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高校生のためのおもしろ歴史教室>読書案内

「旧約聖書は漢字で書かれていた」C.H.カン&E.R.ネルソン著    

  詳しくは「旧約聖書は漢字で書かれていた」C.H.Kang/Ethel R.Nelson 著 林玲子訳(同文書院 1998年)

 チャイナで宣教師をしていたカン牧師は、創世記に由来する多くの漢字があることに気付いて探求したのがこの本です。クリスチャンでない、部外者から見れば、やや強引と思える説明もあります。以下、興味を引かれた漢字の説明の抜粋です。

 「中国語の聖書者の教科書の脚注に、ある記述が或るのを思い出した。それは、「船」という漢字は、「舟」に「八」の「口」、つまり人があり、ノアの方舟には、丁度八人の人間係船――ノアとその妻、三人の子供とその妻たち――が乗っていた、ということである。」(p8) 

 「例えば、『鬼』という言葉は、イブがエデンの園で蛇にそそのかされた話を示している。この世界最初の誘惑の話では、悪魔、つまり鬼が示されていなければならない。三つの象形文字が、この鬼を表している。つまり、『田』はエデンの園のことである。『儿』とは、人間のことで、鬼は蛇の形をしてはいたが、ここでは蛇が人間のようにイブに語りかけたことを示す。『ム』は、私、秘密、という意味で、蛇のイブへの接近が秘密裏に行われたことを表している。これら三つの記号は、活発であることを意味する『ノ』とともに用いられていて、『鬼』という文字になる。
 さらに、鬼という漢字は、おおい(广)の字の下に、林と並べて配置された。蛇(鬼)は、エデンの園の中央に位置し、命の木の横にある禁断の木に隠れてイブを待っていた。つまり、二本の木で、林である。さらに鬼は木に隠れ、蛇の姿になって、身を隠していた。つまりおおい(广)で覆った。これらの記号の組み合わせると、「魔」という言葉ができあがる。これは、単なる偶然の一致であろうか?

 ム+儿+田+ノ=鬼+林+广=魔

 ここに示した実例は、この本で証明しようとしている漢字と聖書のつながりについての本の一部にすぎない。」(p21−p22)
「アダムは、地球の歴史上最初の人物である。『先』という字は、この事実を表わす。アダムは、生きている『ノ』、 『土』からできた人間『儿』である。『先』という、原始的な漢字にこのような意味が含まれているということは、漢字の発案者が天地創造の話をしっていたということを強く示唆するものではないだろうか。
 ひへん『火』は、人から炎がたち昇っている様子をよく表している。なぜ、火の中に、人間が存在しているのだろうか?まぎれもなくそれは、最初の人間が、火の中からみえていたからだ。アダムは、彼の完璧な人格が罪によって汚されるまで、輝く光を身にまとっていた(創世記2章25、3章7参照)。」(p80-p81)

「神を意味するしめすへん『ネ』は、『祖』にも使われている。その右側の『且』は、かつ、または、という意味であるが、アダムは、我々の共通の祖先であり、神に似ていた。もう一つの神の形であった、ということを意味しているのではないか?」(p82)

「アダムは、エデンの園の美しい場所を神から与えられて、大変幸『福』であったが、その花々に満ち溢れた夢のような家へイブを連れて行くことは、さらに別のしあわせを与えるものであった。彼の人生は充実し、平安と安心で満ちていた。この『安』という字は、屋根『宀』が『女』にかかっている。女が屋根の下に来ると、安心がある、ということであろう。二人の生活は、満ち足りて、落ちついたものであった。」(p91)

「ここに至って、神は想像の仕事を終えた。『天地万物を完成された』(創世記2章1)。『完』という字は、またもや屋根『宀』が、『元』とともに使われている。前に分析したように、『元』は二人の大人のことであった。二人の大人から人類は始まり、その家ができあがることによって、人類創造は、『完』了した。そして最初の結婚がなされるのだ。地球上全てのものは、人間の究極の喜びと恩恵のために存在しているのだ。

ニ+儿=元+宀=完

重要なことは、『完』という文字が、創造がある段階できっぱりと終わってしまっていることを示しているということだ。これは下等動物からだんだんと人間に進化し、数が増えていったということとは違う。

 『元』は、聖書の話とは関係なく、人間の起源として二人の人間がいたと解釈することもできる。しかしそうであったら『完』という文字がどうして完了する、という意味を示すのだろうか?創世記の話なしでは、はじまり『元』に屋根『宀』がついて『完』了する、ということに、なんの意義も見いだせない。」(p94)

 「アダムとイブは、美しいエデンの『園』で、神と共に過ごす時間を楽しんだ。ここが神の創造の中で一番すばらしいところだろう。『土』から言葉(『口』)によりすばらしい男女(『』)を造ったのだ。『』は、『』と『』の接合の仕方を見てみよう。イブはアダムの肋骨からうまれたということをよく表しているではないか。この出来事は、エデンの園であったことだ。『』は『仁』(甲骨文字では、という字ともよく似ている。『ニ』が最初の人『』にくっついている。完璧な人間は、アダムとイブの二人しかいない。彼らの言えは、エデンの園であった。囲い『口』がエデンの園の境界を表している。

土+口++口=園 」(p99-p100)

「神の言葉に反論して、『決して死ぬ事はない』ときっぱり言う悪魔も、大胆なものだ。しかし、悪魔はイブに節を約束したのだろうか?神は、もし従わない場合は死に追いやるといっていたのに?神は、禁断の果実を食べると死ぬと言ったが、魔王は、神がうそつきであることを証明しようとしたのだ。禁断の果実を食べた後も、アダムとイブは死ななかったのだから、確かに、魔王が言った言葉は本当だった。人間に死が訪れるのは、数年後、アダムの息子、アベルが、その兄カインに殺された時まで待たねばならない。最終的には、何世紀も後、アダム自身も死んだ。人間は、実は死ぬものだったのだ!この苦しみを克服するために、魔王は別の論を打ち立てた。つまり、人間の一部である 『魂』は不死である、という説である。『魂』という漢字には、魂の不死性が表現されている。つまり、鬼がそう言った(『云』)のだ。

云+鬼=魂  」(p111-p112)

 「いばらの二番目の漢字『棘』には、エデンの園のニ本の木『林』が描かれている。ここに至って、二人は神によってエデンの園から追放されてしまったので、この木には近寄れなくなってしまった。『命の木に至る道を守る為に、エデンの園の東にケルビムときらめく剣の炎を置かれた」(創世記3章24)。それぞれの木に門、境界「冂」が置かれている。つまり、エデンの園からの追放を意味しているのだ。」(p126-p127)

「中国の文字をじっくり検討すると、かれらの原始宗教の概念の記録があぶり出されてくる。縁起のいいものを示すのに、『羊』という字が要素として用いられることがよくある。例えば『善』(甲骨文字ではは、上部が『羊』で、下部『』は、言である。つまり、『羊』の言葉は『善』いものだ。
『詳』という字は、元来、裁くという意味を持っている。この字は、羊の最大の特典を表している。『それに乗っている方は、「誠実」および「真実」と呼ばれて、正義をもって裁き、また戦われる。………その名は、「神の言葉」と呼ばれた』(ヨハネの黙示録19章11、13)。
 繁栄、幸福、吉兆をあらわす。『祥』という字は、まさに神『ネ』と『羊』の組合わせである。」(p145-p146)
 「中国文化では、長 『兄』は家族を神に導く、という神聖な役割を受け持つものである。『祝』うことは、『兄』の特権であった。彼は家族の代弁者『口』『儿」である。ヘブライ経済では、長男がやはり、神聖な職務を請け負った。

 口+儿=兄+ネ=祝 」(p148)

令和3年4月24日作成