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イスラエルの三種の神宝というのは、アロンの杖・マナの壷・モーセの十戒石であり、モーゼの出エジプト以来、「契約の箱」に入れられ大切に扱われてきました。ダビデ王の時代までは、幕屋に入れられていましたが、ソロモン王の時代にヤハウェの神殿が建てられ、至聖所に大切に納められました。但、神殿に納められたときには既に、アロンの杖とマナの壷は、「契約の箱」の中にはなく、行方不明になっていました。
 聖書には、契約の箱は、新バビロニアのネブカドネザル2世にエルサレムが占領され、ヤハウェの神殿が破壊されるのを神から示された預言者のエレミヤ(前626年~前586年頃活躍)が、モーセが十戒をさずかったネボの山に隠したという伝説が記されていますが、本当のことはわかっていません。

「更にこの書(=エレミヤについて書かれたとされる記録)によれば、預言者は彼に与えられた託宣に従って、幕屋と契約の箱を携えて山へでかけたという。モーセが神から約束の地を示された所である。そこに到着したエレミヤは、人の住むことのできる洞穴を見つけ、そこに幕屋と契約の箱と香壇を運び込み、入り口をふさいだ。一行の中の何人かが、道標を作ろうとして戻ってみたが、もはや洞穴を見つけることはできなかった。このことを知ったエレミヤは、彼らを叱責してこう言った。『神が民の集会を招集し、憐れみをくださるときまで、その場所は知られずにいこうるだろう。その時になれば、主はそこに運び入れたものを再び示してくださり、主の栄光が雲とともに現れるだろう。モーセに現れたように、また、ソロモンが神殿の聖別式を厳かに行ったとき現れたように。」(旧約聖書 マカバイ記二 2章4節~8節 新共同訳)

 間違いなく言えることは、ユダ王国を滅ぼした新バビロニアの略奪品のリストが、聖書の列王記Ⅱ 25章13節~17節にありますが、契約の箱はその中にはありませんでした。
 「契約の箱」は、ソロモン王の時代、シバの女王によってエチオピアに持ち去られ、以後ヤハウェの神殿にはレプリカが安置されていたということで、現在もエチオピアにあるという説があります。
 また、エルサレム陥落の前に、エルサレムの地下に隠されたとも、破壊されたとも言われています。しかし、神の言葉を告げる預言者達が、滅亡を預言されながら、神の祝福の証である「契約の箱」むざむざ放置していたとは、思えません。安全ないずこかに隠されたと見るのが自然ではないでしょうか。
 南王国ユダ王国の預言者エレミヤを待つまでもなく、預言イザヤ(第一イザヤ 前740頃~前712年頃から活躍)や、北王国の預言者エリヤ(前871年頃~前851年頃活躍)など多くの預言者が、ヤハウェの信仰に還らないと国が滅び、神殿が破壊されると警告をつづけていました。イザヤとエリヤにも神宝を移動したという伝説や移動したかもしれないと想像できる聖書の記述があります。
 エリヤは北イスラエルのアハブ王(前871~前852年頃在位)と対立して、シナイの洞窟に隠れ暮らし、最後には


「彼ら(エリヤと後継者に指名したエリシャ)が話しながら歩き続けていると、見よ、火の戦車が火の馬に引かれて現れ、二人の間を分けた。エリヤは嵐の中を天に上っていった。」(列王記下 2章11節)

と何処へ移動していったという記述があります。
 これをもって小谷部全一郎は「日本及び日本國民之起原」の中で、エリヤがガド族の勇士と共に、マナの壷とアロンもの杖を何処かへ持ち去り隠した推測し、日本の皇室の三種の神器の類似性から、これら二つのイスラエルの神宝が日本の皇位継承の印となっていると断じています。
 皇室の三種の神器は、もともと二種であり、剣と鏡でした。エリヤが隠匿したイスラエルの神宝は、アロンの杖とマナの壷ということです。
 アロンの杖は、モーゼがエジプト王から奴隷であったイスラエル人を解放する時に、エジプト王と力比べをしたときの鉄の杖であり、草薙の剣となったといいます。
 マナの壷は、モーセに率いられて荒野をさまよったときに神から与えられたマナという食べ物を神の命令で記念に詰めた黄金の壷である。一方三種の神器の一つの鏡は、漢字で書き表される鏡のことではなく、カガミであり、古語のカンガメつまり、神甕であるということであるとのことです。
 この神甕は、黄金の壷であり、雄略天皇と後冷泉天皇が蓋をあけると、白い煙のようなものが出てきてあわてて蓋をしめたという記録が、日本通釈と平家物語にあります。そして、その大きさも、一オメル(約2.3リットル)のマナを入れたという聖書の記録と一致する大きさになるとのことです。
  イスラエルの三種の神宝を入れていた「契約の箱」のことを、古代ヘブル語で「舟」といい、英語でも、Ark(アーク)と言います。ノアの箱船で、人類の先祖がすくわれた故事にちなんで、「契約の箱」を「アーク」と呼ぶとのことです。
丹後の籠神社の元宮 真名井神社
 出エジプト記25章10節~22節に契約の箱の形状が記されています。箱の大きさは縦2.5アンマ、横1.5アンマ、高さ1.5アンマ。箱を覆う蓋には、二体のケルビム(羽をもつ天使)が顔が向かい合って、その顔を羽で覆っているように作られました。また、二本の棒で担げるようにしてありました。アカシア材でつくられ、これら全てを黄金で覆って作られました。1アンマを45センチとすると、縦112.5センチ、横と高さ67.5センチになります。
 ケルビムを鳳凰に替えると日本各地で見られる神輿(みこし)の形状に似ています。「契約の箱」は、祭祀階級であるレビ族によって担がれました。エジプトから解放されて約束の地に向かうときに歓喜の声を上げながら移動したといわれています。日本の神輿もまた、御神体を載せて歓喜の声につつまれながら担がれます。世界中でこのような形の祭りは日本だけにあるといいます。「契約の箱」がシルクロードを担がれて日本のどこかにかくされているかもしれないという想像をかき立てられます。
 「契約の箱」が隠されている可能性のある所として、四国の剣山山頂や京都の上賀茂神社付近あるいは、堺の仁徳天皇陵(大山古墳)、丹後の籠神社の末社である真名井神社などがあげられています。
 日本の三種の神器の一つ神鏡は、御船代と称する容器に収められ伊勢神宮に奉安されています。延喜式伊勢神宮造備雑物の記録によると、この御船代は長さ7尺3寸、幅5尺7寸、高さ2尺1寸ということです。名前は不思議と類似しますが、大きさは長さで御船代の方が2倍の大きさです。幅と高さはほぼ一致します。

イスラエルの3つの神宝
モーセの時代に「契約の箱」が作られ担がれて移動させた神とイスラエル民族の契約の証の品。 
日本の3種の神器
皇位継承のシンボルで、元々、剣と鏡のみであったという。 
アロンの杖
鉄の杖であったという。 
草薙の剣(クサナギノツルギ)
出雲のスサノオ尊由来の鉄の剣。ペルシアの古都スサを連想させるスサの王から、シルクロード経由で伝来したものかもしれない。 
マナの壷
モーセに率いられてエジプトから脱出して荒野をさまよっているイスラエル民族に神から与えられたマナ(白い甘い蜜の様な味のする食べ物)を入れて黄金の壷に保存した。 
八咫鏡(ヤタノカガミ)
鏡は、カガミで、神甕《カンガメ》という説あり。丹波の籠神社の元宮の真名井神社に保存していたものを伊勢神宮に移した。入れる器を御船代という。浦島太郎の玉手箱の伝説もこの籠神社に伝わる物語である。なお、エルサレムの神殿にも鏡は聖なるものとして収納されていたという。  
 二枚の契約の板(十戒石)
ソロモン王の時代には、契約の箱(Ark=舟)にはこれのみ入れられていた。
 八尺瓊勾玉(ヤサカニノマガタマ)
ヘブル語のヤハウェの頭文字ヨッド「י 」(英語のY)に勾玉の形が似ている。また、「ヤサカ(弥栄)」は、古代ヘブル語で、「ヤハウェは偉大なり。」となる。

参考図書

○ 「ユダや問題と裏返してみた日本歴史」日ユ関係研究会(昭和28年)

 …中山(忠直)氏は「外宮とマナの壺」に関しさらにこれを詳細に東京発行の雑誌「共通の広場」昨年(昭和27年)九月号に大要をつぎのように発表した。
(ハ)伊勢の外宮の祭神はヤハヱ
『これは伊勢の外宮の祭神はヤハヱ(Jahweh)を祭ったものだという世界をおどろかせる、日本歴史のコペルニクス的研究の発表だ。ヘブライ語(Hebrew)の研究が不十分だった昔はヤアヴヱ(Javeh)が行われている。(中略)……外宮の御神代がモーセの遺言で作ったものに違いないことは、その中に入っているものがマンナ(mannna)が風化したものと思われるほかに、その大きさがバイブル(bible)の記録と一致するからだ。出エジプト記の十六章三十三節に
「モーセ、アロンの言いけるは壷を取りてその中にマンナ一オメルを盛りてこれをヱホバの前におき汝等の代々の子孫のためにたくはふべし」
と書いており、その壷がヤハヱ(ヱホバも同じ)にそなえたものだことが明示され、外宮の祭神がヤハヱなることが証明される。小谷部が飯田の本の寸法から計算したところによれば「Kamiのカメ」の寸法は一オメル(1omer)を入れる大きさだという。
 わが国を昔から「金甌無欠」の国体というが、これは外宮の御神代(みかむしろ)から出た言葉だ。これは南史の「朱イ伝」に出ているコトバ「武帝いう、わが国家はなお金のカメにヒトツのキヅ、カケなきがごとし」
から出ている。堯帝がエリヤだことを証明するにはペルシャの歴史と満洲の古い記録から証明せねばならぬが、それは別のチャンスにゆずり、ここでは結論を急ぐことにし、堯の末が漢の王で、その末が大国主で、大国主がその「黄金の壺」をもって日本に亡命したのを証明できる。
 …美保神社の御神代が「天の羽舟」という楠の丸木舟だが、これは外宮の御神代をその舟に乗せて日本に持ってきたことを記念するためだ。
 外宮の御神代の中にはいっているものがマンナの風化したものにちがいないことは小谷部が次の如く書いていることでわかる。
『昔雄略天皇は、「天下に朕が開きて見られざるものなしと宣いて、この黄金の鑵、即ち甕の口を開かせ給いたるに、中より白き煙出たるにより、畏しこみてこれをもとの如く密閉せしめたりと国史に載す」(日本書紀通釈)………また平家物語に左の文を載す「凡そ神璽と申すは、神代より伝わりて代々の御帝の御守りにて、験の箱(著者曰くヘブライ人は誓約の験の櫃という)に納めけり。この箱を開くことなく見る人もなし。これによりて後冷泉の御時、いかが思しけん、この箱を開かんとて蓋を取り給いしに、忽ち中より白煙上がり給いけり………紀伊の内侍蓋覆うて、緘(から)げ奉る云々」と。神鏡と称せらるるカンガメの中より、前後二回とも白き煙出でたりとあるより察するに、中は或種の穀物納めありて、これが多くの年代を経る間に白き粉と化したるものにあらずやと謹んで推考す』(38頁~41頁)

○「日本及日本國民之起原」小谷部全一郎著 厚生閣刊(昭和4年)

 一説に曰く、神器の一たるカガミは、漢字にて書き現はさるる所謂鏡にあらずして、古語のカンガメ、即ち神甕ならんと、是をその容器より観るに、皇大神宮儀式には、高さ一尺四寸、深さ八寸三分、内径一尺六寸三分、外径二尺とあり、丸き筒に似たるにより之を御樋代といひ、之を奉安する台の器を御船代と称す。飯田武卿の日本書紀通釋に拠るに、神鏡最内部の容器は黄金の鑵にして、その寸法は高さ一尺三寸、径九寸、覆蓋にて、黄金の合せ目は金鋲にてつなぎあり、蓋にも身にも所々に屋形の図を鑃り付けたりと、而して是は明治六年四月、宮中にて親しく検したるものなりと同所に記載せり。
 昔、雄略天皇は、天下に朕が聞きて見られざるものなしと宣ひて、此の黄金の鑵、即ち甕の口を開かせ給ひたるに、中より白き煙出でたるにより、畏みて之を素の如く密閉せしめたまひたりと国史に載す。
 また、平家物語に左の文を載す。「凡そ神璽と申すは、神代より伝わりて代々の御帝の御守りにて、験の箱(著者曰、希伯来人は誓約の験の櫃と伝ふ)に納めけり。この箱を開くことなく見る人も無し。之れに依りて後冷泉の御時、いかが思しけん、此の箱を開かんとて蓋を取り給ひしに、忽ち中より白雲上がり給ひけり***紀伊の内侍蓋覆ふて、緘(から)げ奉る」云々と。神鏡と称せらるるかんがめの中より、前後二回とも白き煙出でたりとあるより察するに、中には或種の穀物納めありて、之が多くの年代を経る間に白き粉と化したるものにあらずやと謹んで推考す。(346頁)


○「日本人のルーツはユダヤ人だ」(日本及日本国民之起原 改編版)小谷部全一郎著たま出版1991年
○「消えたイスラエル十部族」松井桃樓・田所静枝著 柏樹社 1985年
○「十字架の国・日本」ケン・ジョセフ著 徳間書店 2000年
○「聖書に隠された日本・ユダヤ封印の古代史2〈仏教・景教篇〉」久保有政 ケン・ジョセフ著 徳間書店 2000年

平成20年01月18日作成   第043話