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 ジェームズ・チャーチワードの伝えるムー大陸伝説を要約すると次のようになる。
 「太平洋の真ん中にあったムー大陸で初めて人類が誕生した。そのため、クイの国とも呼ばれた。蓮の花が咲き乱れ、美しい蝶々や蜂雀が乱舞し、陽光燦々と照り輝くエデンの園そのものであった。
白人種が中心であるとはいえ、黄色、褐色、黒色の人種が、子どものように安心してくらしていた。
人口は6400万、十の種族にわかれたいたが、天地創造主神(象徴として太陽神)に仕える最高の神官、法王のラ・ムーを中心に一つの政府で統轄されていた。学問文化の中心であった七つの聖都を中心に高度な文明を発達させ、宗教はただ一つの天地創造神をあがめ尊び、町々の神殿では明るい陽光の中、祈願する人々の姿がいつもみられた。
七万年前ごろより「母なる国」ムーの人口が増えてゆくにしたがい、東へ西へと全世界へ植民活動をはじめた。この植民達はマヤと呼ばれた。植民地帝国の王は、ムー帝国から選ばれ、ムー太陽帝国の流れをくむものということで、「太陽神の子」の称号をもちいた。エジプトのファラオ(王)、インカ帝国のインカ(皇帝)は「太陽神の子」の意味を持つが、日本もまた日の神の直系の子孫、天皇を戴き、ムー帝国の伝統を最も強く現在に伝えている。
これらの植民地は全部で十七あった。

「ムー帝国のシンボル」チャーチワード著小泉源太郎訳(大陸書房 1986年)の表紙/ムー帝国王室の紋章楯 
 古代ウイグル帝国は最大のものであり、中央アジアのカラコルム付近に首都を置き、東アジアから東ヨーロッパに至る地域を支配していたが、大洪水で東半分を失い、西半分は造山活動で崩壊した。この帝国の民の生き残りが自ら「高貴なるもの」と称するアーリア人(インド=ヨーロッパ語族)である。
ナガ帝国はビルマからインドを中心 にインドシナ半島一帯に亘る大帝国であったが、これもまた大洪水で失われてしまった。この国の民であるナガ・マヤ人たちは、七頭の蛇(ナラヤナ)をシンボルとして用いていた。これら西方へ向かった植民団の国に対して、東方へ向かった大帝国として、造山活動で崩壊してしまった古代マヤ帝国(アンデス)や、ムー帝国とともに大洋に沈んでしまったアトランティス帝国がある。東方植民団の人々(カラ・マヤ)たちは、創造主のシンボルとして鳥をもちいていた。
ムー帝国とこれらの植民地帝国が、火山の噴火、大洪水、大地震で地上から消え失せた後、失われた文明の記憶を頼りに建設されたのが、世界の四大文明と古代アメリカ文明の発祥であり、あらゆる諸文明である。
  植民団が派遣されたのと同時に、「母なる国」ムーの宗教と学問も専門の教育を受けた「ナーカル」の伝えた聖典「聖なる霊感の書」は、宗教観、宇宙観、霊的なもの、科学の渾然一体化したものであり、教養であり、至上命令であった。全世界にいきわたったこの教えも、ムー帝国とその他の植民地帝国の崩壊をもたらした大天変地異で失われてしまったが、その断片は変形されながら、世界の古典の中に多く残されて、世界の各民族の民話。神話の中に共通点が多いのはこのためである。
  人類最初のこの教えは、自分たちをつくりたもうた創造主神(象徴として太陽神)を「天なる父」として、人種・民族の差別なく等しく崇拝し敬慕することにあった。
創造神は混沌の中から世界の創造を計画し、「四大源動力」によって宇宙に法則と秩序をつくり、七つの命令を下して、天地万物を創造した。その第七の命令が人類創造であり、神の姿に似せて、地を支配さるためにつくられた。

最初の人類は、男女一体であったが、男と女に分けられ、子孫が増えて行くことなった。つまり、「一」が「二」となり「三」として万華したのである。また人類は千年の寿命をもち、再生転生すべく定められたいた。全世界の言葉も文字もムー帝国から伝えられ元一つであった。
ムー帝国では16弁の蓮の花。スワスチカ(卍)、カゴメのマーク()などがシンボルとして重視されていた。言霊も数霊も非常に重視されていて、それぞれ宗教的な意味が込められていた。特に三(ムーは三つの島からなっていた)四(四大源力と創造主)、七(創造主の七つの命令)、十(創造主そのものの表象)、十二(十二の修めるべき徳目)、八・十六(万華の数)は重視されていた。

写真 2014年5月21日の西之島(14:45 海上保安庁撮影)出展:海上保安庁(海域火山データベース:西之島 東京都小笠原諸島の西之島の隆起は大陸隆起であるという。真実であれば、ムー大陸の復活といえるだろう。 
 ジェームズ・チャーチワード(James Churchward、1852年 - 1936年)は、アメリカ合衆国在住のイギリス人でムー大陸についての「失われたムー大陸」(1931年)を初めとする一連の著作を書いた作家である。その著作の中で、さまざまな証拠とされているものを挙げているが、主なものは、インドの古寺院で老僧より見せてもらったとされているナーカル文書と、メキシコ市郊外で鉱物学者ウイリアム=ニーベン氏が発掘した石版碑文2600余点である。
ナーカル文書の存在は確認されていないが、ニーベン氏の石版の方は存在が確認されている。
ムーの古記録がインドの寺院に残っているということには、興味をもっている。2000年にインド旅行をしたおり、ゴラプールのヒンズー教寺院で、同行していた日本人ガイドより、この寺院の院長が、キリストがインドに滞在していたという話していたという話を聞いた。確認していないが、そのころキリストの墓がインドにあるという内容の本がヨーロッパではベストセラーになっていたそうだ。インドの古寺院は、太平洋上の未知の大陸の伝説が残っておりそうな場所である。
チャーチワードの墓にはムー帝国の紋章が刻まれているとのことである。 太平洋に巨大な大陸があったということは、現在の地質学者からは否定的な意見をだされているが、インダス文明の印象文字とイースター島の謎の文字ロンゴロンゴ及び中国の甲骨文字の三者の偶然ではありえない類似性やインド・エジプトや古代ユダヤのソロモン王の神殿でも蓮が神聖な花とされていることなどどこかに4大文明や古代アメリカ文明の母なる国があったのではないか思わざるを得ない。
琉球古陸こそムー大陸であるという説を参考資料で取り上げたが、チャーチワードのいうムー大陸はイースター島やハワイ諸島を含む大陸であった。

参考図書

○「海底宮殿−沈んだ琉球古陸と"失われたムー大陸"」(木村政昭[琉球大学理学部物質地球科学科教授]著 2002年 実業之日本社 刊)
与那国の"遺跡ポイント"が巨大神殿ないし宮殿とすれば、象形文字らしいものが彫られた岩盤や石版、そしてその周辺の構造物もあわせて考えると、都市文明があった可能性もある。そして…、年代が一万年前とすれば、現時点で世界最古級の文明遺跡という可能性も否定できなくなる…。(P188)
今から2400年前ごろに記されたとされる、『列子』(中国の道家の思想書)という書物がある。…『列子』には東方の海上に浮かぶ"蓬莱山(ほうらいさん)"という神仙の住む島のことが書かれているのだ。蓬莱山の周囲は三万里とされ、漢大の標準里程(長里の一里は400〜150b。本書では400メートルを採用)で換算すると、約1万2000キロ。チャーチワード説のムー大陸(東西800キロ、南北5000キロ)に匹敵するような、縦・横それぞれ3000キロ程度の巨大な陸地となる。(P217〜P218)
和歌山県新宮市にある徐福の墓
『列子・湯問篇第五』に記述された蓬莱山の姿は、まさにムー大陸説級のイメージなのだ。伝説に整合性を持たせるならば、ムー大陸は明らかに三神山と重なってくる。「ムー大陸説」は、チャーチワードあるいはチャーチワードと称するグループの創作物である。その根拠は中国やインドなど、アジアで聞いたということ以外にない。そうなってくると、確かな伝説は、ホーライ伝説以外にない。したがって、ムー伝説はホーライ伝説そのものであり、それゆえにムー大陸はホーライ島とするほうが信頼できる。(P219〜P220)

  チャーチワードはムー大陸のシンボル、「山」の字形を読みとったと述べている。このシンボルは海上に浮かぶ三つの陸地を示しており、始皇帝が"徐福"に大船団を与えて探させた海上に浮かぶ三つの陸地を示しており、始皇帝が"徐福"に大船団を与えて探させた三神山そのものである。そして古代中国の権力者たちが実際に追い求めた最も尊い陸地が、三神山のひとつ"蓬莱"島であった。"蓬莱"にまつわる伝承・伝説は、日本から台湾までに多く残されている。
確かに、チャーチワードも彼の著作の中で、日本はムー文明と深い関係を持つことを指摘している。(P222)チャーチワードのいうように、1万2000年かそれ以前に人々が住んでいた地域が"ムー大陸"なら、その地理的位置は自動的に決まる。ウルム氷期に現れた古大陸域に含まれる日本列島、南西諸島、台湾、インドネシアなどの島々のある西太平洋の海域である。(P224)
 沖縄の海底(※与那国島沖海底)で、1万年ほど前に築かれた古代都市の廃墟と思われるような遺跡が見つかったことは、まぎれもない事実である。この場所は太平洋の西部にあり、10万年前以降のウルム氷期中には"西太平洋古大陸"(マー大陸)を形成していた地である。そして、この地域からポリネシア方面へ数千年前以降、人も文化も拡散していったのだろう。その一角に、いやむしろ中心ともいうべき場所に、大陥没を伴った琉球古陸が存在し、太平洋に伝わる古代大陸伝説のルーツがそこにあったとみていいような現象(異物や巨石構築物も含む)が、数多く存在している。そこが実在のムー大陸であったとしてもよいだろう―というのが、本書の根幹をなす考え方である。(P272)

○「失われたムー大陸」チャーチワード著小泉源太郎訳(大陸書房 1968年)
○「ムー大陸の子孫達」チャーチワード著小泉源太郎訳(大陸書房 1970年)
○「ムー大陸のシンボル」チャーチワード著小泉源太郎訳(大陸書房 1986年)
  
平成18年10月08日作成 平成28年01月23日最終更新  第005話