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49.南京事件

  「歴史認識の問題 その11」は、「南京事件」いわゆる「南京大虐殺」です。ほとんどの日本人は、あったと信じています。教科書にも書いてあり、中国にも「南京大虐殺紀念館」には万人坑の遺骨もあり、疑う余地がないのではないかと思っています。毛沢東の文化大革命(1966年から1976年)だけでも2000万人が粛清(虐殺)されたのが中華人民共和国であり、どのような経緯で埋葬された遺骨かわからないのではないですか。中国共産党の支援したカンボジアのポルポト政権は人口800万人中170万人の国民を4年間で虐殺して埋めました。共産主義イデオロギーによる虐殺は正当化されますので恐ろしい結果をもたらします。このことを指摘しておきたいと思います。

 来日40年になるアメリカ人のマックス・フォン・シュラーは「『太平洋戦争』アメリカに嵌められた日本」の中でこのように述べています。

「戦国時代は日本国内で日本人同士が戦争をした。しかし、それは「武士の戦争」だった。「武士の戦争」はヨーロッパや中国とは異質である。何が違うのか。一言でいえば、民間人にはほとんど関係がなかったことだ。日本の都市に城壁がないことはそれを象徴している。武士の時代の日本では、戦争で城主、その町の統治者が変わることはあっても、民間人を巻き込んで絶滅させるような戦争がおこなわれることはなかった。
 基本的には、日本の城にいるのは戦闘員である武士とその家族だけである。ヨーロッパや中国は違う。都市が城壁で囲まれていて、敵に攻められたら自動的に非戦闘員も巻き添えにされる。入城した敵兵は一般の人たちまで虐殺してしまうのだ。
 敵兵だけでなく、町に住む人たちも一緒に殺す。これはアメリカでは常識である。アメリカ人は国には出さないけれど、アメリカは絶滅的な戦争をしてきた。征服した民族を絶滅しなければ、子供が成長したら敵対する戦士になる可能性がある。征服したときに一人残さず殺せば、その危険性を事前に摘み取れる。ならば、殺すのが当然だ。だからアメリカ人はインディアンの女子供まで虐殺したのである。
 アメリカの空襲で日本の都市を絶滅させたのも、そういう常識が自然に働いたのだと思う。戦争は戦闘員が行うもので、非戦闘員は戦争の外にいる。こういう日本が世界では珍しいのである。」p37後ℓ4~p38)

 これが日本の武士道精神であり、民間を虐殺するという発想そのものが日本にはないのです。しかし、中国やアメリカの行動パターンにはあります。このこと一つとっての南京事件(南京大虐殺)はなかったと気づくべきでした。
 
中国の内情に詳しい遠藤誉の「毛沢東 日本軍と共謀した男」(新潮新書 2015年)によると

 「中国が歴史問題を論じ始めたのは、毛沢東が逝去してから数年経ったあとのことである。それまでは中国人民は「南京大虐殺」に関してさえ、広くは知らされていなかった。日本の「歴史教科書改竄」などがあって、初めて「南京大虐殺」が中国国内で広く知られるようになったと、人民日報は書いているが、それ以外にも日本の元軍人や日本の左翼系ジャーナリストなどにより知ったという情報も中国大陸のネットにはある。いずれにしても、日本側がその場を提供してあげたようなものだ。
 日中戦争の間は、父親が汪兆銘政権の宣伝部副部長として活躍していた江沢民は、毛沢東の老獪な戦略など知るはずもない。江沢民は、日中戦争時代には日本軍閥側の官吏の息子としてぜいたくな暮らしをしていた。だから当時の中国人には珍しく、ダンスもできればピアノも弾ける。日本が敗戦すると、あわてて中国共産党に近づくが、自分の出自が中国人民に知られなどしたら国家主席どころか共産党員としての資格も剥奪されると、江沢民は恐れたに違いない。自分がどれだけ反日的であるかを示すために、江沢民は1994年から始めた「愛国主義教育」の中で必死になって反日扇動を行い、出自を隠そうとした」

とあります。
  この著者自体は、南京虐殺はあったと主張しているのですが、そもそもなかったので広く知られることがなかったというのが真実ではないでしょうか。日本の元軍人の情報ということも曲者です。戦時下の極限状態であったのでイレギュラーの行動パターンとしての告白でしょうが、アメリカ軍やロシア軍、中国軍(共産党の八路軍を含む)のように常態として民間虐殺や略奪をする軍隊では、虐殺は当たり前のことで、良心もいたまず告白することもないでしょう。
 武士道精神をもつ日本人の良心に耐えられず告白したものではないかと思います。そのマイノリティ、つまり少数者の個人行動の告白を鬼の首をとったように組織活動として断罪し、自己の主張に迎合させることが、左翼系ジャーナリストや大江健三郎のオキナワノートに代表される左翼系インテリの特徴ではないかと思います。目的は別のところにあるのです。日本の天皇を頂点とする伝統文化の破壊です。天皇をなくしてありもしない理想国家を作ろうということが真の目的です。
 「戦争犯罪宣伝計画」の一環として「真相箱」という番組が放送され、日本軍の戦争犯罪の告白を流し続けた戦略が功をそうしているのかもしれません。

 警察官は治安維持のために働いていますが、不倫のために殺人を犯す警察官もいます。立場を利用して強盗殺人をした警察官もいます。このような個人の犯罪を、警察官の本質である。日本の警察は悪であると言えるでしょうか。元軍人の告白を日本軍の本質であると置き換えたのが、「真相箱」でした。従軍慰安婦問題もそうですが、江沢民のように目的があって真実をでっち上げるということを天国の住民である日本人には理解できないのです。
 ほとんどの警察官は、やはり武士道の精神を体現していて、弱者救済と正義感にもとづく仕事をしていることを理解しなくてはなりません。日本軍の行動も同じです、虐殺とはほどとうい存在です。

 ここで重要なことは、日本の「教科書改竄」事件などをきっかけにとあることです。日本側から情報から始まったとあります。 ありもしない教科書改竄ということをわざわざ中国に告げ口をする朝日新聞の姿勢にこそ南京大虐殺のでっち上げが日本で真実としてまかり通り、中国が世界に発信できる真因があると考えます。日本人の一人一人が、マスコミや日本のコミンテルン史観にもとづく教科書(ほとんどすべての歴史教科書)の嘘に気づくことが必要ではないかと思います。

 「世界史A」 平田雅博・飯島渉ほか9名著(実教出版社 平成24年検定済)の「第二次世界大戦 1-日中戦争とヨーロッパの危機」の項を読めば、コミンテルン史観がどのようなものかがわかります。
 
 「日本の侵略拡大
  満州事変と満洲国建国後、日本(とくに陸軍)は財閥とむすんで、広大な土地やぼう大な資源をうばいはじめた。
 これに対して、中国の人々の抵抗は高まった。延安を根拠とした共産党軍は、反地主闘争や援農活動も含めておもに農村地帯で頑強な抗日戦争を続けた。一方、蒋介石の国民軍は、アメリカ・イギリスの援助も受けながら共産党軍とともに日本軍ともたたかっていた。
  日中戦争
 1937年7月、北京郊外の盧溝橋での衝突(盧溝橋事件)をきっかけに、日本軍は本格的な中国攻撃を開始した。日本の近衛文麿内閣は戦線不拡大を唱えながらも軍部を抑えられず、華北から華中へと全面戦争が展開されるにいたった(日中戦争)。国共両軍は協力に転じ、抗日戦争はいっそうはげしさをまして日本軍は苦境にたたされた。同年12月には、日本軍は南京を制圧し、そのさい軍民に加えられた残虐行為はいまなお大きな問題となっている(南京大虐殺)。
 広大な戦場で苦戦をしいられた日本軍は、「点と線(都市と鉄道)」のみしか支配できず、食料も現地調達とされたため、各地で略奪や暴行などが頻発した。それらの事実は南京大虐殺も含めて当時の日本国民には何もしらされなかった。国民政府は奥地お重慶にのがれたが、日本軍はそこへも無差別爆撃を加えた。
  朝鮮支配の強化
 日中戦争の全面化にともない、朝鮮では、米や綿花・鉱産資源の収奪が強化され、日本風の姓を強要する創氏改名、学校での朝鮮語の使用禁止、神社参拝強制などの皇民化政策がとられ、強制連行や徴兵制も実施された。」(p186)
 
 私も最近までこのような教科書の記述をもとに歴史を教えてきました。現在の尺度で過去を裁くのはおかしいという立場でしたが、日中戦争そのものは日本の侵略ではないかと思っていたのです。しかし、日中戦争そのものも、中国共産党の策謀と挑発行為によって生じたものであること、大東亜戦争自体もマッカーサーのいうように自衛戦争であったということを確信するにいたりました。

 ただし、どのような策謀も日本内部に共犯者がいなければ成り立ちません。日本が敗北することを策謀し戦争拡大を仕組んだ近衛文麿首相に代表される隠れ共産主義者(山本五十六など国際共産主義者ーワンワールドのエージェントを含みます)の存在も見逃すことはできません。否、国内が一つであればどのような策謀にものることはなかったでしょう。

 ほとんどの日本人は、学校やテレビの伝える歴史以外に、詳しい歴史を学ぶことはしません。教科書に書かれていることだから、テレビの言うことだから、日本のほとんどすべての歴史学者の言うことだから真実ではないかと思うでしょう。しかし、この教科書の内容は、全てうそで固められています。警察官の個人の犯罪を警察官全体の組織犯罪とすることは間違いです。同じように例外的な個々の事象を針小棒大に取り上げて歴史を組み立てることは本当の歴史ではありません。そのような歴史はこの教科書の記述のように、大筋や流れは、全てうそです。日本の歴史教科書は、国際的な共産主義運動の思想宣伝であるコミンテルン史観にもとづく歴史観でつらぬかれています。
 日本の歴史教科書がコミンテルン史観にもとづくということは、日本の歴史者のほとんどが、史的唯物論にもとづく歴史学者であるということです。なぜこうなったかは、アメリカ占領軍が日本を解体化し、日本をアメリカの奴隷国家とするための直接計画である戦争犯罪宣伝計画により、東大、京大のトップが共産主義者で占められたことによります。後継者を自分と同じ思想傾向の人にするのは、組織の常識です。いまだに、戦争犯罪宣伝計画にしばられているのです。さらには、戦前からの隠れ共産主義者の存在もあなどることはできません。

 従軍慰安婦問題にしても、南京事件にしても、大東亜戦争の真実にしても、嘘がまかり通り、日本人の大半が自虐史観から目覚めることができないで、中国や韓国のいわれるままに信じてしまっています。

 繰り返しますが、今なお韓国や中国の主張をそのまま信じて教えてしまっている日本の学校での洗脳教育により嘘が再生産され、日本がどんどん解体していっているのです。人は誇りを失えばどんどん劣化してゆきます。かつての地上の楽園であった日本がどんどん落ちていっているのです。若者の自殺者が非常に多い国になってしまったようですが、日本人が誇りを取り戻し、大和魂にめざめ、武士道の精神を取り戻すことによりこの問題も解決すると信ずるものです。
 何度もほかの項でも繰り返していることですが、歴史認識に関する「歴史認識の問題」「東亜百年戦争」「台湾と韓国に対する植民地支配」「反日のアメリカについて」「満洲国と日中戦争」「大東亜戦争」「従軍慰安婦問題」などを訪問してください。きっと、洗脳から目覚めるに違いありません。そのことを願って同じことを繰り返し項を変えて記述しています。
 
 大本教などの教派神道では、世界を支配しようとする物欲の強い黒龍(中国やアメリカなど)や共産主義によって世界人類を奴隷化しようとする赤龍(ロシア・国際共産主義者)が、日本乗っ取りを狙っていると断じていますが、何か巨大な迷妄の雲が、日本を支配しているように思えてなりません。

参考図書

○「大東亜戦争を知らない日本人へ」田母神俊雄著(ワニブックス 2015年)

「南京大虐殺に関する疑問に一切答えなかった胡主席

 現在、アメリカの教科書には「日本軍は一九三七年、『南京大虐殺』を行って四〇万人殺した」と書いてあるという。南京虐殺記念館では「犠牲者数三〇万人」というのが公式見解であるが、それよりも一〇万人も増えている。
 「四〇万人」などという数字にはまるで信憑性がないことは言うまでもない。しかし、教科書にこう書いてあれば、アメリカの子供たちはこの数字を信じてしまうだろう。
 なぜ、このような事態になったしまったのか?それは、在米中国人たちがアメリカの教書を採択する人たちにカネを出して働きかけているからだ。
 現代は「情報戦の時代」。こうした情報戦によって、なかったことさえも事実のように宣伝して既成化していくのである。
 二〇〇八年、中国の胡錦涛主席(当時)が来日した際、「南京事件の事実を検証する会」が公開質問状を中国大使館を通じて送っている。この質問状の日本語訳を要約すると、以下のようになる。

一、故・毛沢東主席は生涯のただの一度も「南京虐殺」に言及しておないのはなぜか?
二、南京戦直前の一九三七年一一月に国民党は中央宣伝部に「国際宣伝処」を設置し、南京戦を挟んで約一年の間に三〇〇回、外国人記者向けの会見を行っている。しかし、この三〇〇回の記者会見において、ただの一度として「南京で市民虐殺があった」、「捕虜の不法殺害があった」とのべていないのはなぜか?
三、国民政府国際問題研究所の研修によって一九三九年に刊行された『Documents of the Nanking Safety Zone』によると、南京の人口は日本軍占領直前二〇万人、その後ずっと二〇万人、そして占領一ヵ月後の一月には二五万人と記録されている。この記録から三〇万人虐殺などあり得ないのではないか?
四、さらに『Documents of the Nanking Safety Zone』には、日本軍の非行として訴えられたものとして殺人は二六件、しかも目撃されたものは一件のみと記録されている。この記録と三〇万人虐殺とは両立しえないのではないか?
五、南京虐殺の「証拠」であるとする写真に関して、その後の科学的な研究(『南京事件「証拠写真」を検証する』〈東中野修道、小林進、福永慎次郎共著・草思社〉など)によって、ただの一点も南京虐殺を証明する写真は存在しないことが明らかとなっていることについては、どう考えるか?

 もし、南京虐殺が実際にあったのなら、右記の疑問にきちんと答えてほしいところだが、胡錦涛はこれには一切答えることはなかった。
 ただし、こうした噂、デマ、捏造を放置していた上、世界に広めてしまったのは、まぎれもなく日本国の政治家の怠慢であるといえる。
 これまで何十年も南京大虐殺の問題が持ち上がるたびに真実を明らかにしようとはせず、日本国のために命を捧げた諸先輩を貶めてまで中国の言い分を甘受してきたから、さらに状況がわるくなる一方なのである。日本の政治家の"事なかれ主義"にはほとほと閉口するしかない。彼らは、自分たちの対応いかんいよって、我われの子どもや孫の世代に大きな負の遺産を残し続けていることに思いが至らないのだろうか。
 彼らは議員バッジをつけられれば将来のことはどうでもいいと思っているのか、自分たちの世代で問題をきちんと解決しようという決意が感じられない。政治家たる者、少しは国家・国民のために汗をかくという気持ちを持ってほしいものである。」p69~72

「南京大虐殺、慰安婦強制連行は「情報戦」の一種

二〇〇七年、アメリカの下院議員であるマイク・ホンダ氏が、「日本は慰安婦を強制連行したひどい国である。世界に対して謝罪させよう」という法案(謝罪要求決議案)を下院に提出。これが議決されてしまった。
 我が国の名誉のために断言するが、慰安婦の強制連行などなかった。強制連行を裏付けるような証拠は、まったく発見されていないのである。
 しかし、中国系・韓国系アメリカ人のロビー活動を受けたマイク・ホンダ議員の活動により、アメリカ下院はこの反日法案を議決してしまったのだ。
 
 ユネスコの世界記憶遺産認定が如何に恣意的なものだったのかがわかる
 なぜ、当事者でもないアメリカにそんなことを一方的に要求されるのか、呆れるしかない。現在、アメリカ本土で慰安婦像が抵抗なく次々と設置させられていく背景には、こうしたことが影響しているのだ。
 韓国のいい加減なプロパガンダに簡単に手玉に取られるアメリカも問題だが、そこには当然多額のカネの働きもあった。
 右記反日法案が議決された同じ〇七年、詐欺罪で指名手配を受けながらアメリカ民主党の資金源として暗躍していた中国系アメリカ人が逮捕される事件があった。ホンダ議員は彼から献金を受けていたことが明らかになり、公開の謝罪と資金返還を余儀なくされたのである。要はホンダ議員の活動も、正義や差別撤廃のためではなく、カネ目的だったということである。
 それでは、多額のカネを払ってでも、こうした情報戦によって「日本がひどい国だった」という噂がまことしやかに世界に広まり、それによってまた日本国民が自虐史観にとりつかれてくれれば、払ったカネ以上の見返りが期待できるかれである。嘘とはいえ、一度染み付いたイメージはなかなか拭い去ることは難しい。だから、今でも中国は政府主導で南京大虐殺のウソと捏造の映画を量産しているのだ。
 外交とは、自らの力を強くし、相手の力を削ぐことによって目標が達成される。戦闘力をぶつけ合う本物の戦争は起きていなくとも、「情報戦争」は平時から毎日現在進行形で実行されている。情報戦争に勝たなければ、国家の存続は危うくなるのである。
 国際政治の本質とは、富と資源の分捕り合戦に他ならない。国際社会を見れば、残念ながら世界中の人たちがみんな豊かに暮らすほど富や資源は準備されていない。
 先述の通り、「おいカネ出せ!」といって富や資源を分捕っていた。帝国主義の時代は、それが悪いことだと認識されている世の中ではなかったし、やられたくなければ軍事力を増強して自国を守るしかなかった。
 しかし、第二次世界大戦で日本が戦った結果として、人種平等の世界を実現することができた。人種平等の理念が世界に広がったことから、軍事力が強いからといって、大義なく他国に押し入ることはできなくなった。
 その代わりに、戦後は「情報戦」で他国の富や資源を分捕ることが日常的に行われるようになってきた。自分の国が儲かるためなら、嘘、デマ、捏造された情報を、これでもかと流す。
 嘘も百回言えば本当になる―まさに、中国、韓国が狙っているのはこれであり、それが「南京大虐殺」「慰安婦の強制連行」の本質である。」 (p72~p75)
 
○「白い人が仕掛けた黒い罠―アジアを解放した日本兵は偉かった」髙山正之著(ワック 2011年)

 「日本の純粋さ
 日本に進駐した米軍も最初に要求したのが女だった。性の防波堤として三業地の女性らが文字通り挺身して米国兵の相手をした。
 ビルマ、シンガポールでは日本の慰安所をそのまま連合軍が接収して連合軍兵士用に継続利用している。
 しかし日本に入った米兵は日本政府に用意させた慰安所だけでは足りなかった。一般の民家に押し入って女を漁った。蒋介石軍の兵士と同じだった。押し入った米兵を諭そうとした家人が暴行され、殺されるケースもあった。米軍の占領期間に殺された日本人は二千五百三十六人(調達庁調べ)に上り、その中にはこうした強姦の絡むものが多かったという。
 この時期、日本に来たシカゴ・サン紙の特派員マーク・ゲインは『ニッポン日記』の中で「日本人は女を武器として連合軍の占領統治に抵抗しようとした」というったくだりがある。これほど尊大で恥を知らないジャーナリストも珍しい。
 これが彼らの戦争の本当の姿になる。
 しかし日本に限っていえば、彼らとは全く別の戦争を戦っていた。前述したように残忍な報復はしなかったし、彼らが常とする略奪も強姦も戦争から排除した。
 上海事変から南京に退く蒋介石の軍隊は前述した金州域のときと同じく民家に押し入り奪えるものは奪い、犯し、火を放って逃げた。
 南京陥落後、蒋介石軍は長江の上流九江に逃げ、ここに陣を張る様子が石川達三『武漢作戦』に描かれている。彼らは九江の民家を接収し、食糧を勝手に調達し、住民は自分の街で難民にされてしまった。
 日本軍はここに迫ると蒋介石軍は長江の堤防を決壊させて街を水浸しにし、井戸にはコレラ菌を撒いて逃げた。防疫と堤防の修理は日本軍がやった。
 彼らを追って南京に進軍する日本兵が農家から買った鶏を笑顔で抱えている写真が朝日新聞に載った。南京にある例の三十万人虐殺記念館にこれがながらく「日軍兵士が鶏を略奪した図」として展示されていた。
 彼らにしてみれば掠奪は当然と信じて疑わなかったからだが、それが違うと分かってきて、南京事件七十周年に当たる〇七年十二月にこの写真をこっそり外した。
 それほど日本人の行動は彼らの理解の及ばないところにある。
 日本は十九世紀末に世界に見参した。しそてハワイ王朝を乗っ取った米国に軍艦を出して抗議し、その翌年に支那と戦ってこれを倒した。そしてその十年後には白人国家ロシアを倒し、さらにその十年後の第一次世界大戦では白人の叡智の象徴である航空機を持つドイツに彼らの三倍の航空兵力で戦いを挑んでやっつけてしまった。
 しかも日本が戦う戦争は彼らの常識にない純粋さがあった。さらに衝撃だったのが日本の経営する植民地の姿だった。
 とくに満洲だ。リットン調査団は英国の元インド総督ビクター・リットン、フランスからはアルジェリア統治にかかわったアンリ・クロデール植民地軍総監、ドイツからは独領東アフリカ総督ハインリッヒ・ジュネーら「搾取する植民地」のベテランが満洲を見た。そして驚いた。国際連盟規約二十条に「遅れた地域の民の福利厚生を図るのは(先進国の)神聖な使命だ」とある。しかし現実は後進地域の民の愚民化を進め、米英は支那、マレーシアに、フランスはベトナムにアヘンを売り付け、ひたすら搾取してきた。
 しかし満洲では肥沃な大地の実りと地下資源を背景に学校が作られ、ユダヤ人スラブ人も含めた多くの民族が日本の指導のもとで自由と豊かさを満喫していた。
 植民地搾取のベテランたちは満洲自体が彼ら白人の植民地帝国主義への告発に見えたのだろう。国際連盟への報告書は日本を閉じ込め、でも満洲は白人経営でいただきましょうという趣旨で貫かれている。
 奴隷をもち、残忍な戦争をし、掠奪と強姦を喜びにしてきた国々にとって掠奪も強姦もしない、奴隷も植民地ももたない日本は煙たいどころか、存在してもらっては困る国に見えた。その伏流を見逃すと、近代史は見えてこない。
 日本対白人国家プラス支那という対立構造ができ、先の戦争が起きた。日本を制したのが中でも最も邪悪な米国であり、その米国がいま丸腰日本の保護者となっているのは歴史の皮肉というより、もはやたちの悪い冗談でしかない。」(p228後ℓ4~p232ℓ2)

○「「太平洋戦争」アメリカに嵌められた日本」マックス・フォン・シュラー著(ワック 2015年)
○「毛沢東 日本軍と共謀した男」遠藤誉(新潮新書 2015年)
○「今こそ中国人に突きつける 日中戦争 真実の歴史」黄 文雄著(徳間書店 2005年)
○「近衛文麿の戦争責任 大東亜戦争のたった一つの真実」中川八洋著(PHP研究所 2010年)
 
平成27年11月23日作成 平成28年02月27日最終更新  第109話
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