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 世界標準(ユーラシアスタンダード)ということばがある。アフリカや新大陸(アメリカ、オーストラリア)の価値基準は、ヨーロッパ文明に支配されているので、ユーラシアスタンダートともよべるのが世界標準である。このユーラシアスタンダードにあわないから、日本は、遅れているという見方がある。曰く、日本は民主主義革命がなかったので、民主主義が徹底していない。いまだに封建的な考え方が残っている。変革も不十分である。近代国家といえないんではないかという劣等感がある。この考え方は間違っていると問題提起をしたい。

 日本は、世界でただ一つのユニークな判断基準をもっている。ジャパンスタンダード(日本標準)である。

 古代より、古事記に観られるように「清き明き心」が大切であった。邪心の無い心、潔白で明るい心が重視された。また、美しいかどうかが判断基準であった。その結果、ユーラシア大陸全体、アメリカ大陸でも文明国の基準であった、宦官がいなかった。シルクロードを通じて入ってきたはずである馬の去勢という技術も受け継がれなかった。美しくも明るくも無いからであろう。また、奴隷制度も基本的には存在しなかった。アメリカ合衆国では、1863年に奴隷解放宣言がリンカーン大統領によって、出されるまで黒人奴隷がいた。さらに1964年に公民権法が制定されるまで法的な差別はのこった。
 日本には、奴隷は基本的には存在しなかった。宦官、奴隷がいないというのは、ジャパンスタンダードの面目躍如である。奈良時代に編纂された万葉集には、天皇の歌や政府高官の歌と共に、名も無き農民の歌も多数のこされている。そもそも神代から続く和歌で天皇と農民が結ばれているということも日本独自のことである。今日につながる天皇が主催する歌会初めの伝統にもつながるものである。

 「歴史はシュメールに始まる」という言葉がある。そのシュメール(メソポタミア文明)のギルガメッシュ叙事詩には、

 「彼(ギルガメシュ)は周壁もつウルクの城壁を建てた。」(矢島文夫の訳)

とある。ユーラシア文明の初めから、都市といえば城壁に囲まれていたのである。ヨーロッパの都市、例えばパリでも城壁がなくなったのは、200年ほど前に過ぎない。イギリスから朝鮮半島までシルクロードに連なる都市、ユーラシアのあらゆる都市には、外敵の進入を防ぐ巨大な城壁があり、都市と農村をわけ、領主(貴族)の支配する都市をまもっていた。

 一方日本には、城壁都市はなかった。

ジャパンスタンダード〈日本標準〉
  ○都市の城壁がない
  ○宦官がいない
  ○奴隷制度がない
  ○宗教戦争がない
  ○革命がない
  ○恨みを水に流す
  ○指揮系統のずさんさ(戦略不在)

  「その国(日本国のこと)は、居住するのに城郭はなく、木をもって柵をつくり、草をもって屋をつくる」(「旧唐書倭国日本国伝」石原道博の訳)

とある。「木をもって柵をつくり、草をもって屋をつくる」つまり、火をかければすぐ燃えるではないか。なんと、不用心なという驚きがつたわってくる。

本格的な都市である藤原京、平城京、平安京にも城壁はなかった。さらにその都市の中心にある天皇の住む御所の囲いも、高さ2mもなく、盗賊が肩車すれば入れる。京都に今も残る京都御所の囲いまた、ユーラシアスタンダードからすれば、基準外である。

 日本人は、都市を襲う外敵の心配をいっさいしていなかった。このジャパンスタンダードは、日本の豊かな自然に負うところが多い。

 ユーラシア大陸では、遊牧民族と農耕民族の相克の歴史であった。遊牧民族も天候が不順でないときは、農耕民とは交易を行うが、いざ天候の不順になると、生存をかけて農耕民に襲いかかり、略奪を常とした。このため、都市の支配者は、巨大な塔をつくり遊牧民族の侵入をいち早く予見し、巨大な城壁をつくり防御とした。一方周辺の農民には、高い税をかけ、いざというとき都市に入れてやるとの約束のもと収奪をつづけた。これがユーラシアスタンダードと言うことになる。都市の貴族は、その収奪を当然のこととし、金銀財宝をため込み、贅沢な暮らしを重ねた。貴族と農民の歴然とした格差も固定化された。

 それに対し、日本では、その豊かな恵み故に、十分な広さがあるにかかわらず、遊牧民族は生まれなかった。古代における騎馬民族征服説が真実であるにしても、日本に来ると騎馬民族はたちまちにその伝統を失うほど、豊かな恵みによる感化力を有していたことになる。ジャパンスタンダードは、その豊かな恵みに支えられて、貴族や王は、農民を収奪せず、富を蓄えず質素倹約を基本理念とする貴族や王を産んだ。巨大な城壁にまもられる必要もなく、国民を神宝(みたから)と尊重する伝統を育んだ。

 ヨーロッパから朝鮮半島までのユーラシア大陸では、宗教においても、「領主の信仰その地で行われる」という原則があり、宗教を巡る戦争が繰り返されてきた。日本では、共存共栄の思想があり、様々な宗派の仏教も神道も共存してきた。秀吉は1587年のバテレン追放令よってキリスト教を迫害したと言われているが、キリスト教徒の領主(大名)が、バテレン(キリスト教宣教師)の指導により、領内の神社仏閣を焼き払い、キリスト教徒以外を奴隷として海外に売り払っていたからであり、神社仏閣を破壊したり、「領主の信仰その地で行われる」という、ユーラシアスタンダードを実行しようとしたことに対する対応であったことが明らかになっている。徳川幕府によるキリスト教徒の迫害は、宗教的寛容、諸宗教の平和的共存というジャパンスタンダードをまもるための処置であった。
 宗教戦争と同じように革命がなかった。革命は、前政権を完全否定して新政権を打ち立てることである。普通は何万人、何十万にという血を流して新政権が誕生する。中国共産党による中国革命などが典型であり、毛沢東の政策によって何千万という人が虐殺された。

 日本では、明治維新は、旧来の支配者である武士が特権をすてて、欧米の圧力に応戦するために自己犠牲になって作り上げた政権であった。明治維新になっても徳川15代将軍は生きつづけたし、華族として尊重された。このようなことは他国には例をみない。

 血をながさないから、不徹底と言うが、血を流さないでも庶民の平等を勝ち得ているという事実を無視しての発言であろう。

 遊牧民族と農耕民族による相克を経験しない豊かな恵み故に、平和がただで獲得できると信じ、城壁をつくらない都市を発達させてきた日本民族は、宗教戦争や革命による大量虐殺も経験しないで来ただけに、強力なリーダーを必要としてこなかった。ユーラシアスタンダードにみられる遊牧民族と農耕民族との相克は、有能な指導者を持たない都市や民族は、たちまち滅びるか、他民族の奴隷になるかの選択肢しか無かった。結果として有能な指導者を産む伝統が生まれた。自然に守られ、遊牧民族の攻撃を心配しなくて良い農耕国家の日本では、は、信長や秀吉などの英雄を除いて、有能な指導者が生まれてこなかったし、生まれる基盤にかけていた。狩猟採集で生計を立てていた山の民や海の民も豊かな恵み故に農耕民族と相克することは無かった。その結果、国家をリードする指揮者の不在、指揮系統の杜撰さというのがあげられる。663年の白村江の戦いでも、数の上で有利でありながら、唐と新羅の連合軍に敗れ、同盟国百済を助けることができなかった。

その代わり、指導者不在の伝統に加え、貴族などによる収奪も少なかったが故に、国民が自由を謳歌し、力を発揮してきた。豊かな恵みの中で、国民は優秀であり思わぬ力を発揮してきた。今回の東日本大震災でも同様なことがいえる。国家を動かす強力なリーダーの不在と一般庶民の力強さもジャパンスタンダードの一つである

参考図書

○「奇跡の日本史 『花づな列島』の恵みを言祝ぐ」増田悦佐 著(2010年 PHP研究所)
  
  「日本列島のことを英語の雅語ではなんと呼ぶか、ご存じだろうか。フェストゥーン・アイランズ(The Bountiful Festoon Islands)と呼んでいる。花の茎をよりあわせて編んだ花づなのように、優雅に弧を描いて連なる島々という意味だ。
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この花づな列島は、たんに地理上のかたちが優雅であるばかりか、そこに住む人びとの営みも優雅だった。都市は城壁を構えたりせず、王宮は金銀財宝を溜め込まず、都市は城壁を構えたりせず、王宮は金銀財宝を溜め込まず大衆が自分の行きたいところに行き、住みたいところに住む権利はめったに抑制されなかった。
  世界中見渡しても、こんなに優雅な文明を維持しながら、戦争や殺戮より平和な経済競争が優位を占める近代市民社会が成立するまで生き延びた国民は、ほかにはいない。ところが、これだけ幸福な星のもとに生まれた日本人が、自分たちはどんな幸せな歴史をいきてきたのかということをほとんど知らない。

 皮肉なことに、おそらく世界中の知識人の中で日本の知識人がいちばん、ヨーロッパ文明こそ善き文明であり、義(ただ)しき文明であるというデマ宣伝を信じこまされ、ヨーロッパの文物に対する抜きがたい劣等感にさいなまれている。おそらく、一度もヨーロッパ諸国の植民地にされたことがなく、ヨーロッパ文明の中からいいものだけを自分たちの意志で選択的に取り入れてきたからこそのヨーロッパ崇拝なのだろう。だが、もうそろそろ真相に気づくべき時期だ。
 
 ‥‥日本の歴史を見ていくと、諸外国であれば当然あったはずのものが日本にはなかったということが多い。しかも、なくてマイナスになるどころか、なくて本当に良かったというものばかりだ。この本では、日本の「なくて良かった」ものばかり集めて「あった」ヨーロッパの悲惨で暴力的な歴史と対比していく。「ないない尽くし」のすばらしさを、ごゆっくり味わっていただきたい。」(p3〜p5) 

○ 「訳註中国正史日本伝」 石原道博著 国書刊行会 昭和50年

平成23年06月11日作成  第070話