア世界においては、世界の中心を任じる中国になびかない日本をいかに精神的に従属させるか。
 すべてが経済に還元される拝金主義もまた日本を滅ぼす思考方式ではないかと思われる。当然のことながら、勝者が敗者に押しつける体制は、いかに美麗麗句を並び立てようとも、敗者の弱体化にあることは、現在の国際情勢をみてもあきらかなことである。現在では、民主主義とか国際正義とかいうヴェールを隠れ蓑にしているだけである。日本の敗北の結果作られた「日本国憲法」にある、個人の尊厳は大切である。しかし、「集団が滅びるとき個人もまた滅びる」ことは、歴史を見ればあきらかであろうかと思われる。美麗麗句の陰に、個人の自由を尊重することによって、家族を破壊し、国家を破壊することに目的があるのではないかとしか思われない。このことは、現実をみれば明らかではないか。
 「六韜」「三略」「孫子」や、マキャベリの「君主論」を読んでから、政治を論じ、歴史を学び、日本のおかれている精神的無防備を自覚することが、亡国の危機にある日本を再建しなければならない使命を持つ青少年に求められることではないかと思う。
鎌足と不比等肖像画が鎌足廟のある談山神社に所蔵されている。1867年の明治維新まで続く、天皇の母系独占、摂関職独占の歴史を築いた。

参考図書

○「聖徳太子の称号の謎」(逆説の日本史 2・古代怨霊編)井沢元彦 著 1994年 小学館刊
 
 内臣として天智政権を陰で支えた鎌足は、相当の陰謀家だったらしい。なぜそれがわかるかというと曽孫にあたる仲麻呂が書いた鎌足の伝記(『大織冠伝』)に、鎌足は中国の兵法書『六韜』を暗記するほど愛読していたと書いてあるからだ。
 この『六韜』、実はとんでもない本なのである。

 マキャベリズムなんです―まず文韜つまり内部攪乱で敵の勢力を弱め、武韜は最後にやれ、とある。その内部攪乱の方法がまたえげつない。例えば、権力者がいたら、その側近にもぐりこんで、徹底的におだてあげろ、そうすれば彼は反省を失って判断力が低下するだろうとか、もし彼に寵姫がいたら彼女ライヴァルにもっと美しい女を送りこめ、そうすれば宮廷は二つに割れてえらいことになるだろうとか、外交使節として隣国から優秀な人物が交渉に来たら話をまとめるな、愚鈍な者が来たときにまとめろ、そうすれば愚鈍な者が重んじられ優秀な人材は失脚して、隣国は弱まるだろう、ざっとこんな具合です。マキャヴェリもこんなひどいことは書いていない。(『考える愉しさ 梅原猛対談集』新潮社刊)

 また、こんなことも書かれている。

 八徴の法
人物の本性を見破るのに、徴候をとらえる八つの方法がある。
一、質問してみて、理解の程度を観察する。
二、追求してみて、とっさの反応を観察する。
三、間者(スパイのこと)をさしむけて内通を誘い、誠実かどうかを観察する。
四、秘密を打ち明けて、その人徳を観察する。
五、財政を扱わせて、正直かどうかを観察する。
六、女を近づけてみて、人物の堅さを観察する。
七、困難な任務を与えてみて、勇気があるかどうかを観察する。
八、酒に酔わせてみて、その態度を観察する。 (『中国の古典名著 総解説』自由国民社刊) 

まったくこんな上司や君主がいたら、たまったものではないが、鎌足はこれを愛読していたのである。しかも、曽孫の仲麻呂がこれを鎌足の愛読書として挙げている以上、仲麻呂自身の、いや藤原一族の愛読書だと考えるのが考えるのが妥当というものだ。(p339〜p341)

○「全訳現代文 日本書紀 下巻」宇治谷 孟著(創芸出版 1986年)
○「六韜・三略」守屋洋編著(全訳「武経七書」2 プレジデント社 1999年)
○「ついに現れた幻の奉納文 伊勢神宮の古代文字」丹代貞太郎 小島末喜著(三信孔版 昭和52年) 限定出版

平成19年07月18日作成  第033話