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  人類の歴史は、どのような歩みをしてきたのだろうか。歴史観として3つの見方がある。一つは、時代を経るにしたがって、世の中が悪くなるという考え方。没落史観という。多くの神話や宗教の世界観である。しかし、この世界観には最後のどんでん返しがある。悪者は裁かれて、最後はいなくなり、天国(極楽)が来るというものだ。もう一つは、だんだん良くなり楽園の時代を迎えつつあるという楽天的な歴史観で、カール=マルクス(1818年〜1883年)によって理論づけられた唯物史観であり、発展史観ともいう。そして、最後に、A=トインビーによって体系づけられた循環史観である。3回に分けて、それぞれの歴史観についてのべる。

  没落史観とは、いにしえの時代を理想とし、世の中は段々悪くなり現代は最悪の時代であるという考え方で、多くの神話や宗教の世界観である。終末史観ともいう。
 ギリシア神話では、人類は、黄金族、銀族、青銅族、…鉄族と神々に滅亡させられる度に劣等化し、現在は鉄族の時代であり、「もっと前の時代に生まれるか、もっとあとの時代に生まれればよかった」とヘシオドス(古代ギリシア詩人・紀元前700年頃)も嘆いている。同様の神話であるグアテマラのキチェ・マヤ族の人類創造神話を紹介する。

[キチェ・マヤの人類創造神話]
 創造主とされる「緑と青藍の羽根につつまれた光り輝いている蛇」であるグクマッツ(ケッツァコアトル)を中心とした「天の心」(天の神)たちは、会議に会議を重ね、その言葉と考えを一つにして、山川草木を創造、生命の誕生を決意し、人類の創造をもって黎明とすることを定めた。
まず「天の心」「地の心」(地の神)は、言葉によって天地、山川草木を創造した。つづきて蛇や鹿や鳥を創造して、創造主や神々をあがめさせようとしたが、動物たちは金切り声をあげるだけで言葉をもたず、神々を崇め讃えることも神の心も理解出来なかったので人間となることは出来なかった。そこで神々は、新たな創造にとりかかり、人の姿に形取り、泥土でその肉を造った。ところが、それは柔らかくて直ぐに崩れてしまって役にたたなかったので、神より破壊されてしまった。今度もまた神々は相談を重ね木で人の姿を形取り、口や目を彫りつけてより完全な人間を造り上げた。この木の人形は、人間そっくりでよくしゃべり殖えていったが、創造主のことなどわすれて、自分勝手な生活をはじめた。「天の心」たちは、自分たちを敬わい養わないことを怒り、彼らを打ちのめし、殺し、大洪水で水に沈めてしまった。木の人形たちは、にげまわったが、動物たち、自分のまわりの物と家、炉なども襲いかかってきて逃げるすべをしらなかった。少数の生き残り達が、今も森の中にいるあの猿たちであって、猿は木で造った人間の見本なのだ。
  神々はまた相集い相談を重ね、トウモロコシを地と肉とする新しい人間を創造した。彼らは男達で、神と同じ智慧を持ち、天地のことは、すべて見ることのできる目をもち、何でもわかってしまった。天と地と此の世のすべてのことを知り尽くしてしまい、すべて神の心のままに生活を行い、神を親としてうやまい、あがめたてた。しかし、神々は、自分たちと同じように見、理解できることは、人間にとって良くない事だと思った。そこで「天の心」は、彼らの眼にかすみを吹きかけ、近くのはっきりしたものごとだけしか見えないようにしてしまった。彼らは叡智と知識を失ったしまった。そのあと、彼らの妻となる女達が創り上げられた。このようにして、キチェ族(グアテマラのマヤ族の一部族)の先祖は創られたが、かつて木の人形がうちこわされたように、やがてまたこの世界の終わりがやってきて、今度は大洪水ではなく、火の裁判が行われ、人間の用いていたあらゆる物も、みな人間に反抗して戦いを挑んできてにげるすべがないだろう(「ポポル・ヴフ」などによる)

  ユダヤ教やその系統をひくキリスト教・イスラム教では、歴史は、神のみ業であるとしている。"History"という英語の語源も"His story"であり。"His"というのは、"創造主"のことであり、「神の創造の物語・神の創る物語」という意味である。人類は神により創造され楽園に住んでいたが、神から離れることにより、寿命も短くなり、病に苦しむようになったと伝えられている。終末の日に、神の裁きの時代を迎え、メシア即ち救世主が降臨して天国文明の時代がくるということも共通している。そして、現在が終末の時代であるという認識をもって、キリスト教圏などではのぞんでいる。
  仏教では、釈尊の死後正法五百年・像法1000年・末法10000年と三期にわけている。日本では末法は1052年からとされ、暴虐地にみちる最悪の時代であるとされている。「世も末」という言葉はこのことに由来する。仏教においても「法滅尽経」というのがあり、暴虐の世の有様の預言されている。暴虐の世のあと、弥勒(ミロク)が下生して(地上に降りてきて)極楽の世が来ると預言されている。不思議と西洋のキリスト教世界と東洋の仏教世界の預言が一致している。一言でいうと、結局は、悪人は、裁かれて善人のみの世に最後はなってしまうということである。

参考図書

○「五族神話と洪水伝説」(「ギリシア・ローマ神話T」ジュヴァーブ著角訳より抜粋)

 「神々が最初につくった人類は、黄金の種族で、神々と同じように、何の心配もない楽園にくらしていた。この種族は、運命にしたがい地上から姿を消して守護神となった。第二に神々は、銀の種族をつくった。彼らは最初の種族にひどく劣り、子供時代が長く、精神的に劣っていた。神々を崇拝しなかったのでゼウスはほろぼしてしまった。第三の種族は青銅族であった。銀族よりも暴力的で残忍であり、巨大な体をもっていた。悪行を重ね暴虐が地に満ちたのでゼウスは神々と相談し、大洪水をおこし、デウカリオンとピュラという正直者で神を崇敬すること世界一の夫婦をのこして全青銅族を滅ぼしてしまった。青銅族がほろんだあと、ゼウスは第四の種族として前の種族よりすぐれた英雄族たちの時代をもたらした。昔の人はかれらのことを半神と呼んだが、結局不和と戦争で滅んでしまった。特別神から許された一部の英雄たちは、世界の果ての大海の中の極楽島で楽園生活をおくっているということだ。そして、今やもっとも卑しむべき鉄の種族の時代なのだ。日夜労働にあけくれ心労がかさむばかりだ。しかし、灰色のこめかみをした人がうまれるようになったら、ゼウスは、この種族も滅ぼすであろう。子は親にそむき友人も兄弟も以前のように親しめなくなる。善人は尊敬されずむしろ悪人や乱暴者が尊敬され、背徳が地に満ちるだろう。そして善を愛する女神たちは、神々の世界に帰り、そのあと、おそろしい審判が下され、この災いから人々はのがれるすべをしらないだろう。」

○「ギリシア・ローマ神話T」ジュヴァーブ著角訳(白水社 1966年)
○「人類に警告する法滅尽経」渡辺照敬著(三学出版 昭和53年)
○「ポポル・ヴフ」A・レシーノス原訳校注 林屋永吉訳(中央公論社 昭和47年)

平成19年03月08日作成  第020話