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  歴史を循環的に見る考え方は、古代ギリシアや中世ヨーロッパの世界観があるが、発展的な循環つまり螺旋(らせん)を描きながら発展してゆく姿として体系づけた歴史家にA.トインビー(1889年〜1975年)がいる。
 彼の史観によれば、人類はまだ揺籃期(ようらんき)にあり、今まで、エジプト文明、マヤ文明、西欧文明など21の文明が勃興し興亡をくりかえしてきたが、これらの文明は類型を示すパターンで発生→成長→衰退→解体を繰り返している。
つまり、文明には春、夏、秋、冬の廻りを繰り返していることになる。その中で宗教のみは成長して、次の文明の人類に精神的向上をもたらしてきているように思えるとして、宗教の役割を重視ししている。かれの生涯をかけた歴史書である「歴史の研究」(全12巻 1934年〜1961年)による人類の発展の法則の考察と人類に未来の予測について述べる。

 旧約聖書やコーランなどでは、歴史を個々の人間と、さらに民族全体と、その人格神との出会い、つまり遭遇の連続とみなしている。この遭遇とつうじて、神は人間に向かい問題を提出し挑戦し、人間はそれに対して創造的活動をすることにより応戦する。神の存在を必要としなくても自然環境や社会の変化、異種文明との遭遇による挑戦、それに対する応戦の成功の繰り返しによって文明は発生し、成長をつづける。例えば、日本文明(トインビーによれば、極東文明の日本分派・日本は独立して21の文明の内にひとつの文明であると認識されている。)は、明治維新前後の二度目の西欧文明との遭遇による西欧文明の挑戦に対して、急速に自らを西欧化することにより侵略を回避し、応戦に成功したといえる。
 この成功によって近代国家として成長した日本が、他のアジア・アフリカ諸国のような西欧諸国の植民地化をまぬがれた。
 文明の成長は、経済の変動や生産力の向上による階級構成の変化によってもたらされるのではなく、天命をもった、プラトン、イエス、ナポレオンなどの創造的個人あるいは、明治維新による近代化をなしとげた指導者たちのような創造的少数者の天才的な創造活動によってもたらされる。
 創造的個人が出現するとき、たとえ、少数の同志が得られたとしても常に圧倒的多数で不活発で習慣に固執した非創造的多数者である大衆にとりかこまれる。いいかえると、社会的創造行為はすべて飛躍的進歩をともなうが、創造的個人が、せいぜい創造的少数者のどちらかによってなしとげられ、その前進がなされるたびに社会の成員の大多数が非創造的多数者としてとりのこされる。
 非創造的多数者を創造的少数者に従わせる方法は二つある。一つは魂から魂へと直接に創造的エネルギーの火をつけていくこと、つまり霊的なインスピレーションを与えてゆくことである。これは理想的な方法であるが、これだけにたよるのは実行不可能である。非創造的多数者である大衆に創造的少数者と同一行動を取らせるもう一つの方法は、感化力によって、純然たる模倣をさせることである。この模倣によってのみしか、社会的規模において実際の問題を解決し、文明の進歩をもたらすことができない。
 文明の衰退は、創造的少数者が創造力を失い単なる支配的少数者になってしまうこと、それに呼応して、非創造的多数者が服従と模倣をやめ、社会全体の統一が失われることによって生ずる。文明の利益にとりのこされた人々は、その文明内にあっては、内的プロレタリアート(資産をもたない階級者)として支配的少数者に反抗するが、彼らが精神的支えとするのは、高等宗教である。文明の衰退の進行は、文明の解体をもたらす。
 文明の成長期には、創造的個人が遭遇と挑戦を克服する応戦の指導者となるが、解体期には、かれらは、解体する社会の救世主か、あるいは解体する社会から新しい文明を生み出す救世主として現れる。解体しようとする社会の救世主によって、動乱の時代を経て、その文明全体を統一する世界国家が成長するがこれは文明の頂点ではなくその文明が衰退してきたことを示す。
 そして剣をもった救世主の事業は剣によって短命におわる。
 高等宗教は衰退する世界国家の中で、はじめは国家衰亡の因をなす社会的癌とみなされるが、しだいに解体をささえる柱とされ、全人類を統一する宗教的使命を帯びていると自ら信じる世界教会を形成し、ついには、次の高次元文明の種として、世界国家解体後の、文明外にあって文明の恩恵に浴さなかった外的プロレタリアートの侵略にも耐え、暗黒の時代をのりこえ、次の文明を発展させる。
 その例として、ヘレニック(ギリシア=ローマ)文明の衰退期に出現したキリスト教がある。ヘレニック文明の衰退期に出現したキリスト教は、社会的又は精神的に満たされない内的プロレタリアートに支持され、はじめは帝国の衰退をもたらす癌として迫害されるが、のちには帝国の解体をささえる柱として、国教化され、世界教会を打ち立てた。その外的プロレタリアートであるゲルマン民族の侵入による帝国の滅亡と暗黒の時代には、キリスト教は文明の種子を良く守り、次の西欧文明の母体となった。
 全世界を被うにいたった西欧文明の人類の生存にも影響するさまざまな危機をのりこえて、二十一世紀をになうべき新興高等宗教は、著作の時点(1954年)では出現していないように見えるが、キリスト教、仏教、ヒンズー教・イスラム教等の高等宗教が、それぞれ一つの絶対的真理に至る別途の道であるということを悟り、相互交流を深め、容認し合った宗教的統一がおこなわれないかぎり、人類の未来はないといっていいであろう。

トインビーが来日したおりに、伊勢神宮に参拝し、その清らかさと日本の精神文化に、大変感動したという話が伝わっている。「剣をもった救世主の事業は剣によって短命におわる。」というトインビーの言葉は、現在の超大国の近未来を暗示しているのではないか。キリスト教とイスラム教やそれぞれの宗派間の宗教対立をいやす道は、日本の古神道の清らかさと深い精神文化をベースとする以外はないのではないか。

参考図書

○伊勢神宮参拝(1967年)のおりトインビーが記帳 (「人間と文明のゆくえ」評論社)
  「私は、ここ、聖地にあって、全ての宗教の根源的統一性を感じます。」

○「トインビー 歴史の研究」長谷川松治訳(「世界の名著」61 中央公論社 昭和42年)

平成19年03月28日作成   平成23年03月28日最終更新  第022話