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 ここでいう「聖書」は、ユダヤ教の聖典の「旧約聖書」のこと。この旧約聖書の舞台である、アブラハムが神から約束された地、モーゼがユダヤ民族に与えると約束された「蜜と乳のしたたる地」、ダビデ王・ソロモン王の活躍した古代イスラエル王国の地は、現在のパレスチナ地方ではなく、アラビア半島のアシール地方にあるというのが、この説の根幹である。 
 現在のイスラエルの建国されたパレスチナの地をいくら発掘しても古代イスラエル王国の痕跡は、ほとんど見いだせないという。無理にこじつけているのはあっても、決定的な遺跡は出てこないという。
 ヘブライ語は、子音のみで表記されていた。実際の読みは、母音を入れて表現されているので、正しい発音は復元しにくかったり、変化するのでもともと古代の地名の復元はむずかしいという。
 そのこともあり、前500年頃には、アシール地方のユダヤ人達は、衰退の中で、民族意識もその歴史も失いつつあり、田舎生活者となりはててしまった。
 なぜ、このようなことが起こってしまったのか。アシール地方は、大変豊かな土地で、古代イスラエル王国の二代国王ダビデ、三代国王ソロモンの時代に大変繁栄したが、その後、ユダ王国とイスラエル王国に分裂し、さらに、アッシリア帝国や新バビロニア王国の度重なる侵略をうけ、大変疲弊してしまう。そのために、アシール地方のユダヤ人たちは、当時の交易路でつながれていたパレスチナ地方に新天地を求めて多数移住していった。そして、移住したユダヤ人たちが、アシュール地方の出身地名をパレスチナ地方の移住地につけていった。
 江戸幕府のある東京に、日本各地の地名がある。豊臣秀吉の城下町大阪にも日本各地の地名がある。古くは、太宰府のあった福岡にも、日本各地の地名が残っている。このようなことは、ほかにもあるので不思議なことではない。
 パレスチナ地方には、聖書に書かれてある地名の場所が、確かにあることが多い。しかし、その位置関係になると、聖書に記述に一致しないことが多いという。ところが、このアシュール地方に当てはめると、聖書に書かれている位置関係が、合理的に考えて一致するという。たとえば、ソロモン王がヤハウェ神の神殿をつくったエルサレムであるが、アシール地方の「アール・シャリーム」が本来のエルサレムであるという。ただ、言語の変化があるので、古代のアラビア半島や古代ヘブライ語の知識が必要であることは言うまでもない。
 また、聖書に書かれているオリーブ、イチジクなど植物や、気候自然の風景までも、パレスチナ地方ではなく、アシール地方の説明とする方が、合理的であり、記述に一致するという。
  聖書には

「処女であるシオンの娘は、
あなた(アッシリア王センナケリブ〔前704〜前681〕)を侮り、あなたをあざける。
エルサレムの娘は、あなたのうしろで頭を振る。
ユダの家の、のがれて残る者はエルサレムから出、
のがれる者はシオンの山から出る。
万軍の主の熱心がこれをなし遂げられる。」
(イザヤ書37章22節、31〜32節、列王紀下19章21、30、31節)


カマール・サリービーによれば、イラクの「ウル」を出発したユダヤ民族最初の預言者アブラハムはアシール地方に到着し、この地を神から永遠に子孫に与えると約束された。その後一部はエジプトに移住したが、モーゼに率いられてアシュール地方に戻ってきた。そして、このアシュール地方で古代イスラエル王国が建国され、「ソロモン王の神殿」もアシュール地方のエルサレムつまり、現在のアール・シャリームにあったという。古代イスラエル王国の遺跡とソロモン王の神殿は、今もアシール地方の地下に眠っているはずであるという。 
とある、ソロモン王の神殿があるエルサレムのシオンの丘(アシュール地方)と新しいエルサレムとシオン(パレスチナ地方)を区別している。パレスチナ地方のエルサレムを「エルサレムの娘」、シオンを「シオンの娘」と表現しているのではないか。

 アッシリアにより、前722年北王国のイスラエル王国は滅ぼされ、首都サマリアも徹底的に破壊され尽くされた。イスラエル王国の民もアッシリアに連れて行かれた。そして、前586年南王国のユダ王国も、新バビロニアに滅ぼされて、民は「バビロン捕囚」によって、バビロニアに連れ去られた。首都エルサレムのヤハウェ神殿も徹底的に破壊された。
 アケメネス朝ペルシアによって新バビロニアが滅ぼされ、オリエントが統一されると、南王国のユダヤ民族は、前586年「バビロン捕囚」より解放され、祖国(アシュール地方)に帰ることになる。
 ところが、アケメネス朝ペルシアによる、オリエントの統一は、交易路の変化をもたらし、交易の拠点として栄えていたアシュール地方の諸都市は、交易路から外れ、衰退していった。アシュール地方に帰還した、ユダヤ人たちは、あまりの荒廃と衰退に祖国の再建をあきらめて四散したと想像される。一方、パレスチナ地方に根付いていたユダヤ民族は、アケメネス朝ペルシアの支配下で信仰の自由をえて、交易の一大拠点としてさらに発展することとなる。パレスチナ地方のユダヤ民族及び周辺の民族も大い繁栄することとなる。
 アケメネス朝ペルシアは、アレキサンダー大王に征服される。大王の死後、パレスチナは、セレウコス朝シリアの支配下におかれる。前141年ハスモン朝の下にユダヤ国家が独立を果たすが、このころパレスチナのエルサレムの神殿は、ユダヤ教徒にとって第一の聖所と認識されていたようである。 前63年にローマに滅ぼされるまでハスモン朝はつづく。ハスモン家はユダヤ教の祭司の家系であり、自ら古代イスラエルの正当な後継者であるとみなしていた。
 この王朝によって故意に、アシール地方の歴史が抹殺されパレスチナ地方にダビデ・ソロモンの王国があったと解釈されるようにされたのではないかと想像される。 
 現在1947年に再建されたイスラエル国は、ユダヤ民族の遠祖アブラハム、及びモーセにユダヤ民族に与えると約束され土地に2600年の空白を経て建国されたということではあるか、アシュール地方が「約束の地」であるとすれば、建国の前提が崩れることとなる。この説が正しいかどうかはやがてアシュール地方の発掘される時が来れば明らかになるであろう。
(「聖書アラビア起源説」カマール・サリービー著 広河隆一、矢島三枝子訳 草思社 1988年 による)

参考図書

○「聖書アラビア起源説」カマール・サリービー著広河隆一・矢島三枝子訳(草思社 1988年)

平成19年07月28日作成   第034話