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 日本書記の第三、神武天皇項に
『・・恭みて寶位(たかみくら)に臨みて、元元(おおみたから=国民)を鎭むべし。上は乾靈(あまつかみ=天津神)の國を授けたまひし德に答へ、下は皇孫の正(ただしきみち)を養ひたまひし心を弘めむ。然して後に、六合を兼ねて都を開き、八紘(あめのした)を掩(おお)ひて宇(いえ)にせむこと、亦よからずや。・・」[恭臨寶位、以鎭元元。上則答乾靈授國之德、下則弘皇孫養正之心。然後、兼六合以開都、掩八紘而為宇、不亦可乎。]
とあります。
 ここから、「養正」「八紘為宇」「六合兼都」などのキーワードに注目して日本の国体(国の精神)を明らかにしたのは田中智学(1861年~1939年)でした。但し、「八紘為宇」を「八紘一宇」、「六合兼都」を「六合一都」に意識的に置き換えています。
 智学は、日蓮宗の僧侶として日蓮上人を研究するうちに、日蓮上人が、「神国日本」の中心たる天皇崇拝者であったことを理解しました。その上で「養正」の精神を押し広める使命が、天皇と日本国民の使命であることを悟りました。そして、これを「天業恢弘」と称しました。

 
 
 皇紀2600年(昭和15年・キリスト暦1940年)記念切手。「八紘一宇」とある。5匹の鮎は、天皇即位式に掲げる万歳旗にある。オリンピックのマークと同じ世界人類を現すという(五色人)。また、壺は「金甌無欠」(欠けることのない国体を現す。日本にある黄金の壺(マンナの壺)をあらわす。
「八紘一宇」(「八紘為宇」も同義)について確認します。「八紘」は、「淮南子」が出典で、世界の四方と四隅つまり、世界の隅々のことです。「宇」は、大きな屋根に掩われた家、大空に掩われた世界のことです。「八紘一宇」は、今日的言葉でいえば「世界一家、世界はみな兄弟」ということになります。
 「六合」は、東西南北、天と地。これも全世界という意味になります。「六合一都」は、全世界の中心の都を建てるということになります。
 神武建国の前提として「天壌無窮」の御神勅があり、引用した即位の時の決意があります。天照大神が、自らの子孫を地上におろされ、時を経て神武天皇の建国となりました。
 建国の目的は、地上に神の教えを弘めて、「神の国」を顕現するためであると神武天皇は宣言しています。他国の権勢をふるうための建国でもなければ、徳のある人が押されて帝王になるという中国風の建国でもなく、天津神の子孫が教えた「養正」(正しい道を養う)ための建国であったというのが智学の悟りでありました。そして「養正」を全世界に弘めて一つの家のような仲睦まじい世界をつくる。そこに君臨するのは、「天壌無窮」の御神勅を受けた皇孫の子孫たる天皇であるという主張であります。

 「養正」の精神は、仁徳天皇の「其れ天の君を立つるは、是百姓(おおみたから=国民)の為になり」(日本書紀第十一)や聖徳太子の「十七条憲法」にも継承されています。歴代の天皇にも継承されています。
そして、最も強くあらわれているのは、明治天皇の「教育勅語」であるということです。

 「八紘一宇」も「国体」という言葉も、智学が明治22年以来の提唱してきた日本の建国の精神であり、その精神を受けついだ歴代天皇と国民総体である日本のあり方と日本の使命・天命であるという主張でした。
 キリスト教徒である内村鑑三や「生長の家」創始者である谷口雅春なども「八紘一宇」の精神の理解者であり、伝道者でした。
 日本の国体の理解のもとに大川周明の紹介したポール・リシャールの詩や、アインシュタインの言葉として誤って紹介されているスタイン博士の日本賛辞の言葉があります。
さて、智学が初めて提唱した「国体論」や「八紘一宇」の精神は、やがて大東亜戦争における大東亜共栄圏構想につながって行きます。結果としてアジア諸国の独立をもたらすことになります。
 大東亜戦争を裁いた東京裁判において「八紘一宇」の精神は、侵略思想ではないと認定されますが、戦後政策におけるGHQの「戦争犯罪宣伝計画」において、侵略思想であるとの宣伝がなされ禁句とされ今日に至っています。根深い誤解と悪意の解説に掩われた言葉であります。先入観を排除して反日宣伝ではない「八紘一宇」に関する本をひもといてみると別の理解が生まれると確信します。

 キリスト教のメシア思想が、共産主義思想に変化し、共産主義思想は、世界人類家畜化計画に他ならないこと理解されるようになりました。
 民主主義の最先端国家がアメリカ合衆国に体現されているとすれば、イランやアラブ諸国にイチャモンをつけ侵略し、自分の価値観を押しつけている民主主義思想も覇権を求める世界人類の家畜化運動に他ならないと言えるのではないでしょうか。
 中国における中華思想やイスラム教の排他主義も世界を争いに導いているとしか思えません。
 「八紘一宇」の精神の中に、世界を救う原理があるのではないかと思わざるをえない世界の混沌を感じています。
 オンリーワンの文明である日本文明のあり方の基本が「八紘一宇」の精神であるのではないかと確信します。

参考図書

○「日本國體の研究」田中巴之助(智学)著(真世界社 大正十一年[昭和五十六年復刻])

 「 神武天皇が「養正」を主義として、この日本を建国されたのは、みずからも宣言なされた通り、『上(か)み神霊の垂範に則り、その授国の旨に答えるためだ』とある。して見れば、単に天皇の心とばかりでなくて、その中心に天祖の神話が宿って居ること勿論である。既に神の心である。あらゆる人間の小規模なコセコセした問題を超越して、高いところ深いところ大きいところから人間を処置しようというのである。随ってその規模は大きい、その大きい結果をもたらさなくてはならぬ、所謂「養正」の結果だ。結果を予想しない主張は一種の空想である、而して神武天皇のこの「養正」が期待する所の仕上げは何だ、それは世界統一である。
  神武天皇の世界統一は、「八紘一宇」ということと、「六合一都」ということで言い現された、俱(とも)に天皇の宣言中にある命題だ。その所謂「八紘一宇」は世界統一であるが、それは版図的意味の統一でない、天意に順い自然の法則に従った、合理にして永久性の統一である。この堅固明快なる統一感は、何の必要からきたかということを、目ノ子勘定にして挙げると、二つの理由から発して居る。その一は、 
前に挙げた天祖のこの日本国を選びさずけられた主旨が皇孫代々の家範として厳然伝統的主義になって居る、それを「養正」という標語で意解し随って無外の大文化として人類に普及しなければならぬという必要から来る、天意体達のための世界統一
その一は、
今現実の人間の世を見るに、その無外の大統一を無視して、小さく部落的に(たとえ領土は大きくとも、心が小さく)割拠して、民族の色わけからも、集団的部別からも、各々互いの利害の上に衝突で日を暮し、己を大きくしよう安くしよう有利にしようというために、相手方を縮めようその存在を呪おう其利を奪おうと、どちらからも同じ考えで、鵜の目鷹の目で、互いに鎬(しのぎ)を削って居るのが、世の常相である。神の心を以て之を見渡したとき、ぞっとする、けしからぬ事に感じられた、畢竟(ひっきょう)これは人類同化の原則に反(そむ)いた不自然の現象であるから、これを除く根本方針として、世界は一つにしなけらばならぬ、即ち世界一家の必要は切にこの方面からも促しつつある。
 と考えられたことは天皇紀に明かに記されてある。この神の主義を体達すべき必要と、世界の現状を救済すべき必要との二方面からして、天孫の代表者たる立場に於て先ず何事を措いても、その根本信条として、これが方針の予想を結果づけて明確にする必要があるのである、それが「八紘一宇」の大宣言だ。
 「八紘」とは世界中ということである、「一宇」とは一つの家ということである。即ち世界は一軒の家でなくてはならぬということだ。
 世界が一つだということは、一つにするという仕事の前に、まず元来一つであるものであることを得心させる必要がある、即ち、
 世界を統一することは事業であって、それをどうい手段方法で統一するかが初頭の問題となる、これを干戈武力でするか、道義感化でするかであるが、神武天皇の統一観は、養正の恢弘とあるから、無論「正義同化」の文化的行動であるに究っている。それを「天業」という。
 先ず原則として当然世界はひとつになるべき筈だとう図星のねらいどころは、世界のゴテゴテを超越した大見地から来なくてはならぬ、それを一言に決すれば、原則として
人類的一如
 の大観念を基準とせねばならぬ、それからでなくては真の統一は来らない、それを煎じ来れば、この思想の完全表示は、世界中唯だ一の法華経が、組織的に説明した「一念三千」の原則に照らす外はない、こお原則を基礎としての人類一如である、その一如の人類を以て彩色した世界統一図である。
 「人類一如」といえばとて、人種も風俗もノベラに一つにするというのではない、白人黒人東風西俗いろとりどりの天地の文(あや)、それは其儘で、国家も領土も民族も人種も、各々その所を得て、各自の特色特長を発揮し、燦然たる天地の大文を織り成して、中心の一大生命に趨帰する、それがここにいう統一である。
 であるから、その意義を間違えざる為め、特に  
「道義的世界統一」
 の名で区別して、世にありふれた悪侵略的世界統一と一つに思われない様にしてある。』(660p~665p 現代的かなづかいに直す)
 『世界を統一すべき王統が、この世界のどこかにあるという伝えは古くから有る、「転輪聖王」の伝説は正しく其れだ。金銀銅鉄の四輪王の中、金輪聖王が最も広く四天下を統御する家としてある、而してこれは道の力で統一するのであるとしてある、その輪王の威徳を象徴すべき宝が車輪形の輪転矛である。故に之を「輪宝」という、それが十六ある。依って予は曽(かつ)て日本帝室の御紋章が、今「十六の菊」と言って居るが、あれは輪王家の輪宝であって、それを後世花に見立てて菊としたのであろうということを考証して、日本帝室はこの輪王家の系統(即ち世界を統一すべき王統)と古くから伝えられた家であるということを主張した、予は無学だから、何にも書物や何かで見たのではない、考案思惟の結果である、然るにその後姉崎博士が、外遊より帰られて大阪で会った時の話しに、印度の阿育王(=アショカ王)の墓だかにもこの輪宝を紋にして居るということを聞いた、それから又十数年も経ってから後に、奈良県の宝塔寺の古塔から発見されたという日蓮上人真筆、蒙古退治の国禱曼荼羅を見ると、驚くべし明らかに本尊の中央に日本帝室を祝福して題目の直ぐ下に
聖天子金輪大王
と記されてある、明らかに日本帝室を以て「世界統一の輪王家」なりとされた不抜な宣言である。』(138p~139p 現在的なかづかいに直す)

○「國體の本義」(文部省 昭和12年)
○「日本とは如何なる國ぞ」田中巴之助(智学)著(天業民報社 昭和三年)
○「日本書記 上」坂本太郎/家永三郎/井上光貞/大野晋 校注(「日本古典文学大系67」所収 岩波書店1967年)
○「日本書記 上」井上光貞 監訳(中央公論社 昭和62年) 

平成24年08月18日作成   平成年月日最終更新  第078話