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高校生のためのおもしろ歴史教室>余話の部屋

65.大日本主義と小日本主義

 吉田松陰は、ぺりーが1854年日米和親条約締結のため再び来航した時に、国禁をおかして旗鑑ポーハタン号に乗船して密航しようとしたが、失敗し故郷の山口県で蟄居となった。この時に「幽因録」を著し大日本主義を称えた。

「太陽は昇っていなければ傾き、月は満ちていなければ欠ける。国は盛んでいなければ衰える。だから立派に国を建てていく者は、現在の領土を保見していくばかりでなく、不足と思われるものは、補っていかなければならない。今急いで軍備をなし、そして軍艦や大砲がほぼ備われば、北海道を開墾し、諸藩王に土地を与えて統治させ、隙に乗じてカムチャッカ、オホーツクを奪い、琉球にもよく言い聞かせて日本の諸藩王と同じように幕府に参観させるべきである。また朝鮮を攻め、古い昔のように日本に従わせ、北は満洲から南は台湾・ルソンの諸島まで一手に収め、次第次第に進取の勢いを示すべきである。その後に人民を愛し、兵士を育て、辺境の守備をおこたらなければ、立派に国は建っていくといえる。そうでなくて、諸外国の争奪戦の真中に座り込んで、足や手を動かさずにいるならば、必ず国は亡びてしまうだろう。」(奈良本辰也の訳による)
 
 圧倒的なアメリカ、ロシア、イギリス、フランスなどの軍事力に対抗して日本の独立と尊厳を護るためには日本に閉じこもっていてはダメだ。日本を拡大して、台湾、フィリピン、満州、朝鮮を領土として国防を強化しなければ、日本は滅んでしまうと説いた。この方針を踏襲した約90年後、東亜百年戦争の最終段階である大東亜戦争に敗北し日本は固有の領土である千島列島までも奪われてしまうことになった。

 これに対して戦後日本の首相となった石橋湛山は、1920年の段階で大日本主義を棄てよと説いた。朝鮮、チャイナの恨みを買うだけで海外領土を持つことは何ら益をもたらさないと小日本主義を説いたのだ。

「我が国大日本主義を棄つることは、彼らの不利を我が国に醸(かも)さない、啻(ただ)に不利を醸さないのみならず、かえって大いなる利益を、我に与うるものなるを断言する。朝鮮、台湾、樺太、満州という如き、僅かばかりの土地を棄つることにより広大なる支那の全土を我が友とし、進んで東洋の全体、否、世界の弱小国家全体を我が道徳的支持者とすることは、いかばかりの利益であるか計り知れない。」

 圧倒的な欧米諸国のアジア侵略、悪魔の思想であるロシア・中国の赤い帝国主義(悪魔の思想共産主義)の侵略にする対抗として東亜百年戦争とその敗北はやむをえなかったと日本の国策を弁護したい気持ちはやまやまであるが、大東亜戦争敗北後、日本は、江戸時代末に確定した固有の領土を狭められても、日本生存のための生命線と信じていた満州を失っても日本本土だけで経済的な繁栄を享受することができている。石橋湛山の慧眼恐るべしである。
 明治維新の思想的支柱とされている吉田松陰を見直すべき時に来ているのではないか。吉田松蔭は、「一君万民論」を称え、昭和初期の共産主義や国家主義の隆盛をもたらした側面にも注目したいと考えている。

 古代から地上の楽園であった日本は、いかなる理由があろうとも海外に領土を広げてはいけなかったのである。

参考図書

○「幽囚録」吉田松陰著 奈良本辰也現代語訳(日本の思想19「吉田松陰集」奈良本辰也編 筑摩書房1969年)〔40.東亜百年戦争(1853年~1952年)より〕

「日本の東はアメリカであり、東北はカムチャッカ、オホーツクである。日本にとっての一番患いとなり大敵となるのは、アメリカでありロシアである。しかしロシアの首都は海外万里の彼方、西北の果てにあり、日本を侵略するには、甚だ不便である。とはいうものの日本はそのロシアの東の境と、ただ海一つ隔てるだけなのである。しかも近ごろは蒸気船に乗って訪れ、境界について議論し、国交を求めている。どうしてこれで、ロシアを遠い所にある国だとのんびり構えていられようか。ただ今日まで無事であったのは、等辺は近いといって荒野が多く寒冷で、不毛なうえに兵隊が少なく、軍艦も数多くなかったからである。ところが最近聞くところによると、カムチャッカ、オホーツクなどにようやく軍艦を配備し、兵隊を置き、一大軍事拠点を創っているということである。もしロシアが充分に兵隊を集め、軍艦を備えれば、その禍が日本に及ぶのは、時間の問題だろう。それだのに、まだ日本人はそのことをよく理解していない。このままほうっておいて良いことではない。」(103頁下段後4行~104頁下段11行)



「およそ世界の各国が、日本を取りまいている様子はこのようなものである。しかも日本は呆然としてただ手を組んで、その真中にたっているだけで、この恐るべき事態を十分に理解していない。こんな危険なことがあるだろうか。ヨーロッパの各州は、日本を遙か遠くに離れ、昔も日本と交流はなかったが、船艦ができるようになって、ポルトガル・・スペイン・イギリス・フランスのような国々は、弱国日本を併合しようとしている。これも又、わが国にとっては憂である。最近では蒸気船を持たない国はなく、ヨーロッパのように離れていても、まるで隣国のようなものなのである。まして先に挙げたアメリカやロシアなどはいうまでもないことである。しかしこれもただ聞き伝えであり、書物にかかれていたことから理解したもので、はたして本当にこれが事実なのかどうか、いまだに確かめることが出来ないでいる。だから秀れた人物を海外に派遣し、実際にその形成や沿革、それに航路をくわしく調べるという以上に、最良の策があるだろうか。太陽は昇っていなければ傾き、月は満ちていなければ欠ける。国は盛んでいなければ衰える。だから立派に国を建てていく者は、現在の領土を保見していくばかりでなく、不足と思われるものは、補っていかなければならない。今急いで軍備をなし、そして軍艦や大砲がほぼ備われば、北海道を開墾し、諸藩王に土地を与えて統治させ、隙に乗じてカムチャッカ、オホーツクを奪い、琉球にもよく言い聞かせて日本の諸藩王と同じように幕府に参観させるべきである。また朝鮮を攻め、古い昔のように日本に従わせ、北は満洲から南は台湾・ルソンの諸島まで一手に収め、次第次第に進取の勢いを示すべきである。その後に人民を愛し、兵士を育て、辺境の守備をおこたらなければ、立派に国は建っていくといえる。そうでなくて、諸外国の争奪戦の真中に座り込んで、足や手を動かさずにいるならば、必ず国は亡びてしまうだろう。」(106頁下段5行~107頁下段14行)

○「大日本主義との闘争〈石橋湛山著作集3 政治・外交論 〉」鴨武彦編(1996年 東洋経済新報社)
 目次 Ⅲ 大日本主義の幻想ー「小日本主義」のすすめ
        日米衝突の危機/一切を棄つるの覚悟/大日本主義の幻想/(以下略)

日米衝突の危機   *(※東洋経済新報)大正九年一月二四日号「社説」全集3
 もし思慮ある人に向かって、日米間に戦禍を巻き起こす危険ありやと問えば、大抵一笑に付して問題にせぬであろう。しかしながら、この問題が、日米両国民の感情を一般に刺激しつつあることもまた、争うべからざる事実である。単に日米両国のみに限って見れば、米国は、日本の生糸、羽二重、雑貨の大華客(かかく)であり、日本は、米国の綿花、鉄等の買手であって、両国は強い利害の紐に結ばれている。タトイ移民問題の紛れから互いの感情の少なからぬ悪化を事実としても、これがために戦を賭すべしとは思われてない。けれどもひとたび、日米両国の間に支那を取り入れて見る時は、両国の関係は、そくぶる色彩を改めて来る。
 欧州の諸強国は、最近の五年にわたる戦争において、疲れに疲れた、ヘトヘトになった。いかなる事情があっても、当分戦争する気はない。しかるに強国をもって任ずる国に、戦争をし足らぬものが二つある。米国と日本だ。しかもこの両国は実は資本主義の真盛り期に属し、ことに戦争中、両国の政治を支配せる資本家階級は、経済上お意外なる幸運に接して、さもなくば、数十年でも達し難かるべしと思われる程の大発達を、僅々数年間に成就し、今日はその得意驕慢の絶頂に立って踊っている。この戦争をし足らぬ両国民が、互いに驕(おご)れる気分をもって、資本主義全盛の波に乗って、外に向かって、帝国主義的の発展を、盛んに試みつつある。而して両国のこの活動が、支那という一つ舞台に落ち合って、衝突し、火花を散らつつある、というのが、支那を取り入れて見る時、日米両国の現在の関係ではないか。されば一朝誤って日支間に火が付けば、その火は直ちに米国に延焼すべきや、ほとんど疑いを容(い)れない。
 而して、日支間の関係は如何(いかん)と顧みれば、決して平安ではない。少なくとも支那国民は、日本に対して、憎悪の念に漲(みなぎ)っている、燃えている。日本をなぐりつけたいという感情が渦を巻いている。もし力さえあれば、支那は今が今、日本と開戦するを躊躇せぬであろう。爾(そ)うだ、パリの講話会議において、支那委員が、山東問題で、日支協約を反古(ほご)なりと言うて、日本に食って懸ってアノ態度は、遣(や)り方は、アレが人類永久の平和を建設せんとする講和大会議の席上でなかったならば、どうしても、国交断絶の宣言と見る外はなかろう。しかり、支那委員は、二度となき機会を捉えて、棄身の覚悟で、日本を、世界の代表者の面前で、叩き付けに懸ったのである。而して背後にある支那国民はこれを見て、狂喜して、歓呼喝采した。この一事に徴して、日本に対する支那の反感が、いかに猛烈で、突き詰めているかが、善くわかる。
 なぜなれば、我が国はこんなに支那から憎悪せられるのか、排斥せられるのか。我が国は、過去五年の欧乱中、帝国主義的の経営を、支那に対してすこぶる露骨に行うた。すなわち支那の軍閥と結んで、無数の借款に応じ、満蒙を中心にして種々の利権を獲得した。ことに欧乱に乗じて青島(チンタオ)を攻め陥し、ドイツに代りて我が国が一時その地方を占領したことは、これ山東に第二の満州を作るものだ、支那本土の胸腹に虎狼の日本を引き入るるものである、というので、痛く支那の上下を激動させた。以上は、支那をして講和会議において、捨身の覚悟をもって、我が国を叩き付けに懸らせ、また近来ますます排日運動を猛烈にさせたところの、直接の事情の尤(ゆう)なるものである。しかしながら、その奥に横たわる根本原因は、更に広汎なもので、これを例うれば、なお我が国が、徳川幕府を倒して、王政に統一した維新前に方(あた)って、盛んに排外攘夷の運動が行われたのと同じものだと思う。大抵の場合において、或る民族の独立統一の運動は、まず対外の形を取って現れる。支那の排日運動もまたそれで、すなわち青年支那の新統一運動の一部に外ならぬのである。故に、その根柢は、極めて深固強大と言わねばならぬ。従ってまた、この大目的を果たすためには、支那は、領土の少々ぐらいは奪われる危険を賭しても、外国と戦うを辞せぬであろう。近来支那が我が国に対して、ややもすれば捨身の覚悟で、反噬(はんぜい)し来る勇気は、ここから出て来るものと思う。ところで問題は、なぜ我が国のみが、支那から排斥せられるかと言えば、ことに我が国が支那に対して、領土的に、経済的に、帝国主義的野心を、最も強烈に実現しておるためだけではない。また実に、地理上その隣に居るがために、支那に対して特に我が国が、英米その他に比して、遙かに大なる不断の脅威をなすが故でる。支那の独立統一の運動は、まずこの脅威に対抗し、その圧迫を掃(はら)い除(の)けることが、一大要件だ。これ支那の反感が、特に我が国に向かって集注せる所以(ゆえん)である。
 そこへ米国がはいって来る。均(ひと)しく支那において、経済的に帝国主義的野心を逞(たくま)しゅうせんと、多年狙って居た米国が支那のこの統一運動の味方として、参加してくる。何となれば、米国にとって、日本排斥の形を取れる新支那の運動を助け、日本を叩き付けること程、米国の支那における経済的発展上、好都合はないからである。既に米国は、そのためにしきりに支那に手を入れている。もし一朝、日支の間に、いよいよ火蓋が切られる時は、米国は日本を第二のドイツとなし、人類の平和を攪乱する極東の軍国主義を打ち倒さねばならぬと、公然宣言して、日本討伐軍を起し来りはせぬか。
 我が軍閥はこの形勢はいかに見ておるか。吾輩は、世界が戦後の平和を希(ねご)うて、軍備縮小の声、ようやく大ならんとしつつある時、我が政府が、新年度の予算に、軍備の大拡張費を計上せるを見て、更に形勢の悪化せぬかを恐れる。」(p59ーp62)

一切を棄つるの覚悟     *(※東洋経済新報)大正一〇年七月二三日号「社説」全集4
 …………
 しかるに我が国民には、その大欲がない。朝鮮や、台湾、支那、満州、またはシベリヤ、樺太(カラフト)等の、少しばかりの土地や、財産に目が呉れて、その保護やら取り込みに汲々(きゅうきゅう)としておる。従って積極的に、世界大に、策動するの余裕がない。卑近の例をもって言えば王より飛車を可愛がるヘボ将棋だ。結果は、せっかく逃げ廻った飛車も取らるれば、王も雪隠(せっちん)詰めにあう。(p64ℓ3ーℓ8)
 …………
 たとえば満州を棄てる、山東を棄てる、その他支那が我が国から受けつつありと考えうる一切の圧迫を棄てる、その結果はどうなるか、またたとえば朝鮮に、台湾に自由を許す、その結果はどうなるか、英国にせよ、米国にせよ、非常に苦境に陥るだろう。何となれば彼らは日本にのみかくの如き自由主義を採られては、世界におけるその道徳的位置を保つを得ぬに至るからである。その時には、支那を始め、世界の小弱国は一斉に我が国に向かって信頼の頭を下ぐるであろう。インド、エジプト、ペルシャ、ハイチ、その他の列強属領地は、一斉に、日本の台湾朝鮮に自由を許した如く、我にもまた自由を許せと騒ぎ立つだろう。これ実に我が国の位地に置くものではないか。我が国にして、ひとたびこの覚悟をもって会議に臨まば、思うに英米は、まあ少し待ってくれと、我が国に懇願するであろう。ここにすなわち「身を棄ててこそ」の面白味がある。遅しといえども、今にしてこの覚悟をすれば、我が国は救わるる。しかも、こがその唯一の道である。(p67ℓ3ーℓ13)
 …………」(p63ーp68)

大日本主義の幻想   *(※東洋経済新報)大正一〇年七月三〇日・八月六日・一三日号「社説」全集4
 一
 朝鮮台湾樺太(カラフト)も棄てる覚悟をしろ、支那や、シベリヤに対する干渉は、勿論やめろ。これ実に対太平洋会議策の根本なりという、吾輩の議論(前号に述べた如き)に反対する者は、多分次の二点を挙げてくるだろうと思う。
(一)我が国はこれらの場所を、しっかりと抑えておかねば、経済的に、また国防的に自立することが出来ない。少なくとも、そを脅さるる虞(おそれ)がある。
(二)列強はいずれも海外に広大な殖民地を有しておる。しからざれば米国の如くその国自らが広大である。而して彼らはその広大にして天産豊かなる土地に障壁を設けて、他国民の入るを許さない。この事実の前に立って、日本に独(ひと)り、海外の領土または勢力範囲を棄てよと言うは不公平である。
 吾輩は、この二つの駁論に対しては、次の如く答える。第一点は、幻想である。第二点は小欲に囚(とら)えられ、大欲を遂ぐるの途を知らざるものであると。
 第一点より論ぜん。朝鮮台湾樺太ないし満州を抑えておくこと、また支那シベリヤに干渉することは、果たして爾(し)かく我が国に利益であるか。利益の意味は、経済上と軍事上との二つに分れる。まず経済上より見るに、けだしこれらの土地が、我が国に幾許(いくばく)の経済的利益を与えておるかは、貿易の数字で調べるが、一番の早道である。(p69ℓ1ーp70ℓ6)
 …………
 さて朝鮮、台湾、樺太を領有し、関東州を租借し、支那、シベリヤに干渉することが、我が経済的自立に欠くべからざる要件などという説が、全く採るに足らざるは、以上に述べた如くである。我が国に対する、これらの土地の経済的関係は、量において、質において、むしろ米国や、英国に対する経済関係以下である。これらの土地を抑えておくために、えらい利益を得ておる如く考うるは、事実を明白に見ぬために起った幻想に過ぎない。(p73ℓ5ーℓ9)
 …………
 二
 …………
 それは仮に彼らの妄信する如く、大日本主義が、我に有利の政策なりとするも、そは今後久しきにわたって、到底遂行し難き事情の下にあるものなること、これである。昔、英国等が、しきりに海外に領土を拡張した頃は、その被侵略地の住民に、まだ国民的独立心が覚(さ)めていなかった。だから比較的容易に、それらの土地を勝手にすることが出来たが、これからは、なかなかそうは行かぬ。世界の交通および通信機関が発達するとともに、いかなる僻遠の地へも文明の空気は侵入し、その住民に主張すべき権利を教ゆる。これ、インドや、アイルランドやの民情が、この頃難しくなって来た所以である。思うに今後は、いかなる国といえども、新たに異民族または異国民を併合し支配するが如きことは、到底出来ない相談なるは勿論、過去において併合したものも、漸次これを解放し、独立または自治を与うる外ないことになるであろう。アイルランドは既にその時期に達した。インドが、いつまで、英国に対して今日の状況を続くるか疑問である。この時に当り、どうして、ひとり我が国が、朝鮮および台湾を、今日のままに永遠に保持し、また支那や露国に対して、その自主権を妨ぐるが如きことをなし得よう。朝鮮の独立運動、台湾の議会開設運動、支那およびシベリヤの排日は、既にその前途の何なるかを語っておる。吾輩は断言する、これらの運動は、決して警察や、軍隊の干渉圧迫で抑えつけられるものではない。そは資本家に対する労働者の団結運動を、干渉圧迫で抑えつけ得ないと同様であると。
 彼らは結局、何らかの形で、自主の満足を得るまでは、その運動をやめはしない。而して彼らは必ずその満足を得るの日を与えらるるであろう。従ってこれを圧迫する方から言えば、ただ今日彼らの自主を、我からむしろ進んで許すか、あるいは明日彼らの自主を、我からむしろ進んで許すか、あるいは明日彼らによってこれを捥(も)ぎ取らるるかという相違に過ぎぬ。すなわち大日本主義は、いかに利益があるにしても、永く維持し得ぬのである。果たしてしかりとせば、いたずらに執着し、国帑(こくど)を費やし四隣の異民族異国民に仇敵視せらるることは、まことに目先の見えぬ話と言わねばならぬ。どうせ棄てねばならぬ運命にあるものならば、早くこれを棄てるが賢明である。吾輩は思う、台湾にせよ、朝鮮にせよ、支那にせよ、早く日本が自由解放の政策に出ならば、それらの国民は決して日本から離るるものではない。彼らは必ず仰いで、日本を盟主とし、政治的に、経済的に、永く同一国民に等しき親密を続くるであろう。支那人、台湾人、朝鮮人の感情は、まさにしかりである。彼らは、ただ日本人が、白人と一所になり、白人の真似をし、彼らを圧迫し、食い物にせんとしつつあることに憤慨しておるのである。彼らは、日本人がどうかこの態度を改め、同胞として、友として、彼らを遇せんことを望んでおる。しからば彼らは喜んで、日本の命を奉ずるものである。「汝らのうち大ならんと欲(ねが)う者は、彼らに使わるる者になるべし、また汝らのうち頭たらんと欲う者は、彼らの僕となるべし」とは、まさに今日、日本が、四隣の異民族異国民に対して採るべき態度でなければならぬ。しからずしてもし我が国が、いつまでも従来の態度を固執せんか四隣の諸民族諸国民の心を全く喪(うしな)うも、そう遠いことでないかも知れぬ。その時になって後悔することも及ばない。賢明なる策はただ、何らかの形で速やかに朝鮮台湾を解放し、支那露国に対して平和主義を取るにある。而して彼らの道徳的後援を得るにある。かくして初めて、我が国の経済は東洋の原料と市場とを十二分に利用し得べく、かくて初めて我が国の国防は泰山の安(やすき)を得るであろう。大日本主義に価値ありとするも、すなわちまた、結論はここに落つるに落つるのである。
 これを要するに吾輩の見るところによれば、経済的利益のためには、我が大日本主義は失敗であった。将来に向かっても望みがない。これに執着して、ために当然得らるべき偉大なる位地と利益とを棄て、あるいは更に一層大なる犠牲を払う如きは、断じて我が国民の取るべき処置ではない。また軍事的に言うならば、大日本主義を固執すればこそ、軍備を要するのであって、これを棄つれば軍備はいらない。国防のため、朝鮮または満州を要すが如きは、全く原因結果を顛倒せるものである。(p79ℓ3ーp81ℓ7)
 …………
 以上の諸理由により吾輩は、我が国大日本主義を棄つることは、彼らの不利を我が国に醸(かも)さない、啻(ただ)に不利を醸さないのみならず、かえって大いなる利益を、我に与うるものなるを断言する。朝鮮、台湾、樺太、満州という如き、僅かばかりの土地を棄つることにより広大なる支那の全土を我が友とし、進んで東洋の全体、否、世界の弱小国家全体を我が道徳的支持者とすることは、いかばかりの利益であるか計り知れない。もしその時においてなお、米国が横暴であり、あるいは英国が驕慢(きょうまん)であって、東洋の諸民族ないしは世界の弱小国民を虐(しいた)ぐるが如きことあらば、我が国は宜しくその虐げらるる者の盟主となって、欧米を膺懲(ようちょう)すべし。この場合においては、区々たる平常の軍備の如きは問題でない。戦法の極意は人の和にある。驕慢なる一、二の国が、いかに大なる軍備を擁するとも、自由解放の世界的盟主として、背後に東洋ないし全世界の心からの支持を有する我が国は、断じてその戦に破るることはない。もし我が国ににして、今後戦争をする機会があるとすれば、その戦争はまさにかくの如きものではければならぬ。しかも我が国にしてこの覚悟で、一切の小欲を棄てて進むならば、恐らくはこの戦争に至らずして、驕慢なる国は亡ぶるであろう。…………(p85ℓ17ーP86ℓ10)」(p69ーp86ℓ11)

令和5年1月12日作成   第165話