本文へスキップ

高校生のためのおもしろ歴史教室>読書案内

「逝きし世の面影」渡辺京二著

 詳しくは、「逝きし世の面影 日本近代素描T」渡辺京二著(1998年 葦書房)です。

 
 『逝きし世』とは何か、著者は冒頭の三行目に提起している。

 「日本近代が古い日本の制度や文物のいわば蛮勇をふるった清算の上に建設されたことは、あらためて注意するまでもない陳腐な常識であるだろう。だがその清算がひとつのユニークな文明の滅亡を意味したことは、その様々な含蓄もあわせて十分に自覚されているとはいえない。十分どころか、われわれはまだ、近代以前の文明はただ変貌しただけで、おなじ日本という文明が時代の装いを替えて今日も続いていると信じているのではなかろうか。つまりすべては、日本文化という持続する実態の変容の過程にすぎないと、おめでたくも錯覚して来たのではあるまいか。

 実は、一回かぎりの有機的な個性としての文明が滅んだのだった。それは江戸文明とか徳川ぶんめいとか俗称されるもので、十八世紀初頭に確立し、十九世紀を通じて存続した古い日本の生活様式である。」

最近、江戸時代の見直しが始まっている。明治維新は、江戸時代の否定に始まった西洋化運動である。西洋化によって失われてしまった江戸文明の姿を、欧米人の日本見聞記などを丹念に分析することによって復元している。

 江戸時代の日本は、人口 三千萬人の世界有数の大国であった。しかも、生活必需品は自給自足で賄われており、社会の隅々までリサイクルが行われていた。また、美しい自然と共生している時代でもあった。


 この本は、多くの西洋人によって「エデンの園」ではないかと感嘆せしめた、人々の礼儀正しさ、風景の美しさなどが、丹念に描き出されている487頁にも及ぶ大作である。

 文明史家のトインビーやハッチントンによって西欧文明や中国文明と区別された日本文明は、過去何度も脱皮を繰り返してきたように思える。

古事記によって伝えられた「清く明き」「言霊の幸はふ国」古代の心もまた、奈良文明と呼ぶことのできる中国化の嵐の中で、本当は絶滅してしまったのではないだろかと想像してみることも可能なほど、示唆に富む内容になっている。

中国文明の圧倒的な影響力に対して、日本を中国化することに決めた奈良文明は、平安時代の国風化や武士の時代を経て、江戸時代に、中国文明と違う日本の在り方を見出した。

欧米の圧倒的な圧力に屈することを「潔し」としなかった江戸文明の武士は、日本を西欧化することによって近代化を成し遂げた。

近代化の行き着く先が、大東亜戦争の敗北であった。さらには、このたびの東日本大震災起因する福島原発事故による東日本の壊滅であったのではないかと思う。

そうであるならば、「逝きし世の面影」を振り返り、新たなる日本を築く必要があるのではないかと思う。

あとがきに「幕末・明治初期の外国人による日本観察のいくつかを初めて通読する機会を得たのだが、彼らが描き出す古き日本の形姿は実に新鮮で、日本にとって近代が何であったか、否応なしに沈思を迫られる思いがした。昭和の意味を問うなら、開国の意味を問わねばならず、開国以前のこの国の文明のありかたを尋ねなければならぬ。ペリーを証人第一号として極東軍事裁判の法廷へ喚問せよとう石原莞爾の言葉が、新たな意味を帯びて胸に甦ったのはその時である。」

最近新書版が出た。是非読んでいただきたい。

平成24年07月27日作成